文科省の国立大学改革通知はナンセンス/日本の針路(181)
労働者派遣法改正案が衆院を通過した。
アベノミクスの一環ということだろうが、結果として格差の増大になる蓋然性は高い。
まさに亡国的な政策のてんこ盛りである。
教育についてもそれは言える。
文科省が8日、国立大学に対して人文社会科学や教員養成の学部・大学院の縮小や統廃合などを求める通知を出した。
理系人材を求める財界の要求に応えて“人文系つぶし”に踏み出したものである。
各大学は通知を参考に中期目標・中期計画を策定することになっている。
通知は、「持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す国立大学となることが期待される」と強調し、理系分野の「人材需要」などを理由に、人文社会科学系や教員養成系の学部・大学院について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組む」と明記した。
国立大学への運営費交付金について、「機能強化に積極的に取り組む大学に対し重点配分する」として、以下の3つの枠組みを示し、学長主導で学部の統廃合などを進めていくよう財政支援の強化も盛り込んでいる。
(1)世界で卓越した研究
(2)全国的な研究
(3)地域貢献
文科省の「高い付加価値を生み出す、理系分野の「人材需要」」といった考え方は、アカデミズムを市場メカニズムで評価・誘導しようというものだろう。
しかし、市場メカニズムが効果的なのは超短期のことであって、「持続的な競争力を持ち」と矛盾するだろう。
この通知に対して、京都大学の山極寿一総長は17日、「京大にとって人文社会系は重要だ」と述べ、廃止や規模縮小には否定的な考えを示した。
山極氏は、霊長類研究グループの人である。
ゴリラ研究の第一人者として知られるが、当該分野は理系分野か文系分野か?
山極氏自身は理学部出身で理系であるが、世界に冠たる霊長類研究グループには、文系出身者も重要な位置を占めているはずである。
そもそも、理系とか文系という区分は、専門分化するための便宜上の区分けであって、研究対象が、理系とか文系に分かれているわけではない。
理系とか文系に分けること自体、市場主義者が好きなグローバル・スタンダードに違背するのではないか。
あるサイトに次のような説明があった。
茶・青・赤の3色で示されている3種類の「線引き」は次の通り。
(1)理系/文系の区分……茶色の実線
(2)humanities と the science (あるいはartsとsciences)という区分……青色の二重線
(3)本質主義(essentialism)と構成主義(constructivism)の区分……赤い点線
<ぶっちゃけて言えば、理系/文系の区分は「日本だけ」である>。
<humanities(ヒューマニティ)とscience(サイエンス)が「文系/理系」の訳語とされることがあるけれど、分割図のとおり、まるで違う>。
「理系」「文系」の区分は日本だけ 「人文科学」「社会科学」「自然科学」の違い
京都大学には、一般に京都学派と呼ばれる世界水準の研究グループがいくつか存在する。
京都学派(きょうとがくは)とは、一般に西田幾多郎と田辺元および彼らに師事した哲学者たちが形成した哲学の学派のことを指すが、京都大学人文科学研究所を中心とした学際的な研究を特色とした一派も、京都学派、あるいは哲学の京都学派と区別するために、新・京都学派とも称する。その他にも様々な学問分野において『京都学派』と呼ばれるグループが存在している。
京都学派
上記サイトでは、「近代経済学」「京大人文研」「憲法学」「精神医学」が取り上げられているが、山極氏が属する霊長類研究グループも当然含まれる。
⇒2010年7月14日 (水):『行為と妄想』と「飲酒と安息」/梅棹忠夫さんを悼む(4)
⇒2011年6月11日 (土):西田利貞氏と人間性の起源/追悼(12-2)
⇒2012年8月 7日 (火):上山春平さんを悼む/追悼(21)
また考古学分野でも大きな足跡を残した。
⇒2008年12月 2日 (火):邪馬台国に憑かれた人…③小林行雄と「同笵鏡」論
考古学も、理系的要素と文系的要素が混合した分野であると言えよう。
日本で初めてのノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士と朝永振一郎博士は、京大の同級生だった。
⇒2012年10月 9日 (火):山中伸弥京大教授のノーベル賞受賞/花づな列島復興のためのメモ(148)
お二人とも京大教授を父に持つ。
湯川の父・小川琢治は、地理学という文理にまたがる分野の学者だったが、子どもは、長男・小川芳樹が冶金学者、次男・貝塚茂樹が東洋史学者、三男・湯川秀樹が物理学者、四男・小川環樹が中国文学者、五男・小川滋樹は第二次世界大戦で戦病死、という文理ハイブリッドな家系である。
日本初のノーベル化学賞受賞者・福井謙一氏を育んだ理論化学の分野また京都学派といっていいだろう。
米沢貞次郎、永田親義『ノーベル賞の周辺―福井謙一博士と京都大学の自由な学風』化学同人(9910)によれば、福井謙一博士のノーベル賞受賞の背景に、自由な学風があった。
⇒2009年10月10日 (土):プライマリーな独創とセカンダリーな独創
山極総長の言をまつまでもなく、京大には人文系が必要である。
物理学や化学、あるいは山中伸弥教授らの医学・生理学の分野に対しても、人文系分野の厚みが大きな意味を持つ。
下村博文・文部科学相は16日、全国の国立大学長らに、卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱をするように要請した。
下村氏は、「介入ではない。お願いしているだけだ」と強調しているが、予算を握っている立場の人間の「お願い」は、「強制」に近く、場合によっては脅迫になり得るだろう。
下村氏の要請に対し、学長らは以下のような反応だったと報じられている。
「納税者に対して教育研究で貢献することが大学の責任だ。要請に従う必要はないと思う」(滋賀大・佐和隆光学長)
「かなり混乱するので、学内での議論は棚上げしたい」(琉球大・大城肇学長)
「下村氏は『適切に』と言っており、大学の自治を尊重してもらっていると考えている。伝統を踏まえて適切に議論する」(京都大・山極寿一学長)
国立大に「国旗国歌を」と大臣要請 学長反応はスルー・困惑・議論する...
私は、大学生に対して、国旗掲揚したり国歌斉唱させたりするセンスを疑う。
しかし、国歌斉唱するならば、古田武彦氏らによって追究されている君が代の「真の意味」を考える機会にするべきであると考える。
⇒2008年6月 3日 (火):「君が代」と九州王朝
下村氏は、要請より先に、自身の疑惑について、まずきちんと説明すべきだろう。
⇒2015年2月27日 (金):下村博文文科相の道徳観を問う/日本の針路(112)
⇒2015年3月 8日 (日):「無知」の「無恥」・末期的症状の安倍内閣/日本の針路(117)
こんな人が、「知の拠点」であるべき国立大学に口を出すべきではない。
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