« 言語の「小鳥のさえずり起源説」の実証?/進化・発達の謎(6) | トップページ | 高尾山古墳の主は卑弥弓呼か?/やまとの謎(103) »

2015年6月16日 (火)

大人の恋の物語『風の盆恋歌』・高橋治/追悼(69)

『風の盆恋歌』で幅広い読者を獲得した高橋治氏が13日肺炎で亡くなった。
1929(昭和4)年5月生まれで、86歳だった。
私も『風の盆恋歌』の愛読者の一人だった。
⇒2013年9月 2日 (月):高橋治『風の盆恋歌』/私撰アンソロジー(26)

世紀の変わり目の頃、親しい人たちと「おわら風の盆」を見に行ったことがある。
大変な賑わいで、期待していた抒情的雰囲気とは遠かったが、まあいいことだろう。
私の周辺には、遂に『風の盆恋歌』のヒロイン「えり子」のような女性は現れなかった。
ちょっと心残りであるが、まあ現実と虚構は乖離しているのが常だろう。

高橋治さんは千葉県出身で、金沢市の旧制第四高校から東京大学に進んだあと、昭和28年に松竹大船撮影所に入りました。そして日本映画の巨匠、小津安二郎監督の代表作「東京物語」の撮影に助監督とし関わったほか、「彼女だけが知っている」などの作品で監督を務めました。その後、作家として活動を始めた高橋さんは昭和59年に人生を釣りにささげた釣り人たちの生きざまを描いた「秘伝」で直木賞を受賞したほか、富山県の伝統行事、「おわら風の盆」を舞台に大人の男女の恋をテーマにした小説「風の盆恋歌」が話題となるなど、情緒に富んだ恋愛から社会問題まで幅広いテーマで作品を数多く発表しました。また、高橋さんは石川県に私塾、「白山麓僻村塾」を作って人材育成につとめたほか、相撲好きの知識を活かしてスポーツ新聞で相撲の観戦記の連載などもしていました。高橋さんは先月、神奈川県藤沢市の病院に入院し、療養していましたが、本人の希望で自宅に戻り、13日、神奈川県の自宅で亡くなりました。
Photo
直木賞作家の高橋治さん死去

私には『蕪村春秋』朝日新聞社(1998年8月)の1冊が忘れがたい。
高橋さんは、「蕪村に狂う人、蕪村を知らずに終わる人。世の中には二種類の人間しかいない。」と言って、蕪村を知らずにいた私を強制的に蕪村の世界に引っ張っていった。
しかし「蕪村に狂う人」にはなれずじまいだった。

私の高校時代からの愛読書・阿川弘之『雲の墓標』の映画化で、堀内真直監督と共同で脚本を書いた。
⇒2008年5月27日 (火):偶然か? それとも……③『雲の墓標』
⇒2008年5月29日 (木):『言うなかれ、君よ別れを』
私が反戦リベラリストとして生きようと決意した「私の一冊」である。

 

|

« 言語の「小鳥のさえずり起源説」の実証?/進化・発達の謎(6) | トップページ | 高尾山古墳の主は卑弥弓呼か?/やまとの謎(103) »

ニュース」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

追悼」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大人の恋の物語『風の盆恋歌』・高橋治/追悼(69):

« 言語の「小鳥のさえずり起源説」の実証?/進化・発達の謎(6) | トップページ | 高尾山古墳の主は卑弥弓呼か?/やまとの謎(103) »