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2016年5月 2日 (月)

浜岡原発撤退の論理と倫理(7)/技術論と文明論(53)

別府ー島原地溝帯を襲った連続地震は、予測・予知の難しさを再認識させたものと言えよう。
5月1日放映の「サンデーモーニング」で、毎日新聞記者の元村有希子さんが「未科学」という言葉を使っていた。
東洋医学で言う「未病」を連想させる言葉だ。
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⇒2013年1月28日 (月):『<老い>の現在進行形』と未病の概念/闘病記・中間報告(58)

エビデンスに基づいた推測が科学的予測であって、エビデンスなき推測は、予言の類である。
そういう観点で考えた場合。地震予知は可能なのか?

「正確な地震予知」とは科学的根拠に基づいて、地震発生の場所・時間・大きさとその許容範囲を前もって明らかにすることである。もちろん、社会的な意味を考えると、M7以上の内陸地震、M8以上の沖合の地震といった大きな地震の予知でなければ、予知情報は社会にとってほとんど意味がないだろう。
また、時間・空間の許容範囲は、例えば3日以内、半径100 km以内といった具体的で明確なものでなければ、予知情報への対応ができない。当然のことながら、かなりの信憑性がないと、情報としての価値はゼロに等しい。100回発信して1回当たる程度では逆に、有り難迷惑になる。
現時点では、残念ながら、上述のような正確な予知はできないというのもそのための理論はもとより、手法も皆無だからだ。国内外の多くの研究者が130年にわたって頑張ってきたことは事実だが、その努力は報われなかった。これは決して筆者単独の意見ではない。
1999年にネイチャー誌が開催した予知についてのディベートでは、世界トップレベルの研究者のうち、現時点で正確な予知を述べた者は皆無だった。また、日本政府も1995年の阪神淡路大震災の発生後、予知できなかった批判をかわすためか、旧科技庁に設置されていた「地震予知推進本部」を廃止し、その代わり「地震調査研究推進本部」を設置した。
・・・・・・
これまで国内外で地震発生後、多くの「こういう前兆現象をみた」との報告があったが、これまで科学的に有意性が確認された前兆現象の事例は皆無でこれらは地震予知ではなく、“地震後知”と呼ぶべきものだ。
日本では世界の中でも最高性能の観測網が設置されているが、2011年の東日本大震災(M9)前にもそのような前兆現象が観測されなかったし、熊本地震においてもなかった。東海地震は他の地震と違うという主張も聞くが、地球はそのような特別扱いを都合良くしてくれるのだろうか。つまり、東海地方で巨大地震が起こる前に予知を可能とする現象が発生することを前提に国の法律を制定してしまうことは、トンデモナイ“前兆幻想”といわざるをえない。
「地震は予知できない」という事実を直視せよ

すなわち、現在の水準では科学的予測は不可能と言うことである。
別府ー島原地溝帯地震でも、今までの経験則から逸脱した特徴も見られたし、今までの知見の範囲で合理的に解釈できる特徴もあるだろう。
熊本県西原村では横ずれ断層と縦ずれ断層が同時に見られた。
昨日掲出した石黒耀『死都日本』の記述からも、かなり特異な現象であることが分かる。
⇒2016年4月27日 (水):石黒耀『死都日本』/私撰アンソロジー(42)

熊本地震の16日未明の本震で震度7の強い揺れが観測された熊本県西原村で、縦ずれの正断層と横ずれ断層が約2キロの間隔を置いてほぼ平行に走っているのを、東北大の遠田晋次教授(地震地質学)らの研究グループが確認した。同地震について、気象庁は地盤が南北方向に引っ張られる力で断層が横に動いた「横ずれ断層」型としているが、遠田教授らは、部分的に縦方向のずれが別の断層として現れたとみている。
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 遠田教授らが24日、国土地理院の航空写真に写っていた地表のひび割れを現地で調べ、断層と確認した。正断層は地盤が引っ張られた時に縦にずれ動く断層。同村では俵山の西斜面で、北西側が最大約1.5メートル落ちる形の縦ずれが2キロ以上延びていた。並走する横ずれ断層でも約1・5メートルの横ずれがみられたという。
 遠田教授によると、本震が起きた時、震源とされる布田川断層帯の地下の震源断層面に沿う形で横ずれと縦ずれが生じ、それぞれが別々に地表に現れたと考えられる。地震のエネルギーが大きかったためで、「スリップパーティショニング」と呼ばれる珍しい現象だという。
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熊本地震 西原村で縦ずれの正断層確認 東北大教授ら

科学的な予測が不可能であるというのに、「世界で最も厳しい安全審査基準に適合した」ことを錦の御旗とする安倍政権は、科学的思考も国民に対する責任感も欠落している。

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