沼津自由大学というトライアル/戦後史断章(23)
敗戦の翌年の昭和21(1946)年、沼津中学(現沼津東高)の昭和8年卒業生の同窓会が、開かれた。
同期生の少なからぬメンバーが戦死していた。
生き残った会員の中から、祖国と郷土の再興を誓う声が上がり、その根本は文化運動ではないかということになった。
同窓会は、「昭八会」と名付けられ、具体的な活動が始まり「沼津自由大学」と名付けられ、第1回が7月7日から14日にかけて連続講演会が開かれた。
講師には、各界の超一流人が名を連ねた。
沼津史談会という集まりで、同会の会員でもあり昭八会のメンバーでもある矢田保久氏(100歳)が講演する予定だったが、当日体調がすぐれずピンチヒッターが立ったが、当時の資料などを閲覧することができた。
交通事情も良くない中で、よくこれだけの講師陣を揃えたと感嘆する。
昭八会の会員に朝日新聞の東京本社の記者がおり、そのツテを生かしたことが大きいだろう。
その他に、沼津中学の美術の教師を務めていた前田千寸(ゆきちか)という人の存在が大きかった。
沼津中学は、芹沢光治良、井上靖、大岡信という3人のペンクラブ会長を出している。
3人ともが、前田の薫陶を受けている。
『黯い潮』『夏草冬涛』(井上靖)、『人間の運命』(芹沢光治良)等の作品には前田千寸をモデルとした人物が登場している。
例えば、井上靖は、『青春放浪』で次のように書いている。
この教師に、私は終戦後に、中学卒業以来初めてあって、彼が『日本色彩文化史の研究』という大著に取り組んでいることを始めて知った。私たちが中学生であった当時、前田さんはこの終生の仕事に既に取りかかっていたのであった。
私は「黯い潮」という小説にその旧師の仕事を書かせてもらった。前田さんの仕事は河出書房から出た『むらさき草』という書物としてみのり、毎日出版文化賞を受けた。そして更に全部の仕事が岩波書店から出た『日本色彩文化史の研究』という大著として完成した。
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