新版「石油の一滴は血の一滴」/日本の針路(163)
安倍首相は、「石油は私たちの社会生活を支える血液と言っても過言ではありません」と強調しつつ、日本への石油の輸送ルートとなる中東のホルムズ海峡での機雷の掃海活動が集団的自衛権の対象となるとしている。
私の頭に、「石油の一滴は血の一滴」という大東亜戦争(あえて当時の政府の命名を使う-今次の對米英戰は、支那事變をも含め大東亞戰爭と呼稱す。大東亞戰爭と呼稱するは、大東亞新秩序建設を目的とする戰爭なることを意味するものにして、戰爭地域を主として大東亞のみに限定する意味に非ず)の契機となった言葉が過ぎった。
元々は、1917年、第一次世界大戦でドイツの猛攻にあったフランスの首相クレマンソーが、米国大統領ウィルソン宛の電報に記した言葉である。
1930年代後半に日本の中国侵略、仏印進駐といったアジアにおける膨張主義に対し、集団安全保障の原則に基づき、いわゆるABCD包囲網が敷かれた。
「ABCD」とは、制限を行っていたアメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)と、対戦国であった中華民国(China)の頭文字を並べたものである。
1937年7月7日、盧溝橋事件が勃発し、日中間が全面戦争に入ると、中国の提訴を受けた国際連盟総会では9月28日に中国の都市に対する無差別爆撃に対する23ヶ国諮問委員会の対日非難決議案が全会一致で可決された。日本が支那における問題で国際的に孤立していく中、1938年9月30日の理事会では、連盟全体による集団的制裁ではないものの加盟国の個別の判断による規約第16条適用が可能なことが確認され、国際連盟加盟国による対日経済制裁が開始された。
孤立主義の立場から議会が反対し国際連盟への加盟を果たしていなかったアメリカは、満州事変当初は中国の提案による連盟の対日経済制裁に対し非協力的であった。しかしその立場は不戦条約および九カ国条約立場から満州の主権と独立を認めず、国際連盟と同調するものであった。アメリカの孤立主義的な立場が変わるのはフランクリン・ルーズベルトが大統領になってからである。 ルーズベルトは1937年7月に盧溝橋事件が発生すると、対日経済制裁の可能性について考慮をし始める。そして1937年10月5日、有名な隔離演説を行い、孤立主義を超克し増長しつつある枢軸諸国への対処を訴えた。日本に対する経済的圧力については国内に孤立主義の声もあり慎重であり、後述の通り長期的で段階的なものであったが、仏印進駐による1941年7月から8月にかけての対日資産凍結と枢軸国全体に対する石油の全面禁輸措置によってABCD包囲網は完成に至る。
Wikipedia-ABCD包囲網
石油が途絶した日本は、大東亜戦争末期には松の根から作られた油(松根油)を航空機の燃料に使ったそうである。
それでは勝てるワケもあるまい。
http://ose.blog.so-net.ne.jp/2010-08-12
クレマンソーの言葉からは1世紀近くが経ったが、石油の重要性は増しこそすれ小さくはなっていない。
「フロンティア軌道理論」によってではわが国で初めてノーベル化学賞を受賞(1981年)した福井謙一博士は、受賞時京都大学京都大学工学部石油化学科の教授であった。
「フロンティア軌道理論」のような基礎的な研究が工学部で行われていたというのは、一般的に言えば驚異であろう。
石油化学科は福井博士が受賞の少し前に、燃料化学科から改称されたものである。
燃料化学という名称に、石油不足を打開するため、人造石油の開発を意図した研究が行われていた時代の残影を感じる。
福井博士の学位論文は、「化学工業装置の温度分布に関する理論的研究」と題するものであった。
分野からすると化学工学的な印象を受ける。
化学工学が大戦終了後に化学工業の発展と相まって、システム工学を生み出していったことを考えれば、基礎と応用が有機的に結びついた好例といえよう。
ABCD包囲網で石油を禁輸された日本政府は、「石油の一滴は血の一滴」と国民と軍を煽り、英米に開戦・短期決戦に踏み切り、石油を求めて南方へ侵略した。
真珠湾攻撃と同時にマレー半島への進攻が行われたのである。
その歴史を繰り返そうというのだろうか?
マルクスは「歴史は繰り返す。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」と言った。
⇒2011年2月26日 (土):歴史としての「二・二六」
安倍首相は安保法制の党首討論で、ポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と答弁した。
どうも「つまびらかに読んでいない」というよりも、「読んでいない」あるいは「読みたくない」といった方が正確であるようだ。
自民党幹事長代理だった首相が月刊誌「Voice」2005年7月号の対談で、「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていた。
甚だしい事実誤認である。
同宣言が発表されたのは1945年7月26日である。
日本が受諾したのが原爆投下後であって、ポツダム宣言を直ちに受諾していれば、原爆投下もソ連の対日参戦もなかった。
そもそも「つまびらかに」というほどの長文ではないが、和訳は意外なことに目にしづらい。
外務省の仮訳の「ポツダム宣言」があるが一読して意味を理解しにくい。
外務省には、国民に知らしむべからず、という意識があるのかも知れない。
しかsi,戦後レジームの脱却を掲げながら、ポツダム宣言すら読んでいないことを国会で白状しなければならなかったというのは、それ自身喜劇と言うべきであろう。
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