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2015年10月10日 (土)

超高齢社会と「一億総活躍社会」/日本の針路(243)

改造内閣の目玉である「1億総活躍社会」の担当相に加藤勝信が就任した。

 「1億総活躍社会」の実現に向けて、首相は担当相の下に「国民会議」を設置するとともに、「日本1億総活躍プラン」を策定する方針。政府は、国民会議の運営などに当たる事務局の規模や人選について調整を進めている。
 しかし、「1億総活躍」に向けて首相が打ち出した「新3本の矢」のうち、「強い経済」については、経済再生相との役割分担がはっきりしていない。残る「子育て支援」と「社会保障」についても、政府内からは「厚労省と似た組織をつくるなら効率が悪いだけ」(官邸筋)との声が漏れる。
 首相は昨年9月に第2次改造内閣を発足させた際、看板ポストとして地方創生担当相を設け、石破茂氏を起用すると同時に、地方創生の司令塔として、首相を本部長とする「まち・ひと・しごと創生本部」を発足させた。政府関係者は「『まち・ひと・しごと』は新しい試みだったが、『1億総活躍』は既にやっている取り組みも多い」と指摘する。
1億総活躍相、実効性が課題=スローガン先行で「非効率」

しかし、そもそも「1億総活躍社会」」をどう理解するのか?
エッセイストの小田嶋隆氏は、「日経ビジネスオンライン」誌の連載で次のように書いている。

 国民を「一億」という数字を以ってひとつの集合として扱うのは、戦前の語法だ。控えめに言っても、「一億」で「全国民」を含意するものの言い方は、昭和のレトリックではある。
 であるから、この言い方は、「一億」の中にある「個性」を捨象し、一人ひとりの個々の国民が備えている「多様性」や「個別性」をきれいに黙殺する結果をもたらす。
 つまり、「一億」は、一国の国民をひとかたまりの粘土のごときものとして扱う人間が使う接頭辞で、その言葉で名指しされた国民は、個人の顔を喪失せざるを得ないのである。
 結果、「一億総活躍社会」は、語感として「一億総決起」とほぼ同義の言葉に着地する。
 いっそ「一億総蹶起」と古い漢字を使いたくなるほどだ。
・・・・・・
 「一億総◯◯」という言い方には、強い圧力がある。
 具体的に言えば、「一億総◯◯」と言ってしまった瞬間に、◯◯でない人たち、すなわち少数者への排除圧力が生じるということだ。
「一億総健康社会」
「一億総前向き社会」
 一見、素晴らしい社会のようでもある。
 が、健康でない人間、前向きに考えることができない人間はどうしたら良いのだ? そういう人間は社会にいてはいけないということなのか?
 「◯◯」を「活躍」に変えても同じことだ。「一億総活躍社会」は、「すべての国民が活躍する社会」である一方で、「活躍できない人間が居場所を失う社会」でもある。
「一億総活躍社会」を総括する

私も同じような感じを受けた。
⇒2015年10月 1日 (木):「女性の活躍」=出産と考える愚/日本の針路(236)

私などのようにリタイア世代にはイヤミに聞こえるのは僻みが入っているにしても、半年ばかりの入院生活の間、近未来の社会像を見た経験からすれば、入院患者や鬱で休職中の人たちがどういう思いでこのスローガンを目にするだろうか、ということが気になる。
社会の中には、活躍できない人間が必ず含まれているのであり、団塊世代が後期高齢者になる10年後の2025年には700万人の認知症が予想されている。
Photo_2
認知症とは!①   
「一億総活躍社会」の前に、社会保障政策を充実すべきだろう。
小田嶋氏の次の言葉に共感する。
社会とは、異質な人々が、その異質さを互いに容認し、補完しながら、全体としてひとつのネットワークを形成して行くものだ。

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