「少衆VS分衆」論争・藤岡和賀夫/追悼(73)
プロデューサーの藤岡和賀夫さんが13日、心不全で亡くなった。
87歳だった。
電通入社後、富士ゼロックスのCM「モーレツからビューティフルへ」や、いずれも旧国鉄の旅行客誘致キャンペーンの「ディスカバー・ジャパン」、山口百恵さんのヒット曲で有名になった「いい日旅立ち」なども手がけた。
PR局長などを経て退社後、フリーに。著書に「さよなら、大衆。」など。
藤岡和賀夫さん死去 「モーレツからビューティフルへ」
時代が大きく変わろうとしている時、その変わりゆく方向性を、広告という手段で鮮やかに切り取って見せた。
私には、「さよなら、大衆。」の出版を契機として、博報堂生活総合研究所との間で交わされた「少衆・分衆論争」が記憶に残っている。
ちなみに「少衆」概念は、上述のように藤岡和賀夫氏が提唱し、「分衆」概念は、Wikipediaで以下のように説明されている。
1985年に博報堂生活総合研究所編の「分衆の誕生」にて定義され、同年の新語に選ばれた語である。ある製品が普及し1世帯あたりの平均保有数が1以上になることをいう。たとえば自動車やテレビのように1世帯に1台だったものが1世帯に2台ないしは1人1台のように状況が変化することである。
次のように解説されているが、部外者には同じようにも見える。
少衆論は、当時電通PR局長であった藤岡和賀夫が「さよなら、大衆」において主張した議論である。「少衆論」によると、今や消費者の行動基準は「理性」ではなく「感性」であり、画一的な大衆消費から、それぞれの感性を共有する仲間たる「少衆」が個性的な消費を繰り広げる多様な消費の時代へ転化するという。こうした「少衆」のマーケットに対しては「どうしても多品種少量の方向に生産の仕組みを変えなければならない」(p48)と説いている。
一方、分衆論は、当時主席研究員であった関沢英彦を中心とする博報堂生活総合研究所が著した『「分衆」の誕生』において展開された。分衆論でも少衆論と同様に、消費者の変化を主張する。この議論によると、画一的な大衆消費とは異なる個性的な消費が見られるようになったという。それう特徴付けるのは、「分割された」大衆としての「分衆」である。「分衆」は「人々はばらばらな生きかた、暮らしかたを志向」し、「他人と同じでは気がすまない」という (p14)。
このように、消費者の個性や多様性、感性、差異化などを強調する点では、両者とも典型的な進歩史観的な消費論である。これ以降、「小衆」「階衆」「客衆」など少衆論、分衆論に類似した多数の議論が出てきた。(p122)
消費論ブーム
時代が変わりつつあることは確かだが、変わる先のイメージははっきりとした形をとっていない。
7月26日の東京新聞のコラム「筆洗」は次のように書いている。
当時は時代の曲がり角である。経済的価値を追い求め、モーレツに働き続けてきた高度成長期の日本人に向かって、もっと人間的で「ビューティフル」な生き方をしようよと広告でささやいた▼今、見ても挑戦的な内容である。若い男(加藤和彦さん)が銀座の町を歩いている。手に持つのは、「ビューティフル」のプラカードと小さな花。それだけである。「ビューティフル、解放。ビューティフル、尊厳。ビューティフル、人間性…」とナレーションが続く▼四十五年後の現在。モーレツという感じではない。されど、経済的価値や効率よりも人間性の美しさや優しさが大切にされる時代とも思えぬ。あの広告が古びない理由は「ビューティフル」に今なお手が届かぬせいだろう。せめて小さな花を持ち続けたい。
戦後70年の今年、戦後史の1つの側面を象徴する人がいなくなった。
合掌。
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