« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年9月

2015年9月30日 (水)

数学的帰納法における「3」の重要性/知的生産の方法(128)

数を表すのに、ローマ数字では、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと棒を1本ずつ増やしていき、次の4は普通はⅣと書く。
漢字でも、一、二、三と棒を1本ずつ増やしていき、次の4は四と書いてパターンが変わる。
われわれの祖先は、3までの数と4以上の数を別扱いしていたようである。

「3」が、マジックナンバーであることは既に触れた。
⇒2013年6月11日 (火):整理のカギは「3」にある?/知的生産の方法(60)

芳沢光雄『世界のエリートに必要な「証明力」の養い方 』大和書房(2015年6月)に、「整数で成り立つ性質は「3」に注目する」という項が載っている。
整数というのはもちろん1,2,3,4・・・という数である。
整数は、0と負数も含むから、例示したものは自然数というべきかも知れないが。

任意の自然数nに対して、数学的帰納法によって証明することを学んだのは、高校の時だっただろうか。
Wikipediaでは次のように説明している。

自然数に関する命題P(n) が全てのn に対して成り立っている事を証明するための、次のような証明手法である。

  1. P(1) が成り立つ事を示す。
  2. 任意の自然数 k に対して、P(k) ⇒ P(k + 1) が成り立つ事を示す。
  3. 以上の議論から任意の自然数 n について P(n) が成り立つ事を結論づける。

数学的「帰納」法という名前がつけられているが、数学的帰納法を用いた証明は、帰納ではなく演繹である。2. により次々と命題の正しさが"伝播"されていき、任意の自然数に対して命題が証明されていく様子が帰納のように見えるためこのような名前がつけられたにすぎない。

発展的には難しい議論もあるが、私には難し過ぎるので触れない。
高校の教科書等の初等的な解説書ではドミノ倒しに例えて数学的帰納法を説明しているものも多いというが、確かにドミノ倒しのイメージで考えれば分かり易い。
k 枚目のドミノが倒れれば、k+1 枚目のドミノが倒れることが言えれば、1枚目のドミノが倒れることによって、すべてのドミノが倒れる。

芳沢氏の本では、次のような図を用いて説明している。
Ws000000
ドミノが2枚の場合は、倒すドミノと倒されるドミノの関係である。
ところが、3枚のドミノでは、間にあるドミノは、〈倒され〉かつ〈倒す〉という両方の性質を持っている。
4枚以上になっても、3枚の場合と本質には同じである。

1,2,3,4・・・と繋がっていく場合、「1」と「2」だけでは説明できない。
「3」を理解することにより、、〈倒され〉かつ〈倒す〉という両方の性質を持っていることの重要性が理解できる。
やはり「3」はマジックナンバーである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年9月29日 (火)

若山牧水@千本松原/文学碑を訪ねる(1)

文学碑というカテゴリーを新しく設定した。
第1回は、沼津市千本松原の中に立つ若山牧水歌碑である。
牧水は、1885年(明治18年)8月24日に、宮崎県の医師・若山立蔵の長男として生まれた。
旧制中学(宮崎県立延岡)時代から、短歌と俳句を始めた。

1920年(大正9年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住した。
1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊すると共に、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させた。

1928年夏頃より病臥し、自宅で死去した。享年43歳。
沼津の千本山乗運寺に埋葬された。戒名は古松院仙誉牧水居士。
18歳のとき、号を牧水としたが、由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。牧はまき、即ち母の名である。水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから来たものであった」という。
⇒2012年9月24日 (月):秋の夜は「牧水」がいい

沼津を始め伊豆や箱根の風光を愛した。
村山道宣編『若山牧水―伊豆・箱根紀行』木蓮社(2003年12月)がある。

千本松原にある歌碑は、代表歌として広く愛されている次の歌である。

幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく

2

1

もちろん私の好きな歌でもある。
⇒2013年9月17日 (火):若山牧水/私撰アンソロジー(28)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月28日 (月)

東京の地政学と河川史/技術論と文明論(34)

東京の発展は、徳川家康が江戸城に入ってからである。
地理的な環境と政治(軍事、外交、経済等も含む)との関係を研究する分野が地政学である。
⇒2015年7月21日 (火):歴史理解のための地政学/技術論と文明論(31)

地政学的に見て、江戸あるいは関東はどういう条件を備えていたか?
現時点で、もっとも活発に地政学的知見を発表しているのは、『日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント』清流出版(2003年12月)以来活発な著作活動を続けている竹村公太郎氏である。
竹村氏はWikipediaでは以下のように紹介されている。

元・国土交通官僚、元・国土交通省河川局長、現・財団法人リバーフロント整備センター理事長、日本水フォーラム代表理事・事務局長。専門は、土木工学(特に河川)。博士(工学)。
建設省(現 国土交通省)在籍時より作家「島 陶也(しま とうや)」として、建設関係業界紙を中心に数々のエッセイを連載している。主に、竹村の専門である下部構造(土木に関する社会資本(インフラ))を中心に、日本史や世界史の仮説を立てており、「社会資本の論客」として注目されている。また、100年後には、北海道が日本の穀倉地帯になるという持論を持っている。また、建設(国土交通)行政に関する経験、意見等を述べる際は、「島 陶也(竹村公太郎)」と付記する場合もある。
中部地方建設局(以下、地建)河川部長在任時は、当時問題となっていた長良川河口堰建設問題で、当時保有していた地建の全生データを、パネルを用いて公開に踏み切った。
また、河川局長在任時(当時、建設省)は朝日新聞のコラム欄「窓」の「建設省のウソ」におけるデータ等に対して、公開質問状のやり取りをインターネット上で全文公開し、物議をかもした。また、この責任は竹村自身が負ったとされる。

ここでは、『竹村公太郎の「地形から読み解く」日本史』別冊宝島(2015年3月)を参考にしよう。
江戸時代以前においては、利根川は東京湾に注いでおり、荒川水系と渾然としていた。
Photo
江戸時代の荒川

家康の江戸入府をきっかけとして、利根川を太平洋に流出するように流路を変更する大事業が行われた。
いわゆる利根川東遷事業である。
⇒2009年9月14日 (月):八ツ場ダムの入札延期 その3.利根川における水資源開発
⇒2013年10月24日 (木):カスリーン台風と利根川治水/戦後史断章(15)

竹村氏の上掲書では、以下の図が援用されている。
Photo_2
巨大な土木プロジェクトであるが、その結果として、以下のように利根川と荒川が分離された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月27日 (日)

桜島噴火の影響と川内原発/日本の針路(236)

桜島の活性状態が続いている。
警戒レベルが4から3に引き下げられたが、十分に警戒を要するレベルといえよう。

 気象庁は8日、8月の火山概況を発表した。噴火警戒レベルを一時、4(避難準備)に引き上げた桜島(鹿児島市)は「以前の火山活動に戻った」と指摘している。
 桜島では8月15日に火山性地震が1071回起きたが、その後は急激に減少。気象庁は、同19日以降に起きた小規模の噴火は「これまでに観測された噴火と同様の活動」と判断し、9月1日にレベル3(入山規制)に引き下げたという。
桜島「以前の活動に戻る」 口永良部島は火山ガス減少 気象庁

気象庁は警戒レベルを引き下げたが、以下のような見方もある。

「たまっているマグマの量から考えて、クシャミ程度で済むことはまずない。相当、大きなのを覚悟しておいたほうがいい。大正時代の大噴火の際は、直後に大きな地震が発生した。今回も降灰の影響が大きく、当然、桜島から52キロ離れた川内原発にも影響は及ぶと思います」(琉球大理学部・木村政昭名誉教授)
 ちょうど100年前に起こった大正大噴火は午前10時、桜島南岳の噴火で始まった。1時間もしないうちに鹿児島市内に降灰が始まり、連続して噴火が起こる。その勢いは熾烈さを増し、お昼前には巨大な岩石が噴出。昼過ぎには桜島全島が黒煙、白煙に包まれた。そして夕方になると、震度6の直下型地震が発生し、鹿児島市内では家屋や石塀が倒壊した。夜になると爆発音はさらに激化し、火山雷がとどろいた。今回も100年前と同じような噴火になる可能性が高いのだ。
大噴火が起きると川内原発はどうなるのか。京都大学原子炉実験所・前助教の小出裕章氏に聞いた。
「原発事故は、それが予測できず対策も取れなかったからこそ起こります。桜島が大噴火すれば、もちろん原子炉は停止になるでしょうから、みずから発電する力を失います。外部から電力の供給を受けることになっていますが、(灰の重みで)送電線が切断され、外部からの電力も得られないでしょう。その場合、所内の非常用発電機を動かすわけですが、福島第一原発事故の時には、非常用発電機が津波で動かなくなったために大惨事となりました。噴火の際に非常用発電機が正常に動くかどうか、断定的に判断することができません」
 電源喪失となれば、使用済み核燃料を冷却することができなくなる。その深刻さは容易に想像できよう。
桜島大噴火で川内原発が「第2のフクシマ」になる!「降灰で電線が切れて電源喪失」

桜島の爆発の歴史を概観すれば以下のようである。
Ws000002
日本経済新聞9月18日

2万9千年前の超巨大爆発の時にできたのが姶良カルデラである。
Ws000001
日本経済新聞9月18日

姶良カルデラのような超巨大爆発が起こればその被害は日本列島の大部分に及ぶだろう。
しかし大正大噴火のレベルでも川内原発に上記のような被害が発生する可能性があるのである。
速やかに廃炉の方策を考えるのが正気ではなかろうか。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月26日 (土)

大学は都心にく回帰する/知的生産の方法(127)

1970年代後半から1990年代にかけて、少なからぬ大学が郊外に広大なキャンパスを取得し移転した。
郊外移転の経緯を、Wikipediaでは以下のように解説している。

もともと第二次世界大戦前から大手民間鉄道各社が沿線開発の一環として大学などの高等教育機関を招致する動きを見せていた。一番積極的であった東京急行電鉄は、旧制東京高等工業学校(現在の東京工業大学。関東大震災翌年の1924年に大岡山へ移転)や旧制慶應義塾大学予科(1934年に日吉に移転。)、旧制東京第一師範学校(現在の東京学芸大学。1936年に碑文谷へ移転、現在は小金井へ再移転。)、旧制府立高等学校(高等科の後身が東京都立大学、現在の首都大学東京。1932年に八雲へ移転、現在は八王子市へ再移転)などを沿線へ誘致している。
・・・・・・
これが顕著になるきっかけは文部省が1960年代後半から、都市部への大学の極度の集中を防ぎ、地域間格差を是正するため、東京23区内および大阪市周辺に本部を置く大学が昼間学部の学部・学科増設や定員の増加を申請してもこれを認可せずに抑制していく方針をとったことである。
・・・・・・
この頃郊外ではニュータウン開発などが進み、都心部の人口増加には歯止めが掛けられたが、昼間人口は依然として増え続けていたため、大学の郊外移転を進めたいとする考え方があった。
学部増設・定員増加を希望していた大学側もこの動きに乗り、1970年代前半から徐々に一部の学部やこ教養課程を郊外へ移転する大学が増えた。
・・・・・・
この動きに他の大学も追従、相次いで郊外へ全面移転する大学が現れた。国立大学でも国家プロジェクト的な郊外移転といえる筑波大学をはじめとして、蛸足大学状態解消を名目に、全国的に郊外の広い用地を確保した上での移転が目立った。

しかし、郊外に移転した大学の都心回帰の動きが著しい。
少子化時代を迎え、大学の学生獲得競争は激化している。
予備校も転換期を迎えて業態変革を迫られている。
⇒2014年8月26日 (火):代ゼミ7割撤退の意味/ブランド・企業論(31)

Photo_3 大妻女子大では現在、文学部と家政学部の1年生が狭山台キャンパス(埼玉県狭山市)で学んでいるが、来春から全学生を東京都千代田区の千代田キャンパスへ移転する。さらに、平成28年以降にも、比較文化学部や社会情報学部の学生らを多摩キャンパス(東京都多摩市)から千代田キャンパスへ移す計画を進めている。
 大妻女子大の伊藤朋恭副学長は「学生目線に立った場合、都心の方がインターンシップや就職活動などが圧倒的に有利となる。さらに学生生活の面でも、キャンパスが都心と郊外の2カ所に分散している場合、郊外キャンパスの学生が不公平を抱きがちになる傾向もある」と説明する。
 こうした郊外から都心へのキャンパス移転は大妻女子大だけにとどまらない。昨年には明治大が東京都中野区に、拓殖大が文京区にそれぞれキャンパスを整備。東京理科大は28年、埼玉県久喜市の経営学部を新宿区の神楽坂キャンパスに移転する。近畿や東海地方でも同様だ。同志社大や南山大、立命館大などが郊外から都市部へとキャンパス機能を移転したり、移転の計画を進めている。
「明治」「理科」「同志社」「立命」…都心に回帰する大学次々の背景

受験生の大学・学部選択の主要因が立地である。
かつて日本の大学にして、理想的な環境と設備を持って慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の総合政策、環境情報の2つの学部が凋落しているという。
原因は藤沢のチベットと言われるほど僻地であることが、学生から敬遠されているからだ。
大学にとって、企業の粗利に当たる「帰属収入」のおよそ8割は、受験手数料、入学時納付金、それに授業料から成り立っている。
受験生の確保、入学者の確保は至上命題であるから、大学の都心回帰は必然であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月25日 (金)

VWの排ガス不正/技術論と文明論(34)

技術評論家の星野芳郎氏が『マイ・カー-よい車わるい車を見破る法』(カッパブックス)を刊行したのが1961年であった。
個人にとって自家用車は文字通り高嶺の花と考えられていた時代である。
その後のモータリゼーションの進展は改めて言うまでもない。
現在、地方に在住するためには、クルマは必需品である。
並行して道路も整備されてきたし、現在も盛んである。
しかし2025年には団塊の世代の後期高齢者入りが完了する。
移動欲求が小さくなるとは考えにくいが、ドライバーの数は急減していくのではなかろうか。

モータリゼーションは自動車産業の隆盛をもたらした。
企業のみならず、自動車関連産業が立地するか否かは、地域の盛衰に大きな影響を及ぼしてきた。
自動車が誕生したのは1769年とされるが、ガソリン自動車が誕生するのは、1885~1886年である。
ゴットリープ・ダイムラーは4ストロークエンジンを開発し、1885年に木製の二輪車にエンジンを載せて試走、翌1886年に四輪車を開発している。
同じ1886年カール・ベンツがガソリンエンジンの三輪車を完成させて実際に販売した。

260pxvw_kaefer_front_20071001_2戦時体制時、ドイツではアドルフ・ヒットラーが大衆に対する人気取り政策として、“国民車構想”を提唱し、1938年にドイツの国民車として、フォルクスワーゲン・ビートルが誕生する。
ビートルは長期にわたり世界中で販売され、累計2000万台以上の生産台数を達成し、ドイツの国民車というだけでなく、世界的な大衆車となった。
私が若い頃、ビートルは一種のステータスシンボルだった。
その名門フォルクスワーゲン(VW)が、ディーゼルエンジン車に違法ソフトウエアを搭載して米国の排ガス規制を逃れていた。
同社は22日、同型エンジンを搭載した車両が世界全体で約1100万台にのぼると発表した。
調査や顧客対応にかかる費用として、第3四半期(7~9月)に65億ユーロ(約8710億円)を計上すると共に、2015年度通期の業績目標も見直すと表明した。

 この問題では、米環境保護局(EPA)が18日に大気浄化法違反で最大180億ドル(約2兆1600億円)の制裁金を科す可能性があると発表したほか、米司法省も刑事捜査を開始した。独政府や韓国当局も調査の実施を表明するなど、影響が世界的に拡大する可能性が出ている。
 VWの14年の世界販売台数は1014万台で、15年はトヨタ自動車を抜いて世界首位に浮上することが見込まれていた。
 EPAによると、VWは違法ソフトを使って検査の時だけ排ガス浄化装置をフル稼働させ、窒素酸化物(NOx)の排出を基準以下に抑える一方、通常走行時は基準値の最大40倍のNOxを排出していたという。
VW:違法ソフトのエンジン搭載車 世界に1100万台

消費者向けビジネスの最大の価値であるブランドが失墜した。
VWの財務体質は健全で対応は可能とされ、市場では経営危機になるとの見方は少ないというが、信用を回復するのは容易ではないだろう。
環境政策への影響も大きい。
クリーンディーゼルは排ガスがきれいで燃費も良いので、エコなエンジンであるとされ、補助金を出して普及させようという政策が砂上の楼閣だったことになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月24日 (木)

安保法はメディアの問題でもある/日本の針路(235)

安保法制審議の過程で、メディアと政治の関係が浮き彫りされてきた。
戦前、軍機や統帥権の名目で、張作霖爆殺事件が「満州某重大事件」と秘匿され、満州事変の発端となった柳条湖事件が「暴戻なる支那軍」の仕業と報道されたことを想起させる。
⇒2015年9月19日 (土):安保法制と満州事変/日本の針路(231)
自衛隊の海外活動の根拠や内容も、特定秘密保護法の対象になると想定されている。

安倍首相のメディア差別は露骨である。
御用新聞化しているフジサンケイグループ(産経新聞)、永続敗戦構造の盟友である読売新聞グループとは蜜月である。

 安保法制の国会審議が大詰めを迎える中、安倍晋三首相が今月初旬、テレビ出演のため大阪へ日帰り出張した。今年になってから出演した番組を調べると、出演する局に偏りも見られる。首相は何を基準に出演を決めているのか。
 今月4日。午前の閣議を終えた安倍首相は飛行機で大阪へ。読売テレビに入ると、「そこまで言って委員会NP」の収録と情報番組の生放送に臨んだ。「そこまで」の収録では、司会者から「国会開会中で、実はまずいんじゃないですか」と振られ、首相は「(安全保障関連法案は)国民にしっかり説明せよと言われているので」と笑顔で返した。
 ただ、国会開会中の平日に首相が在阪局のバラエティー番組に出演することは異例だ。参院特別委員会では野党側理事が「国会軽視で看過できない」と反発。官邸側は世耕弘成官房副長官が「国会の出席がないことを確認した上で、テレビ局に出演を返事した」と理事会で説明した。
首相の出演TV局に偏り テレ朝・TBSはゼロ、基準は

新聞のスタンスもかなり明確になった。
⇒2015年9月 3日 (木):安保デモ報道とメディアの立ち位置/日本の針路(225)
安倍首相は、戦後レジームの脱却と言いながら、その別名の永続敗戦レジームを踏襲している。

安倍首相のアジア観、世界観の根幹部分をなしているのは、どうやら中華思想ならぬ”日華思想”ともいうべき天動説的日本中心主義(究極のジコチュー)だろう。
なんでも日本中心にしか物事を考えることができないから、日本がアジアに侵略した歴史、前後を顧ず真珠湾を攻撃し太平洋戦争の鳥羽口を開いた歴史、その挙句にものの見事に粉砕された歴史などには触れたがらない。
侵略された側の国民の立場にたって歴史を顧みることができないのだ。
ましてや中国大陸まで進出した日本軍が、南京で、重慶で、東北部満州において犯した様々な犯罪行為や、大陸や朝鮮半島から多くの労働者や女性らを拉致し連行した上で、過酷なまでの炭鉱労働や従軍慰安婦として奴隷のごとく使役した事実を、決して直視しようとはしない。
その理由の一つには、自分の爺様である岸信介が大陸で行なってきた経歴と戦犯行為が白日の下に晒されることで、自分のアイデンテティが崩れ去るのを恐れているからに他ならない。
日本人はもう一度世界大戦の悲劇を経験しないとダメな国民なのか?

Ws000000
http://bogonatsuko.blog45.fc2.com/blog-entry-1402.html

ブロック紙・地方紙と産経・読売との違いも際立っている。
Ws000000_2
東京新聞9月19日

大本営(政府)発表を垂れ流すメディアは、ジャーナリズムを名乗る資格はないだろう。
国民をミスリードするのは有害である。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月23日 (水)

五輪エンブレム問題に見る知の衰退/知的生産の方法(128)

現代社会において、広告の力は大きい。
特に、オリンピックのような国家的規模の事業になるとさまざまな利権が付随するので生臭い話が多くなる。
2020年東京オリンピックにについても、新国立競技場や公式エンブレムのデザインをめぐってその一端が露呈している。

大きな利権が発生するようなプロジェクトの裏には、電通や博報堂などの大手広告会社が介在しているのが常識だろう。
彼らは黒子に徹し、表面に表れることは滅多にない。
ところがエンブレムのデザインの問題では電通社員の個人名まで明らかにされて叩かれている。
「週刊新潮」9月17日号の記事である。
Ws000000

 この審査委員が「修正」の事実を知ったのは、エンブレムが発表される直前だった。が、審査委員8人の中に1人だけ、早くから修正について把握していた人物がいる。大手広告代理店「電通」の社員、高崎卓馬氏(45)。彼はエンブレムの審査委員であるのと同時に、
「五輪組織委員会のクリエーティブ・ディレクターでもある。彼は、審査委員としてではなく、五輪組織委員会の人間として、エンブレムの修正に携わっていたのです。修正案のデザインを審査委員に報告する役目を負っていたのも高崎氏です」(組織委関係者)
……
つまり高崎氏は、組織委員会のクリエーティブ・ディレクターとして審査委員の人選を担い、自らも審査委員となったのである。デザイン修正の際だけではなく、彼は最初の段階から、「組織委幹部」と「審査委員」という2つの顔を使い分けることのできる“特別な立場”にあったのだ。

完全に出来レースである。
仄聞するところではよくある話で、組織委や審査委の事務能力を補うために広告会社の力を借りるのである。
しかし庇を貸しているつもりが母屋そのものを乗っ取られているのだから、組織委や審査委の責任は免れない。

典型的な利権構造であり、自民党と電通の繋がりは深くて暗い。
組織委会長の森喜朗氏や事務局長の武藤敏郎氏(元財務相事務次官)などは、この構造を象徴する存在である。
Ws000000

利権構造により「知」は衰退する。
安倍政権の反知性主義はその一端であろうが、デザインのような面にも現れているのである。
前回東京オリンピックの亀倉雄策氏のデザインと比べれば、利権ありきで理念なきデザインであることは明らかである。
2150923

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月22日 (火)

翁長知事が国連人権理事会で演説/日本の針路(234)

翁長雄志沖縄県知事が、日本時間22日未明、スイスの国連欧州本部で開かれている国連人権理事会に出席し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の県内移設反対を訴えた。
「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と人権侵害とした。
日本の都道府県知事が同理事会で発言するのは異例である。

Photo_2 私は、日本国沖縄県の知事、翁長雄志です。
 沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を、世界中から関心を持って見てください。
 沖縄県内の米軍基地は、第二次世界大戦後、米軍に強制接収されて出来た基地です。  
 沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。
 沖縄は日本国土の0.6%の面積しかありませんが、在日米軍専用施設の73.8%が存在しています。
 戦後70年間、いまだ米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大きな影響を与え続けています。
 このように沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています。
 自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか。
 日本政府は、昨年、沖縄で行われた全ての選挙で示された民意を一顧だにせず、美しい海を埋め立てて辺野古新基地建設作業を強行しようとしています。
 私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です。
翁長知事の国連演説(日本語訳)

事実関係としてはこの通りであろう。
国民の8割近くが性急だ、と判断する安保法案が衆参両院で可決した。
安保法案と辺野古新基地建設は、現政権の民意を無視した横暴という点では同じである。
政府の立場は、菅官房長官の発言に表れている。

 菅義偉官房長官は14日午前の記者会見で、沖縄県の翁長雄志知事が米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設に伴う前知事による埋め立て承認の取り消しを表明したことに関し、「すでに行政判断が示されており、(埋め立て)承認に法的瑕疵(かし)はない見解だ」と述べ、政府の正当性を改めて主張した。政府は法的対抗措置を取る予定で、全面対決は避けられなくなった。
菅官房長官、翁長知事を強く非難 「過去の政府や県の努力無視する発言で非常に残念だ」

前知事の埋め立て承認に瑕疵がないかどうかは司法によって判断されよう。
しかし民意を無視して進めることが、安全保障上有効なのかどうか政府も立ち止まって考えるべきだろう。
全面対決という事態は、独立問題にまで行きつく可能性がある。
写真家初沢亜利氏は次のように述べている。

安保の現場とは、すなわち沖縄である。在沖米軍によって我々の平和が守られてきたことに私自身無自覚に生きてきたことを恥じた。
0.6%の土地に74%もの米軍専用施設を押し付けられた沖縄の我慢と屈辱の上に日本の平和が保たれてきたことは間違いのない事実であり、その認識は保革を越えた県民の総意だ。
そしてそれは我々本土人が最も向き合いたくない事実である。
日米安保賛成派のみならず、反対派であっても、70年間沖縄を犠牲にした上で安保に守られてきたことから逃れることはできない。
現在の政治状況下で反安倍を唱える者たちは、状況を覆すために沖縄も連帯するのが当たり前だと呼びかけるが、基地の本土への引き取りについては、その多くが反対を表明する。
「基地は沖縄にも本土にもどこにもいらない」という反戦平和主義者は、崇高な目標が達成されない限り基地の多くが沖縄に置かれ続ける状況に、結果として加担することになってしまうのだ。この事実に気が付いた瞬間「共に闘おう」という呼びかけが軽率であることに気付くはずだ。
なぜならば、沖縄の闘いは原理的には全ての本土人に向けられているからだ。
安保の現場とは、すなわち沖縄である。それは我々本土人が最も向き合いたくない事実である

安全保障と人権の両立は困難な課題であるが、昭和初期の歴史に学ぶことが重要であろう。
初沢氏の言を重く受けと見たい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年9月21日 (月)

「国民連合政府」は成立するか?/日本の針路(233)

各種の世論調査で安倍内閣の支持率が低下している。

 安全保障関連法が19日未明に成立したことを受け、朝日新聞社は19、20両日に全国緊急世論調査(電話)を実施した。安保関連法に「賛成」は30%、「反対」は51%で、法律が成立してもなお反対が半数を占めた。国会での議論が「尽くされていない」は75%、安倍政権が国民の理解を得ようとする努力を「十分にしてこなかった」は74%に上った。
・・・・・・
安保関連法について、安倍政権が広く国民の理解を得ようとする努力を十分にしてきたと思うかは、「十分にしてきた」16%に対し、「十分にしてこなかった」は74%だった。内閣支持層でも、「十分にしてきた」は35%で、「十分にしてこなかった」の52%を下回った。
 安保関連法が憲法に違反していると思うか聞くと、「違反している」は51%で、「違反していない」の22%を上回った。
Ws000000
安保法、反対51%・賛成30% 朝日新聞世論調査

この種の世論調査がどの程度代表性があるのか疑問なしとはしないが、少なくとも審議が十分でなく、安倍政権が国民の理解を得ようとする努力が十分ではなかったという声が多数派であるとは言えよう。
この多数派が、さしあたって次の国政選挙である参院選において、どういう投票行動をとるか?
日本共産党から括目すべき声明があった。

安全保障関連法の成立を受け、共産党は、20日午後、中央委員会総会を開き、関連法の廃止を目指し、「国民連合政府の実現を呼びかける」との声明を発表し、実現すれば2016年夏の参議院選挙などで、ほかの野党と選挙協力を行う方針を打ち出した。
共産党の志位委員長は「戦争法を廃止で一致する政党・団体・個人が共同して、国民連合政府を作ろうという呼びかけです。国民連合政府で一致する野党が、国政選挙で選挙協力を行おうと」と述べた。
声明では、安全保障関連法について、「日本国憲法に真っ向から背く違憲立法だ」として、廃止することを求めている。
さらに、廃止に向けて一致する野党が共同して「国民連合政府」の結成を掲げ、2016年夏の参議院選挙や、次の衆議院選挙で、お互いに選挙協力を行うことを主張している。
共産党は、民主党や維新の党など関連法に反対するほかの野党などに呼びかけていく方針。
共産・志位委員長、「国民連合政府の実現」呼びかける声明発表

他の野党がこの提案にどこまで乗れるか否か?
最大野党の民主党すら、国民の信頼は薄い。
各種選挙で伸長しているとはいえ、共産党に対するアレルギーは未だ強いような気もする。

もしこの提案が空振りに終われば日本は再び暗黒の時代に逆戻りする可能性は高い。
違憲立法に反対する限定されたイシューで幅広い統一戦線を作り、参院選を戦って欲しいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月20日 (日)

安倍首相の功罪/日本の針路(232)

安保法案が強引に可決された。
その審議のあり様についてははなはだ遺憾に思うが、強引なだけに一種のショック療法のような効果で、戦後70年あるいは日本の近代化の過程について、あるいは憲法の役割について考え直す機会となった。
私自身戦後過程は人生そのものであるが、明治以降の歴史については学校の歴史の授業では時間切れのような印象を否めないし、憲法についてはまともに勉強した記憶はない。
改めてそういう機会を持てたのは、ひとえに安倍政権のお陰である。
それは必ずしも私だけではないだろう。
政治的関心が薄いと言われていた若者の間に関心が深まったことは「良きこと」であろう。
その意味では安倍政権の功績は大きい。

もちろん実際には法治主義、立憲政治を無視した安保法案は大きな問題である。
003
東京新聞9月19日

安保法案は一応成立したが、それで終わりではない。

 19日未明に成立した安全保障関連法を巡り、憲法との整合性や海外での自衛隊活動の拡大に関する与野党論戦は今後も続く見通しだ。与党幹部は国民の理解を得るため、今後も説明を続ける考えを強調。野党からは「白紙に戻す」(民主党の岡田克也代表)との声が上がっており、来年夏の参院選の争点になるのは間違いなさそうだ。
安保法制:今後も続く与野党論戦 来夏参院選の争点にも

「連休が過ぎれば国民は安保のことなど忘れる」と与党は思っているらしいが、とんでもないだろう。
理解が進めば進むほど、反対の声が広まっている。
昭和の歴史を学び直す機運が高まってくるのではないだろうか。
法治主義を無視した無残な歴史を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月19日 (土)

安保法制と満州事変/日本の針路(231)

今日未明、違憲等の多くの疑念を残しつつ安保法案が強行採決・可決された。
事実上の審議が終了した咋18日は満州事変の勃発した日であった。
中国側は、九一八事変と呼んでいる。
以下、Wikipediaの記述により経緯を追ってみる。

1931年(昭和6年)9月18日午後10時20分頃、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近の南満州鉄道線路上で爆発が起きた。これがいわゆる柳条湖(溝)事件である。
現場は、3年前の張作霖爆殺事件の現場から、わずか数キロの地点である。爆発自体は小規模で、爆破直後に現場を急行列車が何事もなく通過している。
本事件は、河本大佐の後任の関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と、関東軍作戦参謀石原莞爾中佐が首謀し、軍事行動の口火とするため自ら行った陰謀であったことが戦後のGHQの調査などにより判明している。奉天特務機関補佐官花谷正少佐、張学良軍事顧問補佐官今田新太郎大尉らが爆破工作を指揮し、関東軍の虎石台独立守備隊の河本末守中尉指揮の一小隊が爆破を実行した。関東軍は、これを張学良の東北軍による破壊工作と発表し、直ちに軍事行動に移った。
・・・・・・
日本政府は、事件の翌19日に緊急閣議を開いた。南次郎陸軍大臣はこれを関東軍の自衛行為と強調したが、幣原喜重郎外務大臣(男爵)は関東軍の謀略との疑惑を表明、外交活動による解決を図ろうとした。しかし、21日に林中将の朝鮮軍が独断で越境し満洲に侵攻したため、現地における企業爆破事件であった柳条湖事件が国際的な事変に拡大した。

まったく歴史を学べば、安保法案が成立した事情と満州事変が重なって見えてくる。
Photo_2

「70年談話」から、この辺りの歴史認識を引用する。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
 そして七十年前。日本は、敗戦しました。
内閣総理大臣談話

「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」のであるが、それは「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進め」たからであると、原因は世界恐慌や経済のブロック化が主であって、日本はそれへの「挑戦者」であるということのようにも読める。
ライターは相当の曲者である。
「満州事変、そして国際連盟からの脱退」という辺りの事情を、あっさりと流されては、再び同じとを繰り返しかねない。

「70年談話」のベースとなった「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」レポートではどうか?

 1929年にアメリカで勃発した大恐慌は世界と日本を大きく変えた。アメリカからの資金の流入に依存していたドイツ経済は崩壊し、ナチスや共産党が台頭した。
 アメリカが高関税政策をとったことは、日本の対米輸出に大打撃を与えた。英仏もブロック経済に進んでいった。日本の中の対英米協調派の影響力は低下していった。日本の中では力で膨張するしかないと考える勢力が力を増した。特に陸軍中堅層は、中国ナショナリズムの満州権益への挑戦と、ソ連の軍事強国としての復活を懸念していた。彼らが力によって満州権益を確保するべく、満州事変を起こしたとき、政党政治や国際協調主義者の中に、これを抑える力は残っていなかった。
・・・・・・
 そのころ、既にイタリアではムッソリーニの独裁が始まっており、ソ連ではスターリンの独裁も確立されていた。ドイツではナチスが議席を伸ばした。もはやリベラル・デモクラシーの時代ではないという観念が広まった。
 国内では全体主義的な強力な政治体制を構築し、世界では、英米のような「持てる国」に対して植民地再分配を要求するという路線が、次第に受け入れられるようになった。
 こうして日本は、満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。特に中国では広範な地域で多数の犠牲者を出すことになった。また、軍部は兵士を最小限度の補給も武器もなしに戦場に送り出したうえ、捕虜にとられることを許さず、死に至らしめたことも少なくなかった。広島・長崎・東京大空襲ばかりではなく、日本全国の多数の都市が焼夷弾による空襲で焼け野原と化した。特に、沖縄は、全住民の3分の1が死亡するという凄惨な戦場となった。植民地についても、民族自決の大勢に逆行し、特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した。

「侵略」という言葉については、複数の委員より異議がある旨表明があったと注がついている。
「70年談話」では、かなり曖昧に端折られていることが分かる。
開戦に至る事情を年表としてみると以下のようである。
1926 昭和元  改元
1927 昭和2  昭和金融恐慌。若槻礼次郎内閣→田中義一内閣
1928 昭和3  河本大作大佐による張作霖爆殺事件
1929 昭和4  田中義一内閣→浜口雄幸内閣。NY株式大暴落
1930 昭和5  ロンドン海軍軍縮会議。政友会による統帥権干犯
1931 昭和6  浜口内閣→若槻内閣。満州事変。若槻内閣→犬養毅内閣
1932 昭和7  中国国民政府樹立。満州国成立。5・15事件。犬養内閣→斎藤実内閣
1933 昭和8  国際連盟脱退。関東軍華北侵入
1934 昭和9  帝人事件。斎藤内閣→岡田啓介内閣
1935 昭和10 天皇機関説と国体明徴運動。相沢事件
1936 昭和11 2・26事件。岡田内閣→広田弘毅内閣。日独防共協定
1937 昭和12 広田内閣→(宇垣一成)→林銑十郎内閣→近衛文麿内閣
⇒2012年10月26日 (金):菊田均氏の戦争観と満州事変/満州「国」論(7)

「70年談話」では、世界恐慌下の困難を打開するため、「満州事変」を起こしたかのように読める。
しかし、「日経オンライン」9月17日の『石原莞爾「謀略により機会を作製し軍部主導となり国家を強引す」』によれば、石原は、世界恐慌が起こる以前に満蒙領有計画を立案していた」のである。

国家総力戦になると想定される次期大戦に対処するためは、国家総動員の準備と計画が必須である。それには国家総力戦を支える経済力の強化とともに、資源の自給自足が不可欠だ。だが日本には自給自足のための資源が不足しており、不足資源は近隣の中国に求めざるをえない。また必要な軍需資源は中国のそれをふくめればほぼ自給しうる。そして現に日本の勢力圏となっている満蒙を完全に掌握することは、中国資源確保への橋頭堡となる重要な意味をもつ、と。
 一夕会は、このような永田の構想に強い影響を受けていた。その中核メンバーは、満蒙を完全に掌握するため、満蒙領有を秘かに検討。来るべき国家総力戦にむけ、不足する資源を中国から確保するため、その足がかりとして満蒙の政治的支配権を獲得しようとするものだった。

つまり陸軍が勝手に構想し実行したのである。
このように、軍部が政府のコントロールを超えた力を持つようになったのは「統帥権」という魔語による。
上記年表によれば、統帥権問題が表面化したのは1930(昭和5)年のロンドン海軍軍縮会議がきっかけである。

菊田均『なぜ「戦争」だったのか―統帥権という思想』小沢書店(1998年8月)を参照しよう。
統帥権の独立が明確に強調されるようになったのが、1932(昭和7年)刊行の『統帥参考』においてである。
『統帥参考』は陸軍大学で作られ、秘密裏に刊行された。
統帥権干犯問題以降、政治に対しして軍部が優位に立ち、軍部内部においては統帥を担当する陸軍参謀本部、海軍軍令部の力が強まった。

特定秘密保護法を作り、解釈改憲を実行する安倍政権は、独走する軍部にそっくりである。
保阪正康氏は「軍服を着ている首相」と考えれば分かり易いと言っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月18日 (金)

知的財産権の事実判断と価値判断/知的生産の方法(127)

誰にとっても物理的に存在する世界(状況)は同一のものであるが、それをどのように感じるかは人によって異なる。
例えば、同じある日の「雨が降っている」という現象に対しても、農作物にちょうどいいお湿りだと感じる人もいるだろうし、雑草が生えて嫌だなあと感じる人もいるだろう。
あるいはヴェルレーヌのように、自分の心に降る涙と同じようだと感じる人もいるかも知れない。

巷に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?
(無言の恋歌:堀口大学訳)

つまり、状況の意味は人によって異なるということである。
ある人にとっては、解決を必要と感じられる状況も、別の人にとってはそのまま放置しておいて構わないということなどはいくらでもある。
つまり問題意識の違いである。

問題認識は、事実をどう捉えるかという事実認識の問題と、その事実をどう解釈するかという価値認識との問題を複合して考えることが必要である。
例えば、将棋の戦法に、イビアナ(居飛車穴熊)と呼ばれるものがある。

居飛車が対振り飛車戦で穴熊囲いを目指す戦術の総称である。
Ws000002
居飛車対振り飛車の将棋に於いて、古くからある持久戦策としては玉頭位取り、左美濃などが指されていた。居飛車穴熊はこれらに比べバランスが悪く指しづらいとされていたが、田中寅彦が体系化を進め高勝率をあげたことで昭和50年代頃から流行した。
初期の居飛車穴熊では振り飛車側が居飛車に4枚穴熊を許しているケースが多かったが、居飛車側が圧倒的な勝率をあげていたため向かい飛車や立石流四間飛車のような振り飛車から動く順が模索された。しかしいずれも対策がたてられ居飛車穴熊の隆盛を止めるには至らなかった。振り飛車側からの策としては藤井システムが一時期猛威を振るったが、これも居飛車側の対策が編み出され、確実な戦法とはなっていない。2013年現在では角道を止める振り飛車はこの居飛車穴熊により第一線から退けられている状態である。
Wikipedia

このイビアナに関して「元祖争い」が起きた。
アマチュア全国大会優勝歴のある将棋愛好家大木和博氏が、プロ棋士田中寅彦氏を相手に提訴したもので、田中プロに元祖と公言され、自分の元祖としての呼称と名誉を傷つけられたので、300万円の慰謝料と『元祖』との呼称を使わないことを求める、というものである。

三島のウナギ屋でも、同じ商号を使っていて、どちらが元祖か、本家か、揉めたことがある。
また、温泉まんじゅうなどでも本家争いの話を聞いたことがある。
競争のあるところ、不当競争か否かは常に争いも対象になる可能性がある。

イビアナについての東京地裁の判決は、次のようなものであった。
a 古い歴史を持つ将棋で、戦法がだれによって考え出されたか特定するのは困難
b 元祖の概念は絶対的なものではなく、尊敬の対象になる人物に与えられる尊称
c 戦法の実践時期や戦績、戦法の普及、将棋界に対する貢献を総合すると、両者と    も尊敬の念をもって元祖、創始者と称されるのにふさわしい人物と認められる。

つまり、二人とも元祖と認められる
d 田中氏が元祖と公言しても大木氏の名誉を害する違法な権利侵害には当たらない
e よって大木氏の請求を棄却する

一見大岡裁きのような判決に想われるが、この問題は、実際にこの戦法を最初に使ったのは誰か、あるいは定跡としての確立者は誰か、という事実判断の問題と、その権利の帰属をどう考えるかという価値判断の問題に区分して考えるべきであるところが、いささか曖昧なままのように思われる。

故米長邦雄永世棋聖のコメントは以下のようであった。
事実認識に関しては、「居飛車穴熊」戦法は、既に昭和43年の名人戦(大山康晴VS升田幸三)の第2戦で升田が用いている。
従って、「元祖」とするべきは、升田幸三であるということである。
つまり、「二人とも元祖と認められる」という判決は間違いであるということだ。
事実関係に関しては検証可能であろうから、ここでは米長さんの指摘を紹介するにとどめたい。

価値認識に関しては、定跡も新手も、個人のものではなく、全ては将棋ファンの財産ではないのか、というのが米長さんの意見であった。
米長さんの意見は、「戦法は一種の公共財」との論旨であろうが、「戦法は知的創作物であって、考案者に関して何らかの権利を認めるべきだ」という主張も当然成り立つものと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月17日 (木)

鬼怒川氾濫と流域水管理の思想/技術論と文明論(33)

鬼怒川の濁流が、破堤した箇所から激しく堤内地側に流れ込む映像は衝撃的だった。
その根本原因は想定を超える雨の降り方であったことは間違いない。
降雨域が南北に帯状に集中し、しかも鬼怒川とオーバーラップしているのだ。
Photo_3
なぜ大雨…南北に帯状の雨雲が停滞

かつて全国総合開発計画で「流域圏構想」が考えられたことがあった。

三全総(1977年)は、ポスト「日本列島改造論」の計画として、高度成長から安定成長へ、そして田園都市・定住圏構想がテーマとされた。定住圏構想は水系に着目しており「流域圏」構想でもあった。 流域圏構想は、乱開発・高度成長への歯止めも意識したものであったという。しかし、三全総においては思想としては生活と環境との調和を掲げたものの、政策の実施に当たってはなお「開発・経済発展」の思想を引きずらざるを得ず、地方圏もそれを求めた。具体的には交通・輸送基盤や情報通信網が整備の重点とされた。結果的に、「流域圏」構想はごく一部の地域でしか実施されなかった。
なお、当時国土庁にあり全総に係わる下河辺淳によると、三全総の前から矢作川において取り組まれてきた活動にヒントを得て、国土管理上の重要なテーマの一つとして「流域圏」の概念を三全総にとり入れていったという。
・・・・・・
五全総(21世紀の国土のグランドデザイン、1998年)においては、バブル崩壊、人口減少時代の到来を見据え、底流の思想としては国土の「開発」から「維持・管理」へ軸足を移しており、「流域圏」の構想が提示された。その意味するところは、冒頭に記したとおりである。国土管理の色彩が強い。わざわざ「三全総の流域圏とは概念が異なる」と注記を付している。
Wikipedia

洪水にしろ水利用にしろ、水と土地は切り離せない。
水管理についても流域水管理という発想はずっと言われ続けてきた。
今回の対象域について見てみよう。
Photo_4
鬼怒川の水害、再発を避けるには「流域思考」が必要

利根川水系は下図のようである。
Ws000000
関東地方整備局

たとえば懸案の八ッ場ダムは今回の鬼怒川氾濫には、ほとんど効果がない。
利根川本川の洪水軽減に貢献するだけである。
⇒2013年1月 6日 (日):八ツ場ダムの治水効果/花づな列島復興のためのメモ(181)
⇒2009年12月 8日 (火):
専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論(4)八ツ場ダムの治水上の意義

ダムや堤防は重要ではあるが万能ではない。
やはり農地等を活用した流域の遊水機能を再評価する必要がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月16日 (水)

ホルムズ海峡機雷掃海に関する安倍虚言・続/日本の針路(230)

ここにきて安倍首相がまた前言を翻した。
二枚舌、三枚舌には驚かないつもりであったが、これはやはり驚きの発言と言うべきであろう。

 安倍晋三首相は14日の参院平和安全法制特別委員会で、中東ホルムズ海峡での機雷掃海について「今現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではない」と述べた。
 一方で「日本の生命線である海上航路の安全確保は、日本のみならず国際社会全体の繁栄と発展に不可欠だ」として、安全保障法制で不測の事態に備える重要性を訴えた。
 岸田文雄外相も「イランを含めた特定の国がホルムズ海峡に機雷を敷設するとは想定していない」としながらも、「ホルムズ海峡を擁する中東地域において安全保障環境はますます厳しさ、不透明性を増しており、あらゆる事態への万全の備えは重要だ」と指摘した。いずれも公明党の山口那津男代表への答弁。
ホルムズ掃海「想定せず」=海上安全確保は不可欠―安倍首相

いくら人間が忘れやすい動物といえども、安倍首相の海外での武力行使についての必要性に関する説明を忘れるほど忘れっぽくはない。
以下は官邸御用達の産経新聞である。

首相は憲法上認められる他国領域での武力行使について、中東・ホルムズ海峡での機雷掃海を挙げ「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険(に該当する事態)だから現在、他の例というのは念頭にない」と指摘した。
外国領域での武力行使「ホルムズ海峡の機雷掃海以外現在、念頭にない」

つまり、安全保障環境の変化によって、海外でも自衛隊の武力行使ができなければ国民の安全を保てない。
集団的自衛権行使はそのためであり、ホルムズ海峡以外には念頭にないと言っていたのだ。
ホルムズ海峡が封鎖されると、石油やガスが途絶する。
それは存立危機事態だから、海上自衛隊を派遣して封鎖を解除する必要がある。
ホルムズ海峡以外に自衛隊を送るところはない。
Photo
http://union-milme.cocolog-nifty.com/blog/cat55043693/index.html

ホルムズ海峡機雷封鎖で原油輸入が途絶し、我が国の存立が根底から脅かされるということがそもそも安倍首相のデマゴギーだったのである。
⇒2015年6月 3日 (水):ホルムズ海峡機雷掃海に関する安倍虚言/日本の針路(171)
いま、ホルムズ海峡の機雷封鎖による原油輸入途絶という事態を想定しないというならばどのようなケースを想定するのであろうか?
やはりサイコパスとしか理解し得ないようだ。
⇒2015年6月 2日 (火):安倍晋三=サイコパス論/人間の理解(13)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月15日 (火)

高尾山古墳の文化遺産学/やまとの謎(107)

8月30日に行われた赤塚次郎氏による『スルガ國誕生と高尾山古墳/文化遺産「高尾山古墳」が語りかけるモノ』はいろいろ示唆に富むものであった。
⇒2015年9月 5日 (土):アズミ系倭人とアズマの領域/やまとの謎(105)
講演会の要旨が沼津朝日新聞の9月13日号に載っている。
150830

私は邪馬台国については、「魏志倭人伝」が根本資料であって、考古資料はあくまで補完材料と考える。
しかし、「魏志倭人伝」の情報からだけでは不十分であるということも分かっている。
赤塚氏の講演では、高尾山古墳を文化財として考えるのではなく、文化遺産として考えるという視点が新鮮だった。
それは遺跡からどういう物語を紡ぎ出すかということでもある。
ヒストリーはハイストーリーだという言葉を連想した。

物語というのは、人間が感じられるような歴史観ということではなかろうか。
ビジネスの世界では「見える化」などというが、見えにくいモノを可視化する努力は重要である。
特に、人間については、精神性について語らなければ、ほとんど意味がない。
精神性を探究してきたのは、文学を筆頭とする文系学問である。
その意味でも、文科省の文系軽視の大学改革は如何なものかと思う。
⇒2015年9月14日 (月):文系学部狙い撃ちの愚/知的生産の方法(126)

弥生時代後期の2世紀は、気象変動で寒冷化が進み、長雨や洪水が頻発した時代だったとういう。
有名な静岡市の登呂遺跡も、西暦127年の洪水で埋まったということを、前回の静岡大学篠原和大教授の『高尾山古墳の語るもの』という講演で聴いた。
⇒2015年7月21日 (火):歴史理解のための地政学/技術論と文明論(31)

赤塚氏は、この気象変動による食糧不足による社会不安が、山の部族と海の部族を統合するリーダーを生み出した。
それが山の部族の集住遺跡と考えられる標高100メートル地点の足高尾上遺跡群と海の部族の遺跡群と考えられる狩野川下流遺跡群の中間地帯に高尾山古墳が存在する背景ではないか。

赤塚氏は、高尾山古墳を現地で現状保存すべきだという。
その理由は次の2点である。
1.高尾山古墳は1800年間自然災害に耐えた。それは優れた古墳の築造技術があったからであり、それらはまだ未解明で残されている。
2.高尾山古墳は2つの部族が統合されて古代のスルガ國が形成されたことを示す位置に作られいる。位置そのものが重要な意味を持つ。

この古墳を残せるかどうかは沼津という地域の文化のバロメーターになるのではなかろうか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月14日 (月)

文系学部狙い撃ちの愚/知的生産の方法(126)

9月6日の日本経済新聞に、新産業創世記という特集があった。
Ws000005

図の意味しているところは、今後技術進化が加速して行くということである。
ムーアの法則が継続するとすれば、2045年に人工知能が人間の知能を凌駕するときが来る。
⇒2014年4月27日 (日):電王戦の結果と2045年問題/知的生産の方法(93)

情報創造が既存の情報の組み合わせであるとするならば、情報の生まれる速度は情報の現存量の関数になる。
言い換えれば、指数関数になるので、ある時から爆発的に増加していく。
⇒2013年3月10日 (日):新しい情報の生まれ方/知的生産の方法(41)

何を以て人工知能とヒトの知能を比較するかなど論点はいろいろあるが、最近の人工知能の発達ぶりからすれば、それが近未来であることは間違いないと思われる。
すでに将棋ソフトなどにおいては、一般人のレベルはとっくに超えているのである。
⇒2014年11月 3日 (月):ロボットが東大に入るようになったら/知的生産の方法(109)

このような状況において、文部科学省は国立大学改革の方向性として“文系不要論”を打ち出した。
⇒2015年6月19日 (金):文科省の国立大学改革通知はナンセンス/日本の針路(181)

人口減少社会を迎え、地方は過疎化が進み消滅自治体も多数出てくることが懸念されている。
⇒2014年6月 4日 (水):超高齢社会と限界自治体/花づな列島復興のためのメモ(330)
グローバル化する中で国際競争が激化しており、ひと頃言われたように、大学がレジャーランドであっていいわけがない。
一定の教育研究の成果は必要であろう。
しかし、学問分野にアプリオリに優劣をつければ、科学の進歩のブレーキになることは必定である。

特にヒトの知能が人工知能と競う時代においては、人間の研究の進化は不可欠であると思う。
今こそ、文系学部の振興を真剣に考えるべきではないか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月13日 (日)

安保法案採決をスケジュール化する愚/日本の針路(229)

さまざまな指摘に対して、十分な論議が尽くされているとは言えない安保法案を、政府・与党はスケジュールありきで成立させようとしている。

 安倍晋三首相は10日、首相官邸で公明党の山口那津男代表と会談し、安全保障関連法案の来週中の成立を目指す方針を確認した。
 会談で山口氏は「与党としては16日の参院平和安全法制特別委員会の採決を目指し、来週中に成立にこぎ着けたい」と述べ、同日中の参院本会議への緊急上程を視野に、早期成立を目指す方針を伝えた。これに対し、首相は「政府として国会審議にしっかり対応する」と語り、政府・与党で協力して法案成立を期すことで一致した。
 安保関連法案は14日以降は、参院が採決しなくても衆院の出席議員の3分の2以上の賛成で法案が成立する憲法の「60日ルール」の適用が可能。自民党の衆院幹部は16日の参院本会議に関連法案が緊急上程できなかった場合、60日ルールを適用することを検討している。
 山口氏はこれまで60日ルールの適用に強く反対していたが、首相との会談後、記者団に「最終的に参院がいたずらに時間を過ごすなら、国会全体の意思決定を憲法上委ねられている衆院が判断を迫られる場面も理論上ある」と語り、衆院再可決の可能性を否定しなかった。
安保法案:自公党首も来週成立を確認

権力の水はそんなに甘いのか、という気がする。
安保反対の各地のデモでも創価学会旗が目につくという。
公明党の、「平和の党」というウリ=アイデンティティはどこへ行ったのだろう?

参院の自民、公明両党は11日、安全保障関連法案を審議している平和安全法制特別委員会の地方公聴会を16日に開くことを決め、16日の特別委での採決は17日にずれ込む見通しとなった。
また15日には中央公聴会が行われる予定であるが、意見を表明する「公述人」の公募に参院では過去10年で最多の95人が応募し、全員が法案に反対の立場を示したという。
150912
東京新聞9月12日

Photo_2 特別委は、中央公聴会で意見を述べる希望者を九~十一日、官報やホームページで募った。希望者は安保法案への賛否や意見表明したい理由を明示する。公述人は、各党が応募者の中から選ぶほか、有識者らに直接依頼することができる。与党が二人、野党が四人の公述人を推薦することで合意している。当日は計六人が順次意見を述べ、与野党委員との質疑を行う。
 参院事務局によると、過去十年の公述人応募で最も多かったのは十七人だった。安保法案に関する衆院特別委が七月に開いた中央公聴会の応募者は十五人で、全員が反対の立場だった。一般に公述人への応募は少なく、与野党は有識者に依頼するケースが多い。
 参院特別委の福山哲郎理事(民主党)は「短期間の公募だったのに応募数が多く、全員が反対だったということが国民の法案に対する明らかな姿勢を表している」と記者団に説明。民主党が推薦する二人のうち一人は応募者から選ぶ考えを示した。
 これに対し、与党は応募者ではなく、法案に賛成する有識者らから選ぶことになる。
安保公聴会 意見表明 95人応募 全員「反対」

「国民の理解が得られていない。理解されるよう丁寧に説明する。」という言葉のなんと白々しいことか。
元最高裁長官の山口繁氏の、集団的自衛権の行使は「憲法違反」と指摘していることについても、「今や一私人になられている方について、いちいちコメントするのは差し控える」と一顧だにしない様子だ。
憲法解釈は最高裁だけの職能としてきたことからすれば、余りにもリスペクトを欠く発言ではなかろうか。

政府は最高裁の砂川事件判決(1959年)を集団的自衛権の行使容認の合憲性の根拠の一部としているが、元最高裁長官を「一私人」としたことに、野党側の反発が強まる可能性がある。
安保法制:安倍首相「元最高裁長官は今や一私人」

たとえ法案が成立したとしても、それで終わりではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月12日 (土)

モーレツからビューティフルへ/戦後史断章(21)

9月9日の日本経済新聞のコラム「春秋」が、「モーレツからビューティフルへ」という広告キャンペーンのことを書いている。
1970年、創業期の富士ゼロックスのことである。

▼広告を企画した電通の藤岡和賀夫氏は当時、環境破壊など高度成長によるひずみが気になっていた。これまでのモーレツ主義とは逆の価値観を、あえて企業広告で世に問いたい。そう思い「ビューティフル」という言葉に行き着く。この挑戦を即座に受け入れた富士ゼロックス側の担当者が後の社長、小林陽太郎氏だった。▼繁栄のただ中で、後の日本のありようを先取りした藤岡氏と小林氏。広告と企業経営というそれぞれの分野で、両者とも未来を見据えた提案を続けた。藤岡氏は、派手な名所よりも、何気ない街の風景や普通の人々を前面に出した国鉄の広告「ディスカバージャパン」でも指揮を執り、今に至る女性たちの旅の形を作った。▼小林氏は早くから社員のボランティア活動などを応援し、広く企業の社会的責任(CSR)の重要性を説いたことで知られる。その2人が相次ぎ鬼籍に入った。「21世紀になりモーレツからビューティフルへというメッセージは、より意味を持っているのではないか」。10年ほど前、本紙の記事で小林氏はそう語っている。

小林陽太郎氏と藤岡和賀夫氏のことは、小林氏の訃報に関連して軽く触れた。
⇒2015年9月 7日 (月):社会的存在としての企業のあるべき姿・小林陽太郎/追悼(75)

1970年、私は社会人2年目だった。
この年の記憶に残る出来事をWikipediaより抜粋してみよう。

3月14日 - 日本万国博覧会(大阪万博)開幕( - 9月13日)。
3月31日 - 日本航空機よど号ハイジャック事件発生。
6月23日 - 日米安全保障条約自動延長。全国で安保反対統一行動が行われ、77万人が参加。
8月2日 - 東京都内ではじめての歩行者天国が銀座、新宿、池袋、浅草で実施。
10月1日 - 日本国有鉄道(国鉄)が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを開始。
11月25日 - 三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自決(三島事件)。

個人的な記憶で言えば、大きく社会が動こうとしているのを肌で感じた気がする年だった。
⇒2011年7月27日 (水):大阪万博パラダイム/梅棹忠夫は生きている(2)
「春秋」に触発されて、書棚の片隅に眠っていた一冊の本を探し出した。
藤岡和賀夫『モーレツからビューティフルへ-藤岡和賀夫全仕事2』PHP研究所(1988年4月)。
Photo

キャンペーン誕生について、藤岡氏は次のように回想している。

 それはある日の車中の出来ごとでした。私は、その頃通い始めた富士ゼロックスの宣伝部長の小林陽太郎さん(現社長)に、車の中で思い切って切り出してみたのです。
 どうも最近のモーレツブームは気に入りませんね。どうでしょう。ひとつ、富士ゼロックスが先に立って、「モーレツからビューティフルへ」というメッセージを出して「ビューティフル」を世の中にキャンペーンしてはいかがでしょう。
 私たちは、確か毎日新聞社へ向かうところでした。丁度、小林さんと私とで、『人間と文明』という富士ゼロックスの紙上万博企画ともいうべき仕事を話し合っていましたから、何度か新聞社へ一緒に行く都合があったのです。
 もちろんと言いますか、私にはプレゼンテーションのための企画書ひとつ用意がありませんでした。何しろ、こんな広告とは言えない広告の提案なのですから、とりあえずはただ雑談的に私の考え方を聞いて貰えればいい。そんな、私にしたら控え目な気持が車中のチャンスを利用したというわけです。
 それがどうでしょう。小林さんからは、あ、結構じゃないですか、面白いですね、と即座に返事が返ってきた。赤坂を出て千鳥ヶ淵にかかる頃です。

ちなみにモーレツブームというのは、1969年、丸善石油のハイオクガソリンのCMで、猛スピードで走る自動車が巻き起こした風で小川ローザというタレントのミニスカートがまくりあがり、「Oh! モーレツ」と叫ぶ内容で一世を風靡した現象である。
幼児の間でも「Oh! モーレチュ」と言い、スカートめくりが流行するほど社会現象にまでなった。
まだまだ工業社会は隆盛であったが、「成長の限界」が意識され始めてもいた時代であった。
⇒2011年12月24日 (土):『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月11日 (金)

東日本豪雨による鬼怒川決壊と自然堤防の掘削/因果関係論(26)

台風18号から変わった温帯低気圧と日本の東を北上する台風17号の影響で、東日本は広域的に記録的な豪雨となった。
鬼怒川が茨城県常総市で決壊し、宮城県の大崎市でも河川が決壊した。
鬼怒川の濁流に住宅が押し流される息を呑むような映像がTVに映し出されていた。
被害の全容はまだ不明だが、かなりの死者・行方不明者が報じられている。
被災した方々にはお気の毒としか言いようがない。

茨城県常総市で11日、行方不明者は25人になったと市が明らかにした。8歳の子供2人が含まれるという。また気象庁は同日午前3時20分、新たに宮城県に大雨の特別警報を発表。県北部の大崎市で川の堤防が決壊するなど浸水被害が相次ぎ、栗原市で1人が死亡、1人が行方不明となっている。
東日本豪雨:3人死亡26人不明 宮城でも堤防決壊

2
東京新聞9月11日

鬼怒川クラスの河川における破堤はしばらくなかったような気がする。
鬼怒川の氾濫箇所では、自然堤防がソーラーパネル設置のために掘削されていたという情報がある。

 同省関東地方整備局河川事務所などによると、若宮戸地区では、通称「十一面山」と呼ばれる丘陵部が自然堤防の役割を果たしていた。しかし昨年3月下旬、民間事業者が太陽光発電事業を行うため、横150メートル、高さ2メートル部分を削ったという。
 住民から「採掘されている」と連絡があり、市は河川事務所に連絡。削ったことで、100年に1回起こりうる洪水の水位を下回ったため、民間事業者は大型土のうを積んで対策を施したという。
 昨年5月の常総市議会では、風野芳之市議が無堤防化の危険性を指摘したところ、市の担当者は「この地域が無堤防地区となっており、一番危険な場所と判断している」と答弁。茨城県筑西、結城、守谷3市にも同様の無堤防地区があると説明した。市側は各市町村などと連携しながら、国に堤防設置の要望をしていると説明していた。
 「無堤防」状態だったことが、今回の被害の拡大につながったかどうかについて、国交省関東地方整備局河川事務所は「因果関係は分からない」としている。
ソーラーパネル設置のため削られた自然堤防「一番危険な場所」も土のうだけ

自然堤防とは「世界大百科事典 第2版」の解説によれば、以下のようなものである。

河川のはんらんにより,河道の両側に土砂が堆積して形成された帯状の微高地。河川のはんらん時には,多量の土砂を運搬する濁水が通常の河道から周辺に向けて溢流する。洪水流は河道を離れると拡散して水深が浅くなり,流速も弱まる。その結果,土砂の運搬力は急激に衰え,河岸には砂質の堆積物が,さらに遠方にはシルト・粘土質の細粒堆積物が堆積する。このような河川のはんらんのくり返しによって河岸の部分は次第に高さを増し,河道に沿って帯状に連なる自然堤防が形成される。

国交省は因果関係について慎重な言い方であるが、自然堤防を掘削した事実があるなら当然因果関係が想定される。
損害賠償責任の認定は難しいかも知れないが、土地の来歴を考慮しない改変は、予想外の事態を招くことをキモに銘じたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月10日 (木)

司法試験問題漏洩と「法の支配」の危機/日本の針路(228)

大澤真幸、木村草太『憲法の条件-戦後70年から考える』NHK出版新書(2015年1月)は、「法の支配」から始まる。
いま、違憲の疑いが濃い安保法案が成立しそうになっている時点で、「立憲主義」の危機であるが、より根本的には「法の支配」の危機と言うべきである。

「法の支配」の対立語は「人の支配」である。
「人の支配」とは、権力を持つ人間の考え方で支配することである。
その権力による支配を制約しようという考え方は13世紀の「マグナカルタ」に遡る。
しかし現実には、現代でも「人の支配」は、中国共産党の独裁のように「法の支配」の上位に立つ例はある。

現代日本はどうか?
「人の支配」が空気を通じて間接的に行われているのではないか。
すなわち「空気の支配」である。
⇒2008年4月28日 (月):山本七平の『「空気」の研究』
⇒2015年9月 8日 (火):無投票は安倍政権の「終わりの始まり」/日本の針路(226)

そんな折り、司法試験問題が漏洩していたという事件が報じられている。
「法の支配」の危機である。
Ws000000
日本経済新聞9月9日

 関係者によると、青柳教授は明治大法科大学院を修了した教え子の20代女性に自ら作成した憲法分野の問題を漏らし、解答の仕方を指導していた。順守事項に反したことになり、07年の対策が機能しなかった形だ。
 考査委員は法律実務家(裁判官、検事、弁護士)と法科大学院教授らの学者で構成され、07年当時は考査委員156人中82人を学者が占めていた。法務省は08年から問題を作成する考査委員と採点から加わる考査委員に分け、学者の数を大幅に減らした。今年の出題に携わった考査委員132人のうち、学者は3分の1に満たない39人にまで減ったが、やはり不正を防ぐことはできなかった。
 法科大学院教員を考査委員から外すよう求める声が高まる可能性もあるが、現実には困難との指摘は少なくない。法務省幹部は「出題や採点には最新の判例分析など学者の専門知識が欠かせない」と指摘する。
 今回の不正は、教え子の解答の完成度が他の受験生に比べて突出して高かったことから発覚した。ただ、法務省関係者は「1対1の関係で漏えいされた場合、表面化せず見逃されてしまう可能性も十分にある」と述べ、不正を完全に防ぐことは困難との見方を示した。
司法試験漏えい:出来過ぎた解答で発覚 経緯は背景は?

「教え子の解答の完成度が他の受験生に比べて突出して高かった」というのは、模範解答の丸暗記であろうか?
しかし、思考力を問うべき問題で丸暗記力が、「突出して高い」点数を与えられるというのは、試験問題に欠陥があるのではなかろうか。
それにしても、予備校の講師が入試問題を作成するようなものではないのか。
試験制度に唯一の正解はあり得ないだろうが、よりマシな制度を検討すべきではないか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 9日 (水)

異論封殺の安倍政権/日本の針路(227)

安倍無投票再選のご祝儀ではないだろうが、株式市場は大幅高で引けた。
前日の終値比+1343円高の1万8770円(+7.71%)である。
メデタシ、メデタシと言いたいところだが、そう単純なことではないだろう。

安保法案について、自民党の谷垣禎一、公明党の井上義久両幹事長らは9日午前、東京都内のホテルで会談し、安全保障関連法案の16日の成立を目指すことを確認した。
また、自民党の高村副総裁は、青森市での講演で、安全保障関連法案について、国民の理解が「十分得られてなくても、やらなければいけない」と述べ、今の国会での成立を強調した。

 自民党・高村副総裁:「安全保障というのは、国民のために必要だということで、(国民の理解が)十分得られてなくてもやらなければいけない時がある」
 そのうえで、高村氏は「選挙で国民の理解が得られなければ政権を失う」と話し、次の衆議院選挙で国民の審判を仰ぐ意向を示しました。
自民・高村副総裁「理解得られなくてもやらねば」

既成事実を作ってしまえばそれまで、という思惑が丸見えである。
まさに国民の意向など無視というファシズム体質であるが、「理解を得られるよう、丁寧に説明すろと言っていた安倍首相はどう説明するのだろう。
総裁選の過程ではっきり見えてしまったのは、力づくで異論封じを行う政権の姿である。

Vs野田氏推薦に傾く議員に、首相を支持する派閥幹部らは思いとどまるよう説得を重ね、開かれた場での議論を求める党内の声を封じた。安全保障や原発などの重要政策で反対の民意に耳を貸さず、権力を行使してきた政権の体質が、身内である党内の対応でも浮き彫りになった。
・・・・・・
 首相は重要政策の正当性を訴える際、たびたび衆院選勝利を根拠にしてきた。他国を武力で守る集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案に関し「公約として掲げ、国民から支持をいただいた」と強調。原発再稼働や沖縄県名護市辺野古(へのこ)への新基地建設計画も推進の姿勢を堅持している。
 だが、いずれも衆院選で争点にしたわけではなく、世論の反対は強い。安保法案は違憲の疑いが指摘され、全国に反対デモが広がるなど廃案を求める声が高まっている。
自民総裁選 党内議論も封印 安倍首相が無投票再選

安倍政権の高支持率の相当部分がアベノミクスと称する経済政策で、異次元の金融緩和による株高の演出による。
結果として株式市場は賭場化し値動きが荒くなっている。
日経平均株価の1月間のチャートを見よう。
Ws000000

こんな賭場に大事な年金の原資を投下して欲しくはない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 8日 (火)

無投票は安倍政権の「終わりの始まり」/日本の針路(226)

自民党の総裁選は、立候補を模索していた野田聖子氏が、推薦人を集められず断念し、安倍再選が確定した。
派閥の領袖がこぞって安倍再選支持を表明していたので、想定の範囲内のことであった。
野田氏は記者会見で次のように発言した。

 このたび、総裁選実現のために出馬を目指しましたが、私の力及ばず、本日ただいま、総裁選への挑戦を断念しました。3年に1度の総裁選は、現状、事実上、総理を目指す国会議員の政治理念や政策を、広く国民の皆さまにお示しできる貴重な機会です。
 今回私の思いにご理解を示してくれた同志の議員から、「民主主義では、全会一致の決議は無効である」との言葉をいただいた。さまざまな意見に耳を傾け自民党らしい自由闊達(かったつ)な議論ができる総裁選を実現したいという思いを、さらに強くし、全身全霊で取り組んできました。自民党にも多様な議員がいて意見があるし、その多様性が自民党の魅力であるはずです。
野田聖子氏が自民総裁選への立候補断念「力及ばす」

私は自民党員ではないので、総裁選自体はどうでも良いが、自民党総裁=首相だから安倍続投ということになれば、言いたいことはある。
これで安倍政権は盤石のものとなった、と言えるのであろうか?
私はむしろ、「終わりの始まり」と考える。
何故か?

カギは、野田氏が同志の言葉として引用した「民主主義では、全会一致の決議は無効である」である。
ユダヤの法では「全員一致の決議は無効」という話が、イザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人 角川文庫ソフィア(1971年9月)に紹介されている。
なぜ全員一致の決議が無効になるかといえば、全員一致の決議とは、外部から強い圧力がかかっているか、あるいは熱狂の中にいて勢いで決めてしまっているかのいずれかであるからである。
前者の場合は決議は無効、後者の場合は翌日もう一度決議をとる、というルールだという。

今回の選挙については、官邸と派閥の領袖から、きわめて強い締め付けがあったという。
安倍政権の焦燥が感じられるが、上記のように考えれば、「無効」ということになる。
実際は、予定調和のように安倍首相が続投することになるが、国会が開かれている最中に、テレビの翼賛番組に出演しているような人間が、長く政権を維持できるとは思えない。
Photo
日刊ゲンダイ9月8日

日経新聞の9月2日の社説は、総裁選に触れて次のように書いていた。

 無投票再選に向けた一連の流れを通じて自民党の現状が浮かび上がってきた。無投票の是非よりもむしろそこに党の問題がある。
 第1は党の活力の低下である。五大派閥が覇を競い、その合従連衡で総裁が選ばれていた時代と比べても意味はないが、政治はつまるところ権力闘争である。
 権力を獲得するため個々の議員やグループがしのぎを削る中で党のパワーは生まれてくる。もちろんそのために何をしてもいいわけではない。大義名分、政策の一致が必要なことはいうまでもない。
 時の権力に挑んでいくエネルギーが弱まってはいないか。「官邸翼賛会」と皮肉られても仕方のない現実が今の自民党にはある。
 第2は人材の払底である。ポスト安倍をうかがうリーダー予備軍はどこにいるのだろうか。禅譲ねらいでじっと我慢も、ひとつの戦略ではある。しかし名乗りをあげないことには、はじまらない。
 もっと深刻なのは派閥が壊れた結果、自民党には人材の養成システムがなくなったことだ。将来のリーダーを育てる仕組みのない組織に明日はない。
 第3はそもそも自民党は何をめざす政党なのかという理念がはっきりしなくなっていることだ。

かつて山本七平氏は、昭和の無謀な戦争の開戦について、「空気」が決めたと喝破した。
⇒2008年4月28日 (月):山本七平の『「空気」の研究』
ちなみに、イザヤ・ベンダサンは山本氏の別名といわれる。

安倍一強という「空気」が自民党を覆っているとしたら将来はない。
日経新聞といえば、どちらかと言えば政権よりであろう。
この社説は正鵠を射ているように思われる。
つまり自民党に陰りが出ており、安倍政権の「終わりの始まり」ということである。

来年夏には参院選が行われる。
安倍首相は、衆参同時選挙は避ける意向のようだが、参院選は必然である。
しかし、どう考えても自民党は議席を相当に減らすことになろう。
安倍効果とでも名付けたいが、多くの国民の政治に対する意識が変わったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 7日 (月)

社会的存在としての企業のあるべき姿・小林陽太郎/追悼(75)

経済同友会の元代表幹事で富士ゼロックス元会長の小林陽太郎さんが5日、左慢性膿胸のため亡くなった。
1933年(昭和8年)4月25日生まれで、82歳だった。

Ws000000_2 富士ゼロックスの親会社、富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)を世界的企業に育てた小林節太郎元社長(故人)の長男で、慶大経済学部卒。米ペンシルベニア大ウォートンスクールを修了後、1958年に富士写真フイルムに入社。63年、設立されたばかりの富士ゼロックスに移り、78年に44歳で社長に就いた。
 企業の「社会的責任」や企業の意思決定に内外の監視機能が働くようにする「企業統治(コーポレートガバナンス)」の必要性を早くから主張した。富士ゼロックスの販売本部長時代、公害問題への批判も込め、「モーレツからビューティフルへ」というキャッチコピーで広告宣伝を展開したのもその一環だ。
 社長時代には品質管理の取り組みが評価され、デミング賞実施賞を受賞。90年には国内で初めてボランティア休職制度を導入するなど「個の発想を重視した新しい働き方」を提唱した。
 財界活動にも積極的に参加し、99~03年に経済同友会の代表幹事を務めた。日本の財界団体のトップに外資系企業の経営者が就くのは初めてだった。米国型の市場主義の重要性を踏まえつつも「最終ゴールではない」として、市場主義一辺倒ではない企業や経済のあり方を模索した。
富士ゼロックス元会長の小林陽太郎さん死去 82歳

経済同友会では、「企業白書」というレポートを不定期で発行している。
小林さんが会長任期に、小林会長の肝いりで作成された「第15回企業白書」が『「市場の進化」と社会的責任経営』である。
「企業白書」は、格調の高さを誇る(競う?)が、このレポートもまことに格調が高く仕上がっている。
一言で言えば、進化しつつある企業環境(すなわち市場)において、今後企業はCSR(企業の社会的責任)を基軸にした経営にシフトしなければならない、というものである。

キレイごとではないかという批判は当然起こりうるだろう。
しかし、東芝の大規模な不適切会計(粉飾)が伝えられる中では、一段とリアリティを増すのではなかろうか。

小林氏は、1978年44歳で社長に就任したが、 社長に就任してまもなく「マーケットインからソサエティインへ」を掲げ、「モーレツからビューティフルへ」というメッセージを打ち出した。
電通で「モーレツからビューティフルへ」を担当した藤岡和賀夫氏も先日亡くなったばかりである。
⇒2015年7月29日 (水):「少衆VS分衆」論争・藤岡和賀夫/追悼(73)

まだまだ高度成長の空気に包まれている頃であり、時代に先駆けた発想だった。
社会全体に「反知性主義」のムードが蔓延している中で、大所高所からの情報発信が期待されるところだった。
合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 6日 (日)

高尾山穂見神社と水神/やまとの謎(106)

アヅマやアヅミの関連資料を探していたら、池田光二『山名考』文芸社(2003年3月)という著書に出会った。
著者は大正8(1919)年生まれで、昭和48(1973)年に享年54歳で亡くなった。
京都大学文学部史学科卒業とあるが、地理を専攻したようである。
復員後実業界で活躍の傍ら、山行に勤しむ生活を送られたようである。
当該書は、遺稿をまとめたもので、著者の心算としては未定稿を含んでいるのではなかろうか。
さしずめ今ならば、ブログ等で発表された文章ということになろう。

山好きに人気のある穂高岳。
私も若い時に、テントを担いで上高地から涸沢を経て、奥穂岳や北穂岳に登った。
旧制沼津中学出身の井上靖さんの『氷壁』が人気だった。

穂高という山名は、槍の穂先のように高く聳えているからだろう、と何気なく思っていた。
しかし池田さんは、穂高見命を祭った穂高神社にちなんでつけられたものではないか、という。

沼津市東熊堂の高尾山遺跡は、高尾山穂見神社と熊野神社が墳頂に鎮座していた。
現在は道路計画のための発掘調査により、東側に遷座している。
Photo
奥が穂高見、手前右側が熊野

穂高見と高尾山穂見。
何らかの関係があると考えるのが自然だろう。

池田さんによれば、穂高見命は山の神様ではなく、水の神様だという。
安曇野がすばらしいワサビの産地であり、清冽で豊かな水で知られることは言うまでもない。
Httpscene803blogsonetnejp200805051
httpscene803.blog.so-net.ne.jp2008-05-05-1

愛鷹山には桃沢の地名と桃沢神社が何カ所かある。
赤塚さんは、モモは百のことで、沢山を意味すると説明していた。
沢には水が湧く。
そう言えば、愛鷹山には水神社がある。
へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』の長泉町のサイトには以下のような説明が載っている。

守護龍神 愛鷹水神
長泉町を守護する龍の姿をした神で、その名の通り水の神である。本来は他の龍神とともに富士山の神を鎮めるために鎮座しているとされる。その荒ぶる姿は時に恐れられ、時に尊ばれる。長泉町民は畏敬の念をこめて愛鷹水神を「水神さん」と呼ぶ。町内は至るところに水神の霊力が走っているため、長泉町の水道料金は同規模の水道事業では日本一安い。

高尾山穂見神社は水とも関係するのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 5日 (土)

アズミ系倭人とアズマの領域/やまとの謎(105)

沼津市東熊堂にある高尾山古墳に対して、全国的な注目度が高まっている。
同古墳は東日本で最古級の古墳であり、古代史を書き換える可能性を秘めている。
しかし、国道1号線のすぐ脇に位置し、国道246号線との接続道路のため取り壊される寸前である。
⇒2009年9月20日 (日):沼津市で最古級の古墳を発掘
⇒2009年9月21日 (月):沼津市で最古級の古墳を発掘(続)
⇒2015年6月17日 (水):高尾山古墳の主は卑弥弓呼か?/やまとの謎(103)
⇒2015年6月25日 (木):高尾山古墳が存亡の危機という非常事態/やまとの謎(104)

ようやく地元でも取り壊し反対の気運が高まり、署名活動も行われている。
沼津市長は、8月6日に臨時記者会見を開き、「従来の計画を白紙撤回する」旨発言した。
しかし8月26日の定例記者会見では「議会の議決を留保したことの延長に過ぎないと後退してしまった。
「白紙撤回」という表現に対して、議会側から突き上げがあったと聞く。

同古墳は、邪馬台国とほぼオーバーラップする年代観である。
邪馬台国と対立した狗奴国に比定する考え方もあるが、狗奴国論のトップランナー赤塚次郎氏の講演を聞いた。
Photo_5

赤塚さんは、NPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長であるが、『幻の王国・狗奴国を旅する―卑弥呼に抗った謎の国へ 』風媒社(2009年12月)という著書がある。
文化財ではなく文化遺産と捉える視点の重要性を強調しておられた。
前者は行政の枠組みにとらわれるが、後者は市民が自由に取り組めばいい、ということだった。

講演では、スルガ國の位置づけ、地域における旧郡の重要性、山の民と海の民が交錯する沼津という場所の特性、アヅマの領域と足柄峠、ヤマトタケル伝承との関連等々、実に多様な視点から話された。
高尾山古墳に関しては、ヤリの王、船形の木棺、日の出の向きに眠っていた王、東海(濃尾)デザインの高坏型土器、木工集団を象徴するヤリガンナ、2タイプの鉄ヤジリ、東四国産(?)の勾玉等々が注目点だという。

「週刊現代」に連載中の『アースダイバー』で中沢新一さんが扱っている。
2900年ほど前に北部九州にたどり着いた「倭人」の子孫が海岸沿いに日本列島を東進した。
縄文人と混血しながら、稲作と漁業を合体させた弥生式生活を広めていった。

その一部に「アヅミ」がいる。
さらにその一部は富士川をさかのぼって甲州櫛形山の麓に拠点を設け、高尾穂見神社を建てた。
それが沼津に里帰りして「高尾山穂見神社」になった。

博多湾志賀島を拠点としていたアヅミ系倭人は、日本海側と太平洋側に分かれて東進した。
日本海側を進んだグループは、糸魚川から姫川をさかのぼって、信州安曇野の至った。
太平洋岸を進んだグループは、伊勢湾に一大拠点を作った。
一部はさらに東進して、海部、渥美、海士、熱海などの地名を残しながら駿河湾に至った。

沼津に浮島沼という低湿地がある。
私の子どもの頃は、「浮島の沼は底なしだ」などと言われていたが、排水工事によって宅地化が進んだ。
しかし沼地は、重機のない時代には稲作の適地でもあった。
半農半漁の生活をしながら実力を蓄えて「スルガの王」を出すまでになった。

伊勢の海人勢力がスルガの海人勢力とヤマト王権をとりもったのであろう、と中沢氏は言う。
スルガ王とヤマト王権は、服属的な関係というよりも同盟的な関係を結んだ。

ところで「アヅミ」と「アヅマ」は関係があると考えるのが自然だろう。
講演会で、会場に来ていた郡山の人が、郡山にも大きな前方後方墳があると発言していた。
福島県と山形県にまたがる名山に吾妻山がある。
吾妻山はいくつかあるが、代表的なものであろう。

この吾妻山は、「アヅマ」と呼ばれる領域を示していると考えられるが、「アヅマ」の境界なのであろうか?
都からの距離に応じて、ヒナ-アヅマ-エミシという区分があったという。
ツマは端の意であるというのが定説であるが、ツマ自体王権の支配の広がりと共に変わっていったであろう。
Ws000001

吾妻山は、アヅマとエミシの境界に相応しいのではないか。
最古級の前方後方墳として知られる松本の弘法山古墳は、信州アヅミ族と関係があるであろう。
アヅミ-アヅマ-前方後方墳の関係が気になる。

スルガ國のはじまり=沼津の原点。モモ(たくさんの意味)沢(愛鷹)を奉る部族。実証だけでなく、ストーリーを重視する姿勢に共感を覚えた。そう言えば、historyはハイ・ストーリーだ、という説明を聞いたことがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 3日 (木)

安保デモ報道とメディアの立ち位置/日本の針路(225)

安全保障関連法案に反対する市民団体が8月30日国会近くで集会を開いた。
Photo_4
東京新聞8月31日

主催者発表で約12万人、警視庁発表で3万3千人が参加した。
デモの様子は地上5mの鳥の目で撮影した動画がある。

鳥の目線で撮影したデモの様子は動画をみてください。4分21秒あります。
https://youtu.be/6ohr-TAI14M
8月30日、安保法制反対の抗議活動 地上5メートルからの観察/日比谷公園から国会前まで

デモの参加者等の報道の仕方で、メディアの立ち位置が良く分かる。
まず、海外の反応。

 BBCは「日本の若者は政治に無関心で無気力だと批判されるが、彼らは目覚め、沈黙することを拒否しているようだ」と報じた。デモ参加者へのインタビューを交えながら、「(安倍晋三首相が)この声を聞いているのかが問題だ」とも。英紙フィナンシャル・タイムズは、中国の領土的野心への懸念から法案が準備されたと伝え「安倍首相は軍国主義の過去から学んでおらず、中国も同じ道を歩む危険がある」とのデモ参加者の声を紹介した。
 日本と同じ敗戦国で現在は北大西洋条約機構(NATO)の集団的自衛権に基づく作戦に参加しているドイツも関心を見せ、第1、第2公共テレビはそろって30日夜のメインニュースで取り上げた。安保関連法案を「戦後初めて自衛隊を海外での戦闘に参加させる法案」と解説し、「平和主義からの決別に市民が反対している」「安倍首相は9月中の法案成立を願っているが、逆に市民の反対は増えている」と伝えた。米CNNや通信社も「ここ数年で最も大きなデモの一つだ」(ロイター通信)などと報じた。
安保デモ:海外が注視…BBC「日本の若者は目覚めた」

これに対して、NHKは?

イギリスBBCは30日、東京の国会議事堂前で実施されたSEALDsの「100万人デモ」の現場からの中継をトップニュースで伝えた。マレーシアの首相退任要求デモと同列の扱いで重視していた模様。なお、NHKは30日夕方現在デモを報じておらず、夜のワイドニュースになって初めてデモを報じた
イギリスBBCがトップニュースでSEALDs国会100万人デモを中継 NHKは無視

さすがに、籾井会長にした効果か?
国内新聞の報道は、東京新聞の斎藤美奈子さんの「本音のコラム」9月2日が『新聞の立ち位置』が次のように書いている。

 朝日新聞は一面のほか二面、社会面でこれを扱い、毎日新聞も一面で報道、社会面には抗議活動の広がりを示す全国地図を掲載した。
 苦笑したのは読売新聞だ。社会面に載った小さな記事の見出しは「安保法案『反対』『賛成』デモ」。二十九日に新宿で行われた賛成デモ(主催者発表で五百人)と、国会前の反対デモ(同十二万人)を同列に扱い、さも意見が拮抗している風を装う。写真も二枚。
 が、ここまではまだマシ。笑いが引きつるのは産経新聞だ。社会面の記事の見出しは「周辺、雨中騒然」。・・・・・・「デモ=騒擾」とみなす姿勢がありあり。
・・・・・・
 読売が御用新聞風なら悪意に満ちた産経の報道は、もはや市民の敵レベル、特高警察風である。市民運動に対する認識も五十年古い。ジャーナリズムの看板をもう下ろしたら?

産経新聞はご丁寧にデモ参加者を独自に試算している。

Photo_3 試算は上空から撮影した正門前で警備にあたっていた警察車両の前に機動隊員が15人並んでいたことを基準とした。そこに面した正方形部分(矢印)の人数を約225人と計算。白枠の正方形はその16倍で約3600人とした。9つの白枠全てが参加者で埋まっても国会前は約3万2400人となった。
安保法案反対デモ、本当の参加者数を本社が試算

何で9マスだけ数えたかは不明だが、警視庁発表より少ない数とするのは驚きである。
産経が試算した3万2400人でも十分多いという声もあるが、橋下徹大阪市長(大阪維新の会代表)は31日、自身のツイッターで「日本の有権者数は1億人。国会前のデモはそのうちの何パーセントなんだ? ほぼ数字にならないくらいだろう」とつぶやいた。
60年安保の時に岸信介首相(当時)が言った「デモをしている人よりプロ野球を見ている人のほうが多い」とそっくりである。

岸と安倍はもちろん血族であるが、白井聡さんの言う「永続敗戦」のレジームで繋がっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 2日 (水)

撤回は国民の理解が得られないためか?/日本の針路(224)

2020年東京五輪の公式エンブレムについて、大会組織委員会は1日、エンブレムの使用中止を正式に決めた。
2150902_2
東京新聞9月2日

この問題は、明らかにされていない経緯もあるので軽々に言うべきではないだろうが、使用中止 は順当な結論ではあると思う。
当初は、ベルギーのリエージュ劇場のロゴに似ていると指摘された。
この時、佐野氏は断固模倣を否定したのであるが、その後サントリーのバッグのデザインについて、スタッフのコピーを認めた。
原案は似ていなかったという組織委の釈明が、藪を突いたような結果になった。
⇒2015年8月30日 (日):デザインにおける模倣と創造/知的生産の方法(124)

修正の過程で劇場のロゴに似たとすれば、その責任はどこにあるのか?
そもそもの原案が、別のポスターに似ているのではないか、と指摘された。
使用事例として佐野氏が示した図が、コピーしたものであった・・・・・・

結局、佐野氏が「原作者として」案を取り下げたので、組織委としても撤回したという説明である。

組織委の武藤敏郎事務総長は記者会見で、制作したアートディレクター、佐野研二郎氏(43)から取り下げの意向が示されたことを明かし「このままでは国民の理解が得られない」と撤回の理由を説明した。佐野氏も同日夜、「模倣や盗作は断じてしていないが、批判やバッシングで今の状況を続けるのは難しい」とのコメントを出した。
五輪エンブレム撤回:佐野氏「国民の理解得られない」

要するに、「盗用ではなかったが、国民に理解されない」、、使用中止はあくまでエンブレム原作者であるデザイナーの判断であって、組織委員会は悪くないと言っている。
混乱を招いた責任を取る気配はみじんもない。

国民の理解が得られないとは、国民が悪いかのような言い方である。
安保法案も同じであるが。
またしても無責任の体系が露呈したといえよう。
⇒2015年7月23日 (木):五輪招致演説に表出した無責任の構造/人間の理解(16)

遠藤利明五輪担当相は1日、新国立競技場の整備計画の白紙撤回を含め、前代未聞の事態が続いたことについて「大変、残念だ。しかし、災い転じて福となすとの言葉もある。疑念をすっきりさせたうえで、透明性を高めて、新しく決めてほしい」と述べた。
まったく他人事のようであり、これでは決して「災い転じて福となす」というようにはいかないだろう。

新国立競技場とエンブレムには共通するところがある。
不透明な選考過程と権威主義である。
サントリーがいち早く佐野氏のデザインに決着をつけたことに比し、五輪組織委は親方日の丸的ではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年9月 1日 (火)

学力テストの狙いと使い方/知的生産の方法(125)

文科省の全国学力テストがまた話題になっている。
わが静岡県は、結果の公表の仕方をめぐり、川勝平太知事が波紋を呼んだことがある。
⇒2014年9月 6日 (土):全国学力テストの意義と公表の仕方/日本の針路(38)
⇒2013年9月12日 (木):全国学力テスト静岡県の乱/花づな列島復興のためのメモ

今度は、大阪府教育委員会が文部科学省の反対を押し切って、来春から全国学力テストの結果を高校入試に利用するという。
学力テストは毎年、原則すべての小学6年生と中学3年生が参加して行われる。
今年は国語、算数・数学のほか、理科が3年ぶりに加わった。

Photo_2理科のテストは、科学技術人材の育成が課題となるなか、子どもたちの理科離れが指摘されていたことなどから学力を把握し授業の改善につなげようと3年前に全国学力テストに導入されました。ただ、3年前は抽出調査で、全員が対象となったのは今回が初めてです。テストでは、観察や実験の結果を分析し考察したり説明したりする力に課題が見られました。
設問3(6)小学校で正答率が最も低かったのは、実験結果を見ながらものの溶け方の規則性を答える問題です。水100ミリリットルを50度に温めてから砂糖を溶かし、冷蔵庫で5度まで冷やすと容器の底に砂糖がたまっていたという想定で水の温度と砂糖が溶ける量の関係を示したグラフを参考に、溶けきらなかった砂糖は何グラムかを答え、その理由も記述します。正しく答えられたのは29.2%でした。
全国学力テスト 理科は実験分析などに課題

学力テストの狙いは、学力の傾向を把握し、授業や指導の改善などの対策に資することである。
リケジョなどとブームを煽るのではなく、地道に好奇心を育てたい。

入試に使うとなれば、学校の序列化に伴う点取り競争に陥ることは必定であろう。
それは健全なこととは言えない。
文科省の見識が問われるところである。

 二〇〇七年に現行の学力テストが復活してからも、成績の取り扱いをめぐり度々問題が持ち上がる。
 かつての失敗を繰り返さないよう、文科省は市町村別や学校別の成績公表を禁じていた。ところが、情報開示や説明責任を理由にルール破りの自治体が相次ぐと追認に転じた。それで大阪府を翻意させられるのか。
 毎年かつ全員参加方式は見直すべきだ。もはや一点刻みの競争教育の時代ではない。子どもの人格に目を向けた教育力を磨きたい。
全国学力テスト 入試利用は競争あおる

今回、すべてのテストで正答率の低い地域と全国平均との差が縮まっているという。
底上げによって学力の平準化が進んだのなら好ましい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »