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2015年6月23日 (火)

不可解な百地章教授の憲法九条解釈/日本の針路(184)

百地章日本大教授(憲法学)が19日、日本記者クラブで「憲法と安保法制」をテーマに講演した。

 憲法9条には集団的自衛権の行使を禁止したり、制約したりする明文の規定は存在しない。日本が国際法上、行使し得ることは明らかだ。
 刑法の「正当防衛」は急迫不正の侵害が発生した場合、「自分」だけでなく一緒にいた「他人の権利」を防衛することができる。個別的自衛権と集団的自衛権を不即不離のものと考えるのが自然だ。
 憲法審査会で憲法学者は「従来の政府見解の枠を超える」として安全保障関連法案が違憲だと述べた。しかし、「憲法の枠を超える」ことへの説明が見当たらない。学者の意見表明はあくまで私的解釈であり、政府や国会を法的に拘束しない。拘束するのは最高裁判例などの有権解釈だ。
日本大の百地章教授「9条に集団的自衛権禁ずる明文規定ない」「学者の意見はあくまで私的解釈」

菅官房長官が、、「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と言ったが、実際は数えるほどしかいなかった1人である。
⇒2015年6月 7日 (日):集団的自衛権を合憲とする憲法学者は?/日本の針路(174)

憲法9条が「集団的自衛権の行使を禁止したり、制約したりする明文の規定は存在しない」というが、明文をみてみよう。

9
http://event.kinasse.com/kuma9/kyuujo.html

②項は「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」としており、自衛隊は戦力ではないのか、という疑問が湧く。
しかし「前条の目的を達するため」の戦力は保持しないのであって、自衛のための戦力は持てると解釈してきた。
自衛には個別も集団もない、ということが言われるが、個別自衛権と集団的自衛権には、自国を守るか他国を守るかという明瞭な違いがある。
そこに線引きがされてきたのだ。

百地教授は、刑法の正当防衛を援用している。
確かに刑法36条の規定は次のように、他人を含め正当防衛を認めている。

第36条
1.急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2.防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

しかし、正当防衛は、そもそも刑法という法律によって例外的に認められたものである。
刑法が個人に例外的に正当防衛を認めたからといって、国家に同じように正当防衛権が認められるという理由にはならない。
国家の問題は国家の問題として、国際法によってどのようなときに自衛権の行使が許されるかを個別に検討べきなのである。

刑法の正当防衛は侵害してきた相手に対しての反撃を許しているだけであることも忘れるべきではない。
反撃の際に、背後の部隊や民間人などを殺害することを正当防衛で正当化することはできない。
要するに、個人の正当防衛の問題と国家の自衛権の問題を同一視すること自体が間違っているのである。

集団的自衛権を現在の憲法の下では行使できないことは、政府も一貫して認めてきたことである。
国際法上、集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然だが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使には、集団的自衛権を行使することは含まれない、というのが歴代の内閣により定着している考え方である。

持っているけれども、行使できないとはわけがわからないという政治家がたまにいますが、どうしてわからないのか、私にはわかりません。200キロのスピードが出る車を持っているけれども日本では100キロまでしか出さないのと同じです。アイスクリームを食べる権利は誰にもあるけれど、自分は健康のことを考えて食べないことにするのと同じです(これは東大の長谷部恭男教授がよく出される例ですが、けっこう気に入っています)。持っているけれど使わない。できるけど、やらない。これは誰もが理解できることです。
自衛権と集団安全保障

時代の流れは、自衛にこだわることよりも、集団安全舗装の確立であろう。

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