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2015年10月 8日 (木)

裁判制度は何を改革すべきか/日本の針路(241)

名張毒ぶどう酒事件で無罪を訴え続けてきた奥西勝死刑囚が、10月4日獄死した。
事実上の終身刑だったと見ることもできる。
冤罪なのかどうかは分からないが、少なくともその疑いは否定できないままだった。

名張毒ぶどう酒事件とは、1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾地区の公民館で起きた毒物混入で5人が死亡した事ある。
容疑者として逮捕・起訴された奥西勝さんは死刑判決が確定していたが、冤罪であるとの主張と、支援者らによる合計9回にわたる再審請求がなされていた。
再審請求中は刑の執行が行われないことから、確定死刑囚のまま収監され続け、刑が執行されることなく89歳で死亡した。

有罪あるいは再審請求の論拠はどういうものか?

Photo_2 事件当時、飲み残りのぶどう酒からどのような毒物が検出されるかということについて、三重衛生研究所においてペーパークロマトグラフ試験がおこなわれた。
 その結果、飲み残りのぶどう酒からは0・58スポットが出なかったが、対照用のニッカリンTからは0・58が検出された。その理由について当時は、成分は何かわからないが、飲み残りのぶどう酒は事件発生から丸1日以上経過しているので、加水分解して消失したのではないかという理由で、飲み残りのぶどう酒に入れられたテップ剤はニッカリンTであると結論付けた。
 しかし近年になって分析したところ、0・58スポットはトリエチルピロホスフェートであり、その加水分解速度はTEPPより遅く、TEPPが検出されている以上、加水分解は理由にならないことが明らかとなった。
 そうした場合、飲み残りのぶどう酒に入れられたテップ剤はニッカリンTではないことになり、ニッカリンTしか所有していなかった奥西勝さんは犯人ではない(持っていない凶器で人を殺すことはできない)ということが明らかとなり、2005年の「再審開始」決定につながっていった。
名張毒ぶどう酒事件

冤罪の可能性を消せぬまま、奥西死刑囚を獄死させてしまったことは、司法のあり方に疑問を投げかけるものといえよう。
冤罪というのは、統計的判断でいう「第1種の過誤」で、悪いことをしていないのに、悪いことをしたと判断されることである。
これに対し、「第2種過誤」は、悪いのに悪くないと判断することである。
刑事的分野では、「第2種の過誤」の可能性があったとしても、「第1種の過誤」は絶対に避けなければならない。

今までいく例か冤罪が明らかにされた。
名張毒ぶどう酒事件でも、津地裁の一審は無罪だった。
再審請求で一度は高裁が再審開始を認めたことは、有罪の立証が不十分であることを窺わせるものである。
最高裁が判決を見直す姿勢を見せなかったのは不可解である。

無罪の証明は、原理的に難しい。
無いものを証拠をもって示すことは、不可能ともいえる。

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