日本古代史へ東アジアの視点・上田正昭京都大学名誉教授/追悼(81)
日本古代史研究の巨頭・上田正昭京都大学名誉教授が、13日亡くなった。
88歳だった。
兵庫県豊岡市城崎町に生まれた。
1950年京大文学部卒、京都府立高校教諭、京大助教授等を経て1971年京大教授に就任し、1991年名誉教授。
太平洋戦争を学徒として経験し、天皇制とは何か、成立過程を解明することから古代史研究が始まったという。初めての単行本である「神話の世界」(56年)や毎日出版文化賞を受賞した「日本神話」(70年)などで神話を手がかりにしたほか、中国の土着宗教である道教や仏教、日本の神道といった宗教、さらに神楽や舞楽などの古代芸能などを東アジアの中で比較しながら、幅広い視点で古代日本の成立について論じた。
「大和朝廷」(67年)では、日本の古代王権は単系で発展したのではなく、奈良県の三輪地域で4世紀前半に三輪王権が成立し、5世紀の河内王朝へと王権が受け継がれたとする河内王朝論を説いた。
古代の日本で朝鮮半島、中国大陸から渡来した人々が果たした役割を検証した「帰化人」(65年)で、戸籍がない段階に「帰化人」は存在しないと指摘したのがきっかけとなり、ほとんどの教科書が「帰化人」という言葉をやめて「渡来人」と表記するようになった。
中央の大和からみた中央史観ではなく、地域からの視点で歴史と文化を考えることを説き、江戸時代の朝鮮通信使や部落史の研究でも知られた。
訃報 上田正昭さん 88歳=京大名誉教授
最晩年の『日本古代史をいかに学ぶか』新潮選書(2014年9月)は、この分野では異例とも言うべき5万部のベストセラーになっている。
上田史学とも言われる学風は、偏狭で民族主義めいた「島国史観」から自由だった。
日本古代史を朝鮮半島や中国とのかかわりを通して、実像に迫るバランス感覚の優れたものだった。
「古代史」ではなく、総合的な「古代学」をめざす。最初にこの言葉を使ったのは、師である折口信夫だという。
「国学院時代は三年間、一番前の席で受講し、懸命にノートをとりました。先生はメモを手に歩きながら講義されるんですが、三年間で二回、『今日の講義は失敗です。ノートを破ってください』と言われたことがあります。それぐらい毎回、真剣勝負の講義をされたんですね」
敬愛する師は、国文学と民俗学を統合したが、自身は古代史や考古学、民俗学、文化人類学、言語学、東アジア研究なども幅広く視野にとらえてきた。
「古代史」から、総合的な「古代学」へ
日本古代史には謎が多い。
私は古田武彦氏等の異端も好きだが、この人の総合的なアプローチは、まさに王道ではなかろうか。
できれば沼津の高尾山古墳等に関する見解もお伺いしたかった。
合掌。
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