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2015年10月27日 (火)

素粒子論の発展と日本人(2)/知的生産の方法(131)

原子が物質の最小単位であるという考え方は、ドルトンによって装いを変えたが、それでは説明が難しい現象が出てきた。
18世紀後半から19世紀前半にかけて化学の発展に伴い元素が数多く発見され、1789年にアントワーヌ・ラヴォアジエが作成したリストでは33個の元素が記載された。
1830年までにその数は55種まで増え、それとともに化学者の中には漠然とした不安が持ち上がっていた。
元素は一体何種類あるのか、そしてこの増えるばかりの元素には何かしらの法則性が隠されていないのだろうかという疑念である。

ドイツのアウグスト・ケクレは、原子量や分子量などの概念が固まっていないことを問題視し、1860年にカールスルーエで「元素の質量測定」を命題とした史上初の国際化学者会議を開催した。
この会議に出席したロシアメンデレーエフは、1869年に化学の教科書を執筆していた際、当時63個まで発見数が増えていた元素を説明する方法に悩んでいた。
彼は好きなカードゲームから発案し、元素名を書き込んだカードを何度も原子量順に並べ替えることを繰り返す内にひとつの表を作り上げた。
それは原子価を重視し、かつ適切に当てはまる元素が無い箇所は「エカホウ素」「エカアルミニウム」「エカケイ素」(「エカ」はサンスクリット語で「1」の意味)など仮の名をつけた空白とする工夫を施したものだった。
この表は1870年にドイツの科学雑誌で発表された当初この表に価値を認める学者はほとんどいなかった。

しかし、マイヤーはこれに注目し、原子容の考え方を加えた論文を発表した。
彼は原子量順の原子容を調べたところ、リチウム・ナトリウム・カリウムと並ぶアルカリ金属族に該当する元素は原子容が前後と飛びぬけて高いことを示した。
メンデレーエフはマイヤーの論文も参照し、改良を加えた周期表(第二周期表)を作成した。
これにはローマ数字IからVIIIで縦の分類が施され、うちI–VIIが基本的に1–2族および13–17族に対応し、VIIIには遷移元素群を入れ、また希ガスは反映されていなかった。
それぞれには2種類の亜族を設け、表の左右に振り分けて区分した。

メンデレーエフの周期表はすぐに認められたわけではなかったが、1875年にフランスのポール・ボアボードランが新元素ガリウムを発見し、これが「エカアルミニウム」と一致することが判明すると周期表が注目を浴びるようになった。
その後も1879年のスカンジウム(「エカホウ素」)、1886年のゲルマニウム(「エカケイ素」)がメンデレーエフの表にある空白を埋めるものだということが判明し、彼の周期表の正しさが証明された。

帰納的に見出された周期律表が演繹力を持つことが、科学の方法の典型であると言えよう。
Photo_4
Wikipedia

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