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2015年6月22日 (月)

太田朋子さんのクラフォード賞受賞を祝す/知的生産の方法(123)

三島市にある国立遺伝学研究所の太田朋子名誉教授が、スウェーデン王立科学アカデミーから、2015年のクラフォード賞を贈呈された。
リチャード・レウォティン米ハーバード大学名誉教授との共同受賞であり、両教授による遺伝的変異および進化への理解を促す先駆的研究に対して贈られたものである。
授賞式は5月5〜7日にスウェーデンのストックホルムで行われた。

 クラフォード賞は、天文学、数学、生物科学、関節炎の各分野の研究に対して年ごとに順次与えられるものであり、ノーベル賞が扱わない専門分野を補完しています。
 今回の受賞は、太田先生が遺伝研で行った遺伝的多型の理解に関する基礎的貢献が認められたものです。太田先生は1973年、集団内における変異および同種間における違いを理解する重要な要素としての「ほぼ中立説」をNature誌に発表しました。現在では弱い淘汰はゲノム進化を理解する上での中核となる考えであるとされており、太田先生の考え方は生体医学、システム生物学、比較ゲノム解析の研究に大きな影響を与えています。
太田朋子名誉教授がクラフォード賞を受賞   

三島市では、三島市の名声を高め、市民に夢と希望を与えたとして、太田名誉教授に市長特別賞を贈った。
2150615
広報みしま6月15日号

太田さんの業績の概要は以下の通りである。

生物の突然変異は生存に有利か不利のどちらかであり、有利なものが生き残るという自然淘汰説が1960年代半ばまで主流だったが、国立遺伝学研究所の木村資生名誉教授が突然変異のほとんどは有利でも不利でもないとの「中立説」を発表し、1970年代に太田が、わずかに不利な「ほぼ中立」の変異でも、集団の規模が小さければ偶然広がる確率が高まるという説を発表した。この「ほぼ中立説」は1990年代以降、蛋白質や遺伝子の研究が進むにつれ、認められるようになった。
太田朋子

私が学生時代には、進化論は突然変異と自然淘汰で説明されていた。
強者生存あるいは適者生存ということである。
しかし、突然変異を持った個体は生きていく上で不利になる場合が多く、たいていは子供を産めるようになる前に死ぬか、子供を産んでもその系統は数世代のうちに絶えてしまう。
個体レベルの突然変異が種の進化を説明するためには、もう一段説明が必要である。

一個体のDNA上に生じた変化が突然変異で、はじめ一個体に生じた突然変異が集団全体に広まることを進化という。
進化とは集団レベルでの遺伝的変化であるが、どのようなしくみで変異が集団に広まるのか。

ダーウィンが「種の起源」で自然選択説を発表しておよそ100年後の1968年、木村資生は「分子進化の中立説」を発表した。木村は「DNAや遺伝子、タンパク質といった分子の世界でみられる大多数の進化は、有利でもなく、不利でもない、中立な変異が偶然に集団に広まった結果起こる」と主張した。
中立説の発表当時はダーウィンの自然淘汰万能の時代だったので、中立説は長い間激しい抵抗にあった。有害な変異を除くと、DNAに蓄積された変異の大部分は中立な変異で、機会的浮動、すなわち偶然に集団に広まった結果であるという考えには当時の多くの生物学者は馴染まなかった。木村は中立説を支持する多くのデータを集め、批判に答えていった。その集大成として1983年に「分子進化の中立説」という本を出版して中立説-適応説論争に終止符を打った。
パラダイムシフト:分子進化の中立説

木村資生と共同で中立進化説の基礎固めを行ったのが太田名誉教授である。
木村-太田の業績は、ダーウィン以来とも評されている。
安倍首相も「女性の輝く社会」を標榜するのなら、太田さんのような女性を顕彰すべきであろう。 

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