川内原発抗告審批判/技術論と文明論(45)
九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の周辺住民らが再稼働差し止めを求めた仮処分申し立ての即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部は、住民側の申し立てを退けた。
東京電力福島第1原発事故後に策定された原発の新規制基準は「耐震安全確保の観点から、極めて高度の合理性を有する」と認定したものだ。
しかし「新規性基準に適合すなわち運転すべし」とは言えない。
審査基準のサイトには「これを満たすことによって絶対的な安全性が確保できるわけではありません」と明記されているのだ。
つまり必要条件ではあるが十分条件ではないということである。
⇒2016年2月 7日 (日):原発の安全性の必要条件と十分条件/アベノポリシーの危うさ(12)
もちろん絶対に安全ということなどあり得ない。
たとえ危険なものであっても、使うメリットの方が大きければ使うという判断はあり得る。
許容量の概念は、危険か安全かの境界として科学的に決定される量ではなくて、人間の生活という観点から、危険を「どこまでがまんしてもそのプラスを考えるか」という、社会的な概念として理解すべきである。
⇒2015年4月28日 (火):原発再稼働に関する2つの地裁判断/技術論と文明論(24)
特に火山噴火のリスクについての判断は不可解である。
川内原発は、桜島周辺の姶良(あいら)カルデラ(陥没)などに囲まれた、巨大噴火のなごりをとどめる“火山銀座”の内側にある。
火山の影響について裁判長は、巨大噴火の予測を前提とする規制委のリスク評価を「不合理」と指摘した。
ところが、原発の運転期間中に破局的噴火が起きる根拠がないとして、川内原発の立地が客観的に見て不合理だとも言えない、と断じている。巨大火山と共生する住民の不安には、まったくこたえていないと言っていい。
川内原発抗告審 福島の教えはどこへ
巨大地震では国は滅びないが、巨大噴火で滅びる場合があるとは、石黒耀『死都日本』講談社(2002年9月)の指摘するところである。
⇒2016年3月23日 (水):浜岡原発撤退の論理と倫理/技術論と文明論(42)
有名な天明の大飢饉も浅間山噴火が原因だった。
⇒2009年10月11日 (日):八ツ場ダムの深層(1)天明3年の浅間山大噴火
『死都日本』は、霧島が永い眠りから目覚めて噴火し、それに引き続き霧島火山群の母体というべき加久藤カルデラが破局的大噴火する、という設定である。
小説ではあるが、火山に関する蘊蓄が豊かである。
一歩 日豊 散歩
火山のリスクを軽視すべきではない。
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