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2016年3月23日 (水)

浜岡原発撤退の論理と倫理/技術論と文明論(42)

このところスクープ連発の「週刊文春」だが、3月17日号に、池澤夏樹氏の『3.11を読む』という書評が載っている。
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取り上げられているのは、小松左京『日本沈没』、石黒耀『死都日本』、北野慶『亡国記』である。
いずれも、地学的な変動が日本国を滅亡の淵に追い詰めるというストーリーだ。
発行は『日本沈没』が1973年。
1970年の大阪万博を終え、成長という物語の末路が見えてきた時期である。
⇒2011年7月28日 (木):小松左京氏を悼む/追悼(13)
⇒2011年7月27日 (水):大阪万博パラダイム/梅棹忠夫は生きている(2)

亡国記』は2015年で、東日本大震災を体験した後である。
⇒2015年12月 3日 (木):核燃料サイクルは延命させるべきか/技術論と文明論(35)
⇒2015年12月25日 (金):高浜原発再稼働に慄然とする/技術論と文明論(38)

死都日本』はが2002年で、ワールド・トレードセンタービルへの航空機の突入という衝撃的な映像で幕を開けた新世紀になって間もない時期であり、変人・小泉純一郎政権の時期だ。
日本沈没』と『亡国記』は発行後さほど間がない時期に読んでいたが、『死都日本』は存在すら知らなかった。
仕事の危機的状態ともいうべき時期であったので、小説に目配りするゆとりがなかったのだと思う。

池澤氏の書評に触発されて、『死都日本』を読んでみようという気になった。
舞台は、鹿児島県と宮崎県にまたがる霧島連山である。
私は2012年の4月~5月に、約40日間、鹿児島大学病院霧島分院で過ごした。
評判のリハビリの施術を受けるためである。
申し込みをしてから半年位の待ち行列があり、それでも入院できたのは幸運だと言われた。
⇒2012年4月18日 (水):川平法に期待して再入院/闘病記・中間報告(41)

入院中に、沼津から観光がてら見舞いに来てくれた知人と、霧島周辺をドライブしたことがあった。
私の興味は日本神話のハイライトの1つである天孫降臨の候補地を見ておきたいということだった。
ニニギノミコトが降臨した地としては、九州南部の霧島連峰の一山である高千穂峰(宮崎県高原町)と、宮崎県高千穂町の双方に伝承がある。
⇒2012年4月19日 (木):入院しました/闘病記・中間報告(42)
⇒2012年7月 9日 (月):天孫降臨の高千穂峰/やまとの謎(66)

どちらの場所かなど決定しようもないが、せっかく一方の近くに来ているのだから行かない手はない。
昔、鹿児島通いをしていた時にも、台風で飛行機が飛べず、近くのホテルに待避したことはあったが、観光はしたことがなかった。

東日本大震災によってすっかり影が薄くなってしまったが、その直前は鹿児島連山の新燃岳の噴火の話題が全国区の関心事であった。
病院のスタッフから、病院付近にも降灰があったという話を聞いた。
湯煙に囲まれていて、リハビリ専門病院なので、風呂は温泉であって快適な入院だったと言えよう。
⇒2012年5月 8日 (火):火山活動との共生/花づな列島復興のためのメモ(62)

聖徳太子虚構論で有名な大山誠一氏の『天孫降臨の夢―藤原不比等のプロジェクト』NHKブックス(2009年11月)は、2010年に伊豆山中の回復期病院に入院中から気になっていた。
⇒2012年12月25日 (火):天孫降臨と藤原不比等のプロジェクト/やまとの謎(73)
霧島が活火山という認識はあったが、何でニニギは霧島に降臨したのだろうか?
神武天皇の東征の出発地も日向である。
神話には過去の歴史が投影されていると考えるのは自然である。

『死都日本』は、霧島連山が大噴火をして日本が滅亡する(かも知れない)というSFである。
著者名の石黒耀は、石器の材料として有名な黒曜石のアナグラム(文字の入れ換え)である(黒曜石は黒耀石とも表記される-Wikipedia)。
沼津市文化財センターの池谷信之氏が、黒曜石の研究で、2011年の日本考古学協会賞大賞を受賞したという新聞記事を読んだことがある。
また、沼津高専の物質工学科望月研究室は黒曜石研究で有名である。
また沼津工業高等専門学校(沼津高専) 物質工学科望月明彦研究室は、蛍光X線分析を用いた黒曜石の産地同定の研究で知られる。
その意味で、沼津は黒曜石研究のセンターと言ってもいいだろう。
⇒2011年6月26日 (日):沼津は黒曜石研究のセンター

長野県の霧ヶ峰高原東北端に位置する鷹山は黒曜石の原産地である。
そこの星糞峠という奇妙な名前の峠付近に「黒「耀」石体験ミュージアム」がある。
約27万年前の噴火でできた黒曜石は、考えられない位の広い交易圏を持っていた。
⇒2012年9月19日 (水):黒曜石の産地を訪ねる

石黒耀氏はもちろん沼津とは無関係である。
広島県生まれで兵庫県で育ち、現在は大阪府で内科勤務医をしている(Wikipedia)。
つまり本業は医師である。
少年時代から火山に魅了され、宮崎大学医学部卒とあるから、霧島は熟知している。
『死都日本』は処女作であるが、メフィスト賞というエンタテインメント作品を対象とした文芸賞の第26回(2002年)受賞作である。
また日本地質学会から表彰され、宮沢賢治賞奨励賞も受賞している。
宮沢賢治は羅須地人協会という私塾を作ったほど地質学にのめり込んだことが有名である。

つまり石黒氏は本格的な地質学の造詣をバックグランドとしているのである。
それは、火山学者によって、本書のタイトルを冠したシンポジウムが開かれたということでも分かる。

霧島火山の下に眠る加久藤カルデラが30万年ぶりに巨大噴火(破局的噴火)し、南九州は火砕流に飲み込まれて壊滅する。
本州でも大量の降灰で交通・ライフラインが途絶して、日本国は1日のうちに存亡の危機に瀕するという物語である。
東日本大震災によって、地学的な破壊力を目の当たりにしたので、『死都日本』の描写は決して大げさとは思えない。
御嶽山噴火の様子は至近距離でビデオに撮されたが、火山噴火の規模としてはささやかなものだ。
本書を読めば、日本列島は原発不適であると認めざるを得ないだろう。

なお、本書が出版されたのは、もちろん「3.11」以前であるが、川内原発の危険性ついても触れられている。
しかし、「3.11」を体験しても、何事も無かったかのように再稼働されている。
静岡県の浜岡原発は、東海地震の想定震源域の真上にあるが、再稼働の準備を進めている。
薩摩川内市で、原発周辺の放射線監視装置(モニタリングポスト)のうち、ほぼ半数の48台中22台が事故発生時の即時避難の基準となる高い放射線量を測定できないというニュースがあったばかりだ。

 昨年再稼働した九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県薩摩川内市)周辺の放射線監視装置(モニタリングポスト)のうち、ほぼ半数の四十八台中二十二台が事故発生時の即時避難の基準となる高い放射線量を測定できないことが、同県への取材で分かった。監視態勢が不十分なまま、再稼働したとの批判が出そうだ。
川内原発周辺 装置の半数、即避難線量を測れず 監視不十分で再稼働
自然をなめているとしか思えない。
恐ろしいことではなかろうか。

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