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2015年12月21日 (月)

バブル経済と名門企業の退場/戦後史断章(22)

戦後の経済でバブルと呼ばれるのは、Wikipediaで、次のように』説明する時期である。

バブル景気(バブルけいき)は、景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。情勢自体はバブル経済と同一であり、平成景気(へいせいけいき)や平成バブル景気(へいせいばぶるけいき)とも呼ばれる。日本国政府の公式見解では数値上、第11循環という呼称で、指標を示している。
ただし、多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのはブラックマンデーをすぎた1988年頃からであり、政府見解では、1992年2月までこの好景気の雰囲気は維持されていたと考えられている。

東京新聞の連載『甦る経済秘史(8)日銀「空白の1年」 バブル経済狂乱を放置』に次のような記述がある。

 一九八八年。住宅は次々マンションに、山はゴルフ場に変貌。東京圏の住宅地地価は一年で七割上がった。一軒三十一億円の建売住宅が売り出され、五百万円前後の日産自動車のシーマに予約が殺到。経済成長率は7%を超えていた。
 背後にいたのは銀行。土地を担保にどんどん金を貸した。
 「無担保なら五千万円、有担保なら五億円まで貸します」。日銀調査統計局長だった南原晃(82)の家にも銀行員が訪れ、不動産投資を勧誘。南原は「地価が崩れたらどうなるのか」と警鐘を鳴らすリポート作成に着手した。
 「銀行も証券もたがが外れて、めちゃくちゃに走ってる」。調査担当理事・鈴木淑夫(84)に、営業担当理事の佃亮二(84)は不安をぶつけた。
 だが「円卓」の座につけば皆、下を向き沈黙した。
 「総裁も副総裁も動けないのが分かっているのに、利上げを話題に出すこと自体、大人げない感じがあった」と鈴木が円卓の状況を証言する。米国の経常赤字削減のために円高を決めた八五年のプラザ合意を受け、日銀は景気への打撃を和らげようと2・5%まで利下げ。八七年には副総裁の三重野康が物価を簡単に火がつく「乾いた薪」に例えて利上げを探る。だが、十月に米国で株が急落する「ブラックマンデー」が発生。金融恐慌を警戒する米国に配慮、大蔵省は利上げをとどまるよう強力に圧力をかけていた。
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この時期、多くの名門企業が取り返しのつかない傷を負った。
日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、山一證券、三洋証券等々である。
⇒2008年7月19日 (土):旧長銀粉飾決算事件
⇒2009年1月26日 (月):長銀粉飾決算事件再考
⇒2009年1月27日 (火):長銀粉飾決算事件再考②

バブル期を代表する人物に故高橋治則氏がいる。
イ・アイ・イ・インターナショナルの社長として、リゾート施設を中心に総資産1兆円超の企業グループを構築した人である。
背任容疑で東京地検特捜部に逮捕・起訴されていたが、東京高裁より懲役3年6ヶ月の実刑判決を受け、最高裁判所に上告中の2005年クモ膜下出血により59歳で死去した。

高橋氏と親密交際が問題視されたのが、大蔵省主計局次長などを務めた中島義雄氏である。
1997年、京セラ入社して、京セラミタ専務、京セラ北京代表所首席代表等を経て、2005年、船井電機取締役兼執行役副社長に就任した。
その後、2009年にセーラー万年筆に常務取締役として入社し、12月に前社長死去に伴い社長に就任した。
最近、社長を解任されたことがニュースになった。

老舗の文具メーカー「セーラー万年筆」の社長交代をめぐり、会社側と前社長が対立する異例の事態となっている。同社は12月12日、代表取締役社長だった中島義雄氏が「代表権のない取締役」となり、代わりに比佐泰取締役が代表取締役社長になるという決議を、取締役会でおこなったと発表した。その2日後、この決議が、中島氏を除く4人の社内取締役による「社長解任」だったことが明らかにされた。
一方、中島氏は12月14日、「社長解任の決議は無効」として、社長の地位の確認を求めて、東京地裁に仮処分を申請した。そのような動きに対して、セーラー万年筆はウェブサイトで、中島氏の社長としての行動に問題があったので他の社内取締役たちが辞職を求めたが、拒否されたために社長解任を決議した、という経緯を説明。定時取締役会における解任決議の手続に問題はなく、有効であると主張している。
セーラー万年筆「社長解任劇」が話題

バブル経済を「概ね不動産や株式をはじめとした時価資産価格が、投機によって経済成長以上のペースで高騰して実体経済から大幅にかけ離れ、しかしそれ以上は投機によっても支えきれなくなるまでの経済状態を指す」(Wikipedia)としたら、現在もそうではないか、という気がする。

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