認知症の監督注意義務について/アベノポリシーの危うさ(29)
認知症の人の家族あるいは介護関係者が注視していたJR事故の最高裁判断が示された。
2007年愛知県大府市のJR共和駅構内で、91歳の男性が列車にはねられて死亡した事故である。
JR東海はこの事故で受けた損害の賠償を遺族に求めた。
一審、二審では賠償責任が認められたが、最高裁で個別の事情を勘案すべきとの理由から賠償責任はないと判断されたのである。
東京新聞3月2日
論点は多いが、いわゆる市民感覚に沿った判断であろう。
民法では責任能力の無い者の不法行為による損害は、法的監督義務者が賠償責任を負う旨定められている。
事故の当事者の91歳の男性に責任能力が無いことは明らかであるが、直接介護をしていた当時85歳の要支援の妻や遠隔地に住む子供の監督義務が問われた。
JR東海が損害を受けていることは事実であるが、その賠償を遺族がどこまで負うべきであろうか?
最高裁は、個別の事情を勘案すべし、ということであって、このケースでは遺族の責任はないとされた。
加齢と共に認知能力が衰えるのは避けられないことであり、超高齢社会に入った現在、認知症は重大な社会問題である。
有吉佐和子さんが老人介護を扱った『恍惚の人』を発表したのは1972年であり、まだ「上げ潮」の時代だった。
その問題意識の先駆性は並のものではない。
有吉佐和子、曽野綾子、原田康子、山崎豊子さんらが文壇を席巻し、文芸評論家の臼井吉見氏をして「才女時代」と言わしめたのが1957年である。
曽野さんをを除き皆鬼籍に入られた。
曽野さん独り健筆を振るっておられるが、1月24日付の産経新聞に「利己的な年寄りが増えた」という文章を発表して、論議を呼んだ。
以下は同趣旨の「週刊ポスト2月12日号の『高齢者は「適当な時に死ぬ義務」を忘れてしまっていませんか?』を参照する。
曽野さんは「~~し倒す」、つまり制度が倒れるまで持っている権利を使い尽くすという風潮を批判する。
しかし私もれっきとした高齢者であるが、「~~し倒す」というような意識を持った高齢者は例外ではないか。
もちろん極論を考えてみるという思考方法はあり得るが、あくまでシミュレーションである。
むしろ救急車を呼ぶのが気が引けるというような人の方が一般的であろう。
確かに曽野さんはお元気のようで、救急車の世話にもなっていないようだが、救急救命の社会的しくみを使うこと遠慮するようであってはマイナスである。
私の脳卒中の体験からしても、早ければ早いほど軽度で済む。
疑わしい時は迷わず救急車の世話になるべし、というのが私の意見である。
手当が遅れて寝たきりになるよりも、社会的コストも安くなる。
⇒2010年4月18日 (日):闘病記・中間報告(4)初動対応と救急車の是非
2025年には団塊の世代が後期高齢者入りを完了する。
その時点で高齢者の5人に1人、7百万人が認知症になると予測されている。
先日「保育園落ちた。日本死ね」というネット上の書き込みが国会でも話題になったが、保育と高齢者介護という人生の始期と終期の問題が大きな課題になっている。
共通するのは、当事者性が弱い存在だということである。
アベノミクスの第2ステージとして示された「新三本の矢」の的にも文言としては取り上げられている。
しかし空中を飛んでいく矢のように、地に足がついていない。
企業で企画書としてプレゼンを受けたら、却下されるのは必至である。
知能ロボットの可能性が取りざたされているが、保育も介護も、基本は人の充実である。
現場に使命感を持った人が存在し、その人たちの献身によって支えられている。
しかし共に恵まれない待遇にあることもよく知られた事実である。
川崎市の老人ホームは例外であろうが、夜中に90回もコールされる勤務は何とかしなければならないだろう。
親などの介護を理由に退職する人は年間10万人に上り、しかも働き盛りが多い。
安倍晋三首相が「介護離職ゼロ」打ち出したが、現に行っていることは介護報酬のカットである。
介護職員が損害賠償のリスクに脅えるようでは健全な社会とは言えまい。
介護に対する社会的考え方を刷新していく必要がある。
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