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2015年6月21日 (日)

奇矯な集団的自衛権合憲論の言説/日本の針路(183)

他国を武力で防衛する集団的自衛権の行使を可能にすることを軸とする新安保法案の国会審議が行われている。
しかし、提案されている法案が違憲ではないのか、という意見が強い。
法案の妥当性を吟味する機関が内閣法制局であるが、歴代長官はこぞって否定的である。

 第一次安倍内閣(二〇〇六~〇七年)などで長官だった宮崎礼壹(れいいち)氏は、集団的自衛権の行使について「憲法をどう読んでも許されないのは、論理的な帰結。最小限なら当てはまると言うが、従来の見解と断絶した考えだ」として、違憲と断じた。
 日本周辺で有事が起きた際、米軍支援を可能にした周辺事態法の制定当時(九九年)に長官だった大森政輔(まさすけ)氏も「政府がどんな理屈でも武力行使できる法案。九条に違反している」と述べた。
 小泉政権で長官だった阪田雅裕氏は、憲法解釈の変更は全く認められないわけではないとしながら、集団的自衛権行使は「戦争がわが国に及ぶ状況でなければ従来の論理と合わない」と指摘。「(中東の)ホルムズ海峡で(行使が)あり得るとする説明は憲法論理を超え、その説明では法案は違憲だ」と語った。
 イラク戦争(〇三年)に長官として直面した秋山収氏は、新たな憲法解釈は違憲とまで断じるべきではないとしつつも「具体的運用の説明には違憲のものが含まれ、違憲の運用の恐れがある」と指摘した。
 〇一年の米中枢同時テロ当時長官だった津野修氏は「法案の内容が抽象的すぎて具体的な条文が違憲かは分からない」と述べた。
 取材に応じた五氏のほか、第二次安倍政権で長官を辞め、最高裁判事(現職)になった山本庸幸(つねゆき)氏は就任会見で「(集団的自衛権の行使容認は)解釈変更で対応するのは非常に難しい」と明言。本紙の取材には「現在は立場上差し控える」とした。安保法案の違憲訴訟が起こされた場合、合憲か違憲かを判断する立場になるが「白紙の状態で判断したい」と述べた。
 梶田信一郎、工藤敦夫、茂串俊(もぐしたかし)、角田(つのだ)礼次郎の四氏は、体調や高齢、立場上などを理由にコメントしなかった。
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安保法案 正当性さらに揺らぐ 歴代法制局長官4氏「違憲」

憲法学者、弁護士の圧倒的多数が違憲を表明しているのに加え、「法の番人」といわれる内閣法制局が違憲の立場である。
もちろん法案を審議するのは国会であって、内閣法制局ではない。
しかし、言ってみれば、安倍内閣の安保法案は国会審議にかける資格がないと言われているようなものである。

なし崩し的に憲法解釈の改変を積み重ねるというのは、麻生副首相がかつて言った「ナチスの手口」そのものだろう。
ワイマール憲法もそうして「合法的に」骨抜きにされたのだ。

菅官房長官が「いっぱいいる」として例示した3人の憲法学者のうちの2人が記者会見を開いた。

 安全保障関連法案に憲法学者から「憲法違反」との指摘が相次いでいることを受けて、合憲派の学者2人が19日、日本記者クラブで会見した。憲法審査会で違憲と表明した小林節・慶大名誉教授も記者に交ざって、急きょ参加。2人とやりとりする場面もあった。
 会見したのは駒沢大の西修・名誉教授と日大の百地章教授。菅義偉官房長官が合憲派として名を挙げた3人のうち2人だ。
 集団的自衛権の行使について、西氏は「自国のみの防衛より、はるかに安全で安上がり。目的は抑止効果。その冷厳な事実に目を向けるべきだ」と発言。百地氏は「国連憲章で認められた固有の権利。憲法9条には行使を『禁止』したり直接『制約』したりする明文の規定は存在しない」とした上で、「交戦権の否認」「戦力の不保持」との関係については、「(法案は)限定的な容認にとどめられており、憲法に違反しない」と強調した。
 合憲と表明する学者が少ないことに触れて、西氏は「学説は人数の多寡ではない。私の主張は一貫している」。百地氏は「立場上言わないようにしている人はいる。そういう雰囲気がある」と話した。
合憲派の学者2人が会見 安保関連法案めぐり

上記の説明で、「なるほど合憲だ」と思った人は果たしているのだろうか?
ある程度論理的な思考をする人で、両氏の意見に賛同する人がいるとは思えない。
西氏の「安上がり」というのは、もちろんコストの範囲の取り方によって変わる。
また、「学説は人数の多寡ではない」というのはその通りである。
私もしばしば異端ではあるがスリリングな学説を好む。
たとえば、日本古代史における古田武彦氏のような、である。
しかし、西氏の「安上がり」論には惹かれない。

百地氏の「国連憲章で認められた固有の権利」というのもその通りである。
しかしそれが論点ではない。
固有の権利ということで言えば、「死刑制度」が国家の持っている「固有の制度」であることを否定する人は少ないであろう。
にもかかわらず、多くの国で「死刑制度」を採用していない。
「憲法9条には行使を『禁止』したり直接『制約』したりする明文の規定は存在しない」というのは理解しがたい。
憲法9条の文章を素直に読めば「他国を武力で防衛する集団的自衛権」が否定されているのは明らかであろう。
百地氏に逐語的に解説して頂きたい。

合憲派の学者がいかに奇矯な説明をしているかがはっきりした。
このような奇矯な意見にすがらざるを得ないのが安倍政権の実態である。
それを自覚してのことだろうか、首相の答弁席に着座したまま、質問者にヤジを飛ばすという著しく品格を欠く行為を繰り返し、その都度陳謝せざるを得ない喜劇を演じている。

気をつけなければならないのは、愚説・愚行が繰り返されるうちにそれにマヒしてしまうことである。

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