数学的帰納法における「3」の重要性/知的生産の方法(128)
数を表すのに、ローマ数字では、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと棒を1本ずつ増やしていき、次の4は普通はⅣと書く。
漢字でも、一、二、三と棒を1本ずつ増やしていき、次の4は四と書いてパターンが変わる。
われわれの祖先は、3までの数と4以上の数を別扱いしていたようである。
「3」が、マジックナンバーであることは既に触れた。
⇒2013年6月11日 (火):整理のカギは「3」にある?/知的生産の方法(60)
芳沢光雄『世界のエリートに必要な「証明力」の養い方 』大和書房(2015年6月)に、「整数で成り立つ性質は「3」に注目する」という項が載っている。
整数というのはもちろん1,2,3,4・・・という数である。
整数は、0と負数も含むから、例示したものは自然数というべきかも知れないが。
任意の自然数nに対して、数学的帰納法によって証明することを学んだのは、高校の時だっただろうか。
Wikipediaでは次のように説明している。
自然数に関する命題P(n) が全てのn に対して成り立っている事を証明するための、次のような証明手法である。
- P(1) が成り立つ事を示す。
- 任意の自然数 k に対して、P(k) ⇒ P(k + 1) が成り立つ事を示す。
- 以上の議論から任意の自然数 n について P(n) が成り立つ事を結論づける。
数学的「帰納」法という名前がつけられているが、数学的帰納法を用いた証明は、帰納ではなく演繹である。2. により次々と命題の正しさが"伝播"されていき、任意の自然数に対して命題が証明されていく様子が帰納のように見えるためこのような名前がつけられたにすぎない。
発展的には難しい議論もあるが、私には難し過ぎるので触れない。
高校の教科書等の初等的な解説書ではドミノ倒しに例えて数学的帰納法を説明しているものも多いというが、確かにドミノ倒しのイメージで考えれば分かり易い。
k 枚目のドミノが倒れれば、k+1 枚目のドミノが倒れることが言えれば、1枚目のドミノが倒れることによって、すべてのドミノが倒れる。
芳沢氏の本では、次のような図を用いて説明している。
ドミノが2枚の場合は、倒すドミノと倒されるドミノの関係である。
ところが、3枚のドミノでは、間にあるドミノは、〈倒され〉かつ〈倒す〉という両方の性質を持っている。
4枚以上になっても、3枚の場合と本質には同じである。
1,2,3,4・・・と繋がっていく場合、「1」と「2」だけでは説明できない。
「3」を理解することにより、、〈倒され〉かつ〈倒す〉という両方の性質を持っていることの重要性が理解できる。
やはり「3」はマジックナンバーである。
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コメント
一説によると、タスマニア先住民は、1、2、たくさん、と数えるのだそうでありまして、3以上の数字は4でも5でも同じ扱いという点においては、数学的帰納法的には必要十分なイメージを持っていたという事でありましょう。また2の次に「たくさん」が来る事からして、三進法的な考え方もあったのかも知れません。
現在私たちは主に10進法を用いていますが、もしその理由が「指が10本であったから」だったとすれば、我々はタスマニア先住民に比べて、はなはだ数学的能力が低い民族ではないかと考えてしまう次第です。
投稿: Yas | 2015年9月30日 (水) 23時43分
Yasさん、こんにちは。
近代化と数えることの効率化は密接に関係しているのではないかと思います。
数えるという行為はデジタル化に繋がりますが、特に、電気信号が2進法と相性が良いことが大きいのでしょうね。すると10進法の利点は何だったのかが、改めて問われます。適度な大きさというのが1つの考え方ですが、60進法との比較ならともかく、12進法との間の差異は余りないでしょう。約数も12の方が豊富ですから、12進法がデファクト・スタンダードになる条件は十分にあったとも考えられます。
とすると。指10本説も捨てがたい。
いずれにせよ、文化として定着したことは大きいでしょう。
投稿: 夢幻亭 | 2015年10月 1日 (木) 10時28分