裁判員制度と統計的過誤/知的生産の方法(137)
オウム真理教の菊地直子元信者に対し、東京高裁は無罪判決を言い渡した。
懲役5年とした一審判決を破棄したもので、衝撃が広がっている。
東京新聞11月28日
一審の東京地裁では、井上死刑囚から爆薬をみせられた際に菊地被告が「頑張ります」と応じたとして、殺人ほう助罪で有罪とされ、懲役5年の判決が出ていた。
しかし、菊地被告は一貫して無罪を主張し、運んだ薬品については「農薬をつくる実験に使われると思っていた」として否定した。
東京高裁の大島隆明裁判長は、一審で有罪の根拠となった井上死刑囚の証言を信用できないとして、一審の判決を取り消し、無罪を言い渡したのである。
菊地被告は、事件後17年間逃亡生活を続けいたが、2012年に逮捕された。
逃亡の事情を考えると、一審の判断も理解できる。
全国指名手配されている中で逃亡していたのだから、指名手配は何だったのかと思うが、それは擱いておく。
一審が裁判員裁判であったことをどう考えるか?
もちろん東京高裁では、法理的な解釈をより厳密にしたのだと考えられる。
教団の実行犯が人を殺傷するテロ行為を行うことを菊地元信者が認識して手助けしたと認めるには、合理的な疑いが残ると言わざるをえない。
つまり、疑わしきは罰せずということだ。
それは基本的にはいいことだと考える。
万が一にも冤罪の発生は防ぐべきだ。
もし、神のような存在がいたとして、実際の判決を評価することを想定する。
誤審には、次の2つのケースが考えられる。
1.本来有罪にすべきを無罪とする
2.本来無罪にすべきを有罪にする
冤罪は、2の場合である。
統計的判断における第一種の過誤、第二種の過誤である。
神ならぬ人間が裁判をするのであるから、過誤は避けられないとしても、冤罪だけは防ごうという法理である。
一般人が審理・判決に参加する裁判員制度に無理があるのではないだろうか?
⇒2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問
⇒2009年4月22日 (水):証拠判断と裁判員制度
⇒2009年6月 6日 (土):冤罪と裁判員制度
⇒2015年2月 6日 (金):最高裁の判断は裁判員制度の趣旨と矛盾しないか/日本の針路(104)
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