紅葉の永観堂/京都彼方此方(10)
今年の紅葉シーズンも間もなく終わる。
紅葉の名所は全国にあるが、京都にも数多い。
先日、若い女性と話をしていて、「大覚寺がいちばん!」と言われた。
そう言えば昔流行った「女ひとり」という歌に、次のような一節があった。
京都 嵐山 大覚寺
恋に疲れた女がひとり
塩沢がすりに名古屋帯
耳をすませば滝の音
京都 嵐山 大覚寺
恋に疲れた女がひとり
作詞:永六輔、作曲:いずみたく、歌唱:デューク・エイセスである。
私も京都の紅葉について、ベスト10を考えてみた。
東福寺、三千院・・・
しかし永観堂を外すわけにはいかないだろう。
永観堂は、有名な哲学の道にある。
哲学の道は、明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。
その後、京都学派の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが散策したため「哲学の小径」と云われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。
1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになった。
永観堂の正式名称は聖衆来迎山無量寿院禅林寺というが、中興の祖永観律師にちなみ、「永観堂」と呼ばれている。
http://www.eikando.or.jp/keidaizu.pdf
秋を三人椎の実なげし鯉やいづこ池の朝かぜ手と手つめたき
明治33年(1900年)11月、晶子は山川登美子、与謝野鉄幹と共に永観堂で紅葉を賞でた。
晶子と登美子とはそれぞれに若い師鉄幹に思いを寄せていたライバルであった。
登美子は義理人情のしがらみの中で郷里の男と結婚せざるを得なくなって、晶子は鉄幹と結ばれた。
遠く若狭へ去った登美子を思い、詠んだ歌である。
『みだれ髪』所収
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