中谷宇吉郎『科学の方法』/私撰アンソロジー(37)
2011年3月11日の東日本大震災は、間違いなく時代を画くするものであったといえよう。
とりわけ福島第一原発事故は、私たちが「成長の限界」を意識せざるを得ないものであった。
⇒2011年12月24日 (土):『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)
⇒2013年5月17日 (金):「成長の限界」はどのような形でやって来るか?/花づな列島復興のためのメモ(214)
⇒2014年1月29日 (水):「フェルミのパラドックス」と「成長の限界」/原発事故の真相(103)
近代が終わるのではないか、という一種の「杞憂」を抱いている。
そういう感じが必ずしも私だけのものではないことは、例えば神里達博『文明探偵の冒険-今は時代の節目なのか』講談社現代新書(2015年4月)などが、より目配りを効かせて書いている。
近代とは、言い換えれば「科学の時代」である。
客観的法則性に基づいて合理性を尊ぶ精神であった。
科学的なものの見方・考えたの古典的名著として、中谷宇吉郎『科学の方法』岩波新書(1958年6月)がある。
掲出したのは冒頭部分の文章である。
1956年の『経済白書』は有名な「いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。・・・もはや戦後ではない」と記述され、「もはや戦後ではない」という名文句で結ばれた。
「もはや戦後ではないは流行語になった」が、戦後復興の時代は終わった、ということである。
執筆責任者は後藤誉之助であるが、当時の日本経済は、朝鮮特需の影響もあって、急速に復興を遂げた。
後藤は、これからは自立的な経済発展の時代だ、と指摘したわけであるが、それにより理工系ブームが起きた。
1957年には旧ソ連により、人工衛星「スプートニク」が打ち上げられたこともあった。
世は挙げて理工系万歳という雰囲気であった。
多くの学生が「とりあえず」理工系を目指したのである。
そういう学生の必読書だったといえよう。
手許にあるのは1961年8月発行であるが、第5刷であるから、3年ばかりの間に5回増刷をしたのであり、岩波新書の中でも売れた部類ではなかろうか。
現時点で読み返しても、きわめてオーソドックスに「科学の方法」を語っているように思う。
中谷宇吉郎は「雪の博士」として知られるが、第四高等学校(旧制、金沢)を卒業し、東京帝国大学理学部物理学科で寺田寅彦に教えを受けた。
エッセイストとしても寅彦の衣鉢を継いだといえよう。
教授となった1932年(昭和7年)ころから雪の結晶の研究を始め、1936年(昭和11年)3月12日には大学の低温実験室にて人工雪の製作に世界で初めて成功。気象条件と結晶が形成される過程の関係を解明した。他にも凍上や着氷防止の研究など、低温科学に大きな業績を残した。
Wikipedia-中谷宇吉郎
中谷宇吉郎が生きていたら、福島原発事故について、また原発再稼働について、どういう見解を開陳したであろうか?
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