阿川弘之『雲の墓標』/私撰アンソロジー(41)
先日亡くなった阿川弘之さんの代表作『雲の墓標』の末尾。
私は高校時代から繰り返し読んだ作品である。
⇒2015年8月 6日 (木):落暉よ碑銘をかざれ・阿川弘之/追悼(74)
主人公は吉野次郎。
藤倉、坂井、鹿島と共に、京大の国文で万葉集を学んでいた。
昭和18年に学徒出陣で応召する。
学徒出陣について、Wikipediaは以下のように記す。
学徒出陣(がくとしゅつじん)とは、第二次世界大戦終盤の1943年(昭和18年)に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。日本国内の学生だけでなく、当時日本国籍であった台湾人や朝鮮人、満州国や日本軍占領地、日系二世の学生も対象とされた。なお、学徒動員と表記されることもある。
中では、鹿島と藤倉が戦争に「きわめて批判的乃至傍観的であった」。
鹿島は一般兵科で、横須賀武山海兵団に行き、3人とは別れる。
吉野、藤倉、坂井は、飛行科で土浦航空隊に配属される。
その後、大竹海兵団に移って訓練を受ける。
藤倉は、ずっと反戦的な気分を持続させていたが、昭和20年3月に訓練中に事故死する。
坂井は、昭和20年4月に特攻出撃し、戦死する。
吉野の出撃は、7月9日である。
あと1カ月余で敗戦であり、もちろんその頃は必敗ということは分かっていた。
吉野の鹿島宛の遺書が、、次の言葉で始まる。
雲こそ吾が墓標
落暉よ碑銘をかざれ
そして、唯一生き残った鹿島は吉野の両親あての手紙を書き、詩を同封する。
その詩の後半部分を掲出した。
まさに絶唱というべきであろう。
安倍政権の手で、積極堤平和主義という名の下に、戦争ができる国へと大きく舵を切ろうとしている。
しかし、多くの国民はその欺瞞性をすでに理解している。
安倍首相の言うように、「国民の理解が進んでいない」のではなく、理解したから反対しているということが、政府・与党には「理解が進まない」らしい。
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