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2015年6月29日 (月)

吉本隆明『擬制の終焉』/私撰アンソロジー(39)

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吉本隆明「『擬制の終焉」『民主主義の神話』現代思潮社(1960年9月)

6月は、「安保の季節」と言っていいのかもしれない。
1960年6月、日米安保条約を改定しようとする岸信介の政権と、これに反対の多数の国民が激しく対立した。
⇒2007年10月11日 (木):「60年安保」とは何だったのか
そのピークが6月15日であった。

60年安保の主役と言われたのは、全学連主流派の学生であった。
⇒2013年9月 9日 (月):ゼンガクレンという伝説/戦後史断章(13)
指導部の多くは、共産主義者同盟(ブントと略称)という日本共産党から離党した(除名された)人たちを主要メンバーとする組織に加入していた。
過激な街頭行動を本領としており、その街頭行動がピークに達したのが、6月15日で、樺美智子という東大の女子学生が死亡した。

全学連主流派と行動を共にした数少ない知識人として、詩人・評論家の吉本隆明氏がいた。
1960年は私が高校に入学した年であり、田舎の高校であることもあって、過激か否かを問わず、直接的な政治活動をしているように見える同級生はいなかった。
吉本氏の名前も、大学に入ってから初めて知ったのだった。
⇒2012年3月16日 (金):さらば、吉本隆明/追悼(20)

掲出の文章は、旬だった頃の吉本氏の文章である。
直ぐ後に、単独の評論集『擬制の終焉』現代思潮社(1962年6月)に収録された。
同書が60年代の学生に与えた影響は大きなものであったと思う。

それからずい分歳月が流れ、吉本氏も亡くなった。
読み返してみれば、70年代末の全共闘世代の思考と行動の様式はかなり的確に予測していたと思う。
しかし果たして擬制は終焉したのだろうか?
真制は出現したのだろうか?

いま岸信介を敬愛する孫の安倍晋三政権により、安保法案が強行審議されているのを見ると、激しい既視感に襲われる。
60年安保の時に、反対運動をしている多くの国民の過半は安保条約の中身のことは詳しく知らなかったという。
ただ、岸首相のの強引な政治手法が国民の反発を招いたのだと言われる。
⇒2012年10月22日 (月):60年安保と岸信介/戦後史断章(3)

それも既視感の大きな要因であろう。
⇒2013年12月 6日 (金):安全保障の名目で国を危うくする安倍一族/戦後史断章(17)
憲法審査会に呼んだ3人の憲法学者がこぞって安保法案違憲論を述べた。
しかし、学者の言うことなど机上の空論だとばかりに聞く耳を持たない。
結局は俺たちの言うと通りになっているではないか。

しかし、国民の過半が現在安保条約を支持しているのは、岸信介の先見性を示すか?
私は違うのではないかと思う。
憲法の運用が日本社会に定着し、自衛のための武力を越えない範囲の装備の自衛隊を評価しているのであって、戦争に加担する自衛隊を支持しているわけではないだろう。
安倍首相は、前提条件を誤解していると思う。

岸信介は、満州国長官や開戦時内閣で商工大臣を務めるなど、文字通りのエリートであった。
⇒2012年12月24日 (月):エリート官僚としての岸信介/満州「国」論(13)
岸に比べると、安倍は単なる良家の世襲政治家という印象を拭えない。
父の安倍晋太郎は、それなりの見識を備えた政治家と思うが、晋三には培養されたお坊ちゃんではないか。
⇒2014年9月28日 (日):「山は動いた」のか? 土井たか子/追悼(58)

安倍にはサイコパスかと思わせるような人間性の欠如を感ずる。
国の骨格を大きく変えようとする国会審議において、公然と「早く質問しろよ」「大げさなんだよ」というような言葉を口にする人間に、国家の舵取りを任せていいのだろうか。
⇒2015年6月 2日 (火):安倍晋三=サイコパス論/人間の理解(13)

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