チューリングと『イミテーション・ゲーム』/技術論と文明論(27)
アラン・チューリングの名前は広く知られていると言って良い。
私も、「チューリング・テスト」等で馴染みはあったが、具体的な生涯についてはほとんど知らなかった。
Wikipediaの紹介では以下のようである。
第二次世界大戦の間、ブレッチリー・パークにあるイギリスの暗号解読センターの政府暗号学校で、ドイツの暗号を解読するいくつかの手法を考案し、英国の海上補給線を脅かすドイツ海軍のUボートの暗号通信を解読する部門 (Hut 8) の責任者となった。ドイツが使用していた、エニグマ暗号機を利用した通信の暗文を解読する(その通信における暗号機の設定を見つける)ための機械 bombe を開発した。
戦後は、イギリス国立物理学研究所 (NPL) に勤務し、プログラム内蔵式コンピュータの初期の設計のひとつACE(Automatic Computing Engine)に携わった(ただし、チューリング自身は、その完成を見ずに異動している)。1947年、マンチェスター大学に移ると、初期のコンピュータ Manchester Mark I のソフトウェア開発に従事し、数理生物学に興味を持つようになる。形態形成の化学的基礎についての論文を書き、1960年代に初めて観察されたベロウソフ・ジャボチンスキー反応のような発振する化学反応の存在を予言した。
1952年、同性愛の罪(風俗壊乱罪)で、警察に逮捕され、保護観察の身となり、ホルモン療法を受ける。1954年、死去。42歳の若さであった。検死によると、青酸中毒による自殺と断定されたが、母親や一部の友人は事故だと信じていた。
2009年9月10日、インターネットでのキャンペーンに続いて、首相のゴードン・ブラウンが、戦後のイギリス政府によるチューリングへの仕打ちについて、公式に謝罪した。
映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』は、チューリングの数奇な生涯を描いているが、中心はブレッチリー・パークでの暗号解読の仕事である。
ドイツの難攻不落といわれたエニグマの解読に成功するのだが、一緒に集められた仲間が、パズルを一定時間内に解くことに成功した集団である。
オスカー脚色賞に輝く 『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』
チューリングについて興味があったので、近くの映画館で観てきた。
一緒に行った妻は、行く前は余り唆られない感じであったが、映画が始まると次第に引き込まれていったようである。
チューリングがいなければ、現在のコンピューターはなかったかも知れない。
もちろん、いずれ他の誰かが発想したであろうが、エニグマの解読が遅れたらどうだっただろうか?
ナチス・ドイツが存続していたら世界がずいぶん変わっていたであろうことは間違いない。
チューリングが興味を持ったのは、脳が神経線維で形づくられた組織で、人間の心はそれらのネットワークの結びつきによって生まれているとする解説だった。
ケンブリッジ大学のキングス・カレッジに入学して数学を専攻した彼は、1936年に「計算可能な数について(原題:On computable numbers, with an application to the Entscheidungsproblem)」という論文を書く。
これは現代数学の父とも呼ばれるダフィット・ヒルベルトの主張を否定するものであった。
彼がその論文で使った手法は、人間の論理思考を機械に喩えることだった。そのモデルは「チューリング・マシン」と呼ばれるようになり、これは現在のコンピューターの基本的なアーキテクチャーを決める、生物学でいうところのDNAの構造を確定するような理論だった。
・・・・・・
当時は人工知能(Artificial Intelligence)という言葉はなかった(1956年にアメリカでそう名づけられた)が、チューリングはまさにこの分野の開拓者でもあり、これは早世した学友クリストファー・モルコムの魂をマシンのなかに蘇らせたいとする彼の思いが結実したものだともいわれている。彼はそれ以外にも、コンピューターを使ったゲームや音楽、ネットワークやロボットに関係する研究や、生命を情報で表現する、人工生命とのちに呼ばれる分野の研究も行っていた。しかし、彼は同性愛者であったため、当時のイギリスの法律で罪に問われ、その後まもなく青酸中毒で謎の死を遂げてしまう。警察はこれを自殺と断定した。
もし、チューリングがこうした差別の犠牲にならずに自分の夢を実現できていたら、もし、イギリス政府が彼の業績を正当に評価してその研究をバックアップしていたら、その後のイギリスはアメリカに先行して情報テクノロジーで世界を牽引していたに違いない。“ジョブズ”はアメリカではなくイングランドで生まれて、ビートルズのように女王陛下から勲章を授与されていたかもしれない。しかし差別や秘密主義が、この偉大なアイデアを不当にも葬り去り続け、イギリスにはその栄誉は訪れなかった。
WIRED
現在の人工知能の発展を考えると感慨深い。
歴史にイフは禁物だと言うが、イギリス政府がもっと開明的であったならば、イギリスの凋落も遅れたのではないか。
翻ってわが日本はどうか、と考えると、反知性主義が我が世の春を謳歌している。
驕れる者は久からずとはいうものの、早くしないと世界史の動向においていかれるのではなかろうか。
残念なことだ。
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