二・二六事件と国家緊急権/アベノポリシーの危うさ(27)
1936(昭和11)年2月26日、陸軍の青年将校らが決起して下士官・兵を率い、首相官邸や警視庁をはじめ政府首脳や重臣の官・私邸を襲撃した。
「二・二六事件」である。
⇒2011年2月26日 (土):歴史としての「二・二六」
今日でちょうど80年である。
昨年は戦後70年であったが、「二・二六事件」から敗戦まで、わずか9年だったということに改めて、時代が急速に転換していったことを感じる。
この事件では、首相官邸で岡田啓介首相と誤認された義弟の松尾伝蔵(首相秘書・海軍大佐)が射殺されたほか、大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斎藤実(いずれも首相経験者)、陸軍の教育総監・渡辺錠太郎が殺害され、宮内省の侍従長・鈴木貫太郎(太平洋戦争末期の首相)が重傷を負った。また別働隊により神奈川県湯河原に滞在中だった前内大臣の牧野伸顕も襲われたが、難を逃れる。襲撃後、決起部隊は日本の政治・軍事の中枢である永田町および三宅坂一帯を占拠、この異常事態を受け、翌27日には東京市に戒厳令が公布される。
昭和天皇は事件勃発を知らされたときより、信頼していた重臣らが殺されたことに激怒し、決起部隊の鎮圧を求めている。しかし陸軍は、軍内部で決起集団に同情的な空気が強かったこともあり、なかなか鎮圧に動こうとしなかった。勅命(天皇の命令)を受けて戒厳司令官より反乱鎮定の命令が発せられたのは、事件3日目の28日である。翌日には決起部隊が包囲され、同時にラジオ放送やアドバルーンなどを通じて下士官・兵に帰順が呼びかけられた。これにより事件はようやく収束を見る。青年将校の大半はその後、事件に連座した西田税(みつぎ)、黒幕と見なされた北一輝といった国家主義者らとともに処刑された。
今日で80年。改めて振り返る二・二六事件とは何だったのか
たしかに事件後に発足した広田弘毅内閣では、軍部大臣現役武官制をはじめ、軍部の政治介入の手段となりうる制度変更が行なわれた。事実、陸軍はこれを悪用し、広田の後任に選ばれた宇垣一成の組閣の際に大臣を出さず、政権発足を阻んでいる。しかし、この結果生まれた林銑十郎内閣は、1937年5月に議会勢力との対立に敗れ、発足からわずか4カ月で退陣している。
今日で80年。改めて振り返る二・二六事件とは何だったのか
安倍政権が戦前回帰の色合いを強めている。
堂々と改憲を主張し、国家緊急権の必要性を云々している。
しかし、国会の機能を停止すれば、ナチスのような独裁国家になっていくことは火を見るよりも明らかであろう。
東京新聞2月26日
このような改憲は絶対に阻止しなければならない。
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