« 超高齢社会と「一億総活躍社会」/日本の針路(243) | トップページ | 難民問題にどう対処するのか?/世界史の動向(36) »

2015年10月11日 (日)

明石海人@千本松原/文学碑を訪ねる(2)

明石海人の名は、どの程度知られているのだろうか?
私は知人に研究者がいるので比較的詳しく知っているが、一般には余り知られていないのではなかろうか。

明石海人(本名:野田勝太郎)は沼津市に生まれ、沼商から師範学校をへて、教職に付き、結婚し、長女が生まれ、これからという26歳の時にハンセン病を発病します。
名を捨て、家族もすて(素性を隠し)明石楽生病院から長島愛生園での療養生活をしいられます。32歳で長島の地に来た海人はかなりの病状悪化にもかかわらず、短歌を勉強し、34歳ごろから短歌を発表しその才能が開花しますが、歌集「白描」を世に出した年、昭和14年、37歳の短い生涯を閉じました。
慟哭の歌人とは・・・

沼津の千本松原の中に歌碑がある。
1

2

3

4

さくら花かつ散る今日の夕ぐれを幾世の底より鐘のなりくる
ゆくりなく映画にみればふるさとの海に十年のうつろいはなし
シルレア紀の地層は沓きそのかみを海の蠍の我もすみけむ

3首が建っている。
出身の沼津商業高校の同窓会には、「明石海人の会(瀬川裕市郎代表)があって、活発に活動している。
同校の校庭にも歌碑があるが、9月28日、説明板が設置された。
Ws000000_3
沼津朝日新聞10月1日

|

« 超高齢社会と「一億総活躍社会」/日本の針路(243) | トップページ | 難民問題にどう対処するのか?/世界史の動向(36) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

文学碑を訪ねる」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 明石海人@千本松原/文学碑を訪ねる(2):

« 超高齢社会と「一億総活躍社会」/日本の針路(243) | トップページ | 難民問題にどう対処するのか?/世界史の動向(36) »