高浜原発再稼働に慄然とする/技術論と文明論(38)
福井地裁が、12月24日関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を認めた。
運転差し止めを命じた4月の仮処分決定とは真逆の判断である。
⇒2015年4月15日 (水):福井地裁が高浜原発再稼働に不許可の仮処分/日本の針路(137)
司法は国策に逆らえないのか?
そして、これから原発再稼働が加速されていくのか?
慄然とする思いを禁じ得ない。
あたかも北野慶『亡国記』現代書館 (2015年8月)を後追いするかのような展開である。
核燃料サイクルが破綻した状態で原発再稼働を進める論理とはどういうことか?
⇒2015年12月 3日 (木):核燃料サイクルは延命させるべきか/技術論と文明論(35)
⇒2015年11月 6日 (金):もんじゅは廃炉にして原発政策を見直すべき/原発事故の真相(135)
誰も責任を負えないのにも拘わらず、GOサインを出すのは無責任の極みではなかろうか。
⇒⇒2015年11月 6日 (金):もんじゅは廃炉にして原発政策を見直すべき/原発事故の真相(135)
規制委は2月、高浜原発33、4号機を新規制基準に適合しているとした。
しかし、原子力規制委員会の田中俊一委員長は、かねてより審査について「稼働に必要な条件を満たしているかどうかを審査したのであって、イコール事故ゼロではない」と述べている。
⇒2014年12月18日 (木):原発は審査基準に適合すればOKか?/原発事故の真相(122)
田中委員長は、必要条件と十分条件を区別しているのだ。
⇒2015年8月14日 (金):原発再稼働とメディアの姿勢/原発事故の真相(133)
百歩譲って、福井地裁の判断を認めるとしよう。
裁判所は事業者の取った対策が「新規制基準に適合する」という規制委の判断を「合理的」としただけである。
今回の判断でも、「過酷事故の可能性がまったく否定されたものではない」と、はっきり述べている。
東京新聞12月25日
新基準そのものの適否はどうなのか?
福井地裁の4月の「新規制基準は合理性を欠く」として、周辺住民が求めた再稼働差し止めを認める決定を下していたは、否定されたわけではない。
そもそも規制への適合は、必要条件であって、十分条件ではないのだ。
政府および事業者は、必要条件ではなく、必要性について納得できる論理を示すべきだ。
これは論理的思考の基礎である。
永野裕之『数学的ロジカルシンキング』SCC(2015年9月)
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