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2016年1月14日 (木)

『母と暮らせば』と複素的な世界観/戦後史断章(24)

山田洋次監督の『母と暮らせば』は、山田監督の「70年談話」に相当するものと考えられよう。
「戦後70年」だった昨年は、さまざまな議論が交わされた。
中でも、安倍首相は入念な準備の上に談話を発表した。
⇒2015年8月15日 (土):安倍首相の「70年談話」を読む/日本の針路(213)
その評価は人によってさまざまであろうが、「戦後レジーム」の否定は彼の一貫した主張である。
「戦後」とひと言で言うけれど、もちろん戦争があっての「戦後」である。
多くの戦死者、戦傷者、あるいは難民となた人々の上に戦後はある。

『母と暮らせば』は、井上ひさしさんに捧げたオマージュである。
井上ひさしさんの、『父と暮らせば』は、広島の原爆で死んだ父と生き残った娘との物語である。
『母と暮らせば』は、舞台を長崎に移し、死んだ息子・浩二(二宮和也)と生き残った母・伸子(吉永小百合)に変えた。
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http://hahatokuraseba.jp/

長崎医大の学生だった浩二は、8月9日に大学の講義を受講中に、原爆で一瞬のうちにこの世から消えてしまう。
原爆の爆風で浩二の使っていたインク瓶が変形して溶けていく映像が印象的だ。
物語は、亡霊の浩二と母の会話を軸として進む。

実の世界と虚の世界があるという考え方がある。
実軸と虚軸で構成される複素平面的世界観とでも言えよう。
虚軸は不可視ではあるが、深層の世界で作用している。
Photo
【色即是空】の意味

浩二は亡霊であるから、浩二との会話は虚の世界である。
母の心の中の出来事とも考えられる。
もちろん虚の世界だけでなく、実の世界も描かれている。

実の世界の登場人物には、浩二の恋人だった町子(黒木華)や「上海のおじさん」(加藤健一)、町子と結婚することになる黒田(浅野忠信)などである。
町子は親身になって伸子の世話をしているが、伸子の「浩二のことはもう忘れて、いい人がいたら結婚しなさい」という説得を受け入れて、復員した同じ学校の教師の黒田と結婚する。
黒田は戦争で負傷した障害者で、戦争の犠牲者の一人である。

町子と黒田を結びつけるのは、浩二が遺したメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のレコードである。
甘く切ないメロディが効果を上げている。
「上海のおじさん」は闇市で逞しく商売するフーテンの寅さんのような人物である。
井上ひさしさんは、一時期浅草で渥美清と一緒に仕事をしていたことがあり、山田洋次監督の両者への思い入れの一端が窺われる。

昨年は1年を通してテロの印象が強かった。
理不尽なテロに屈してはならないだろうが、テロに対する戦いとしての空爆が解決の手段になるのだろうか?  
現在も、空爆によって多数の無辜の市民が犠牲になっている。
広島・長崎への原爆投下は、その極限的なものである。
また、ヨーロッパに逃れた大量の難民は、新たな問題の火種になっている。
負の連鎖である。

今年も年初から、サウジアラビアとイランの国交断絶や北朝鮮の水爆(?)実験など、世界は不穏な雰囲気に包まれている。
安倍晋三政権は、積極的平和主義を標榜して、集団的自衛権を軸とする安保法を成立させた。
他国の戦争に介入することが積極的平和とは、普通の感覚では理解しかねる。
常識的な平和主義に戻る年でありたい。

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コメント

他国の戦争に介入することが積極的平和とは、・・・おことばは、全く正しいと思います。
『母と暮らせば』は観ていませんが、音楽を坂本龍一さんが担当しているのですよね。 反原爆(原発)、反戦争、という考えを真っ直ぐに持つ芸能人が集まってつくった映画、ということに、観ていないけれども、心に救いを得たような気持ちが既に、あります。これが、日本人の総意だと、私は、誰もがそう思うものと思いたいのですが、
いやはや、首相があんな風で、そして、けして少数ではない国民が、平和をデタラメに言う。
様々なデタラメがあっても、戦争と平和を、デタラメにしては、それこそ、世界の終わり、ではないかと思います。

投稿: 五節句 | 2016年1月19日 (火) 17時19分

五節句様

コメント有り難うございます。
是非ご覧下さい。発症後特に後遺症の感情失禁もあって、ボロボロ涙を流してしまいました。
テロ、難民の問題は難しいですが、現在の状況が良いとは多くの人が思ってはいないはずです。今日よりは明日の方が希望が大きくなるような世界であって欲しいと思います。

投稿: 夢幻亭 | 2016年1月20日 (水) 14時41分

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