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2015年5月16日 (土)

「五・一五」は体制批判に火を点けるか?/日本の針路(159)

1932年(昭和7年)5月15日、武装した大日本帝国海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。
いわゆる「五・一五事件」である。
戦前の日本が戦争に突入して行く1つの画期になった事件である。
Wikipediaは、次のように解説している。

犬養首相は護憲派の重鎮で軍縮を支持しており、これも海軍の青年将校の気に入らない点だったといわれる。
・・・・・・
犬養首相は中華民国の要人と深い親交があり、とりわけ孫文とは親友だった。ゆえに犬養首相は満州地方への進軍に反対で、「日本は中国から手を引くべきだ」との持論をかねてよりもっていた。これが大陸進出を急ぐ帝国陸軍の一派と、それにつらなる大陸利権を狙う新興財閥に邪魔となったのである。犬養首相が殺されたのは、彼が日本の海外版図拡大に反対だったことがその理由とも考えられる。
本事件は、二・二六事件と並んで軍人によるクーデター・テロ事件として扱われるが、犯人のうち軍人は軍服を着用して事件に臨んだものの、二・二六事件と違って武器は民間から調達され、また将校達も部下の兵士を動員しているわけではないので、その性格は大きく異なる。同じ軍人が起こした事件でも、二・二六事件は実際に体制転換・権力奪取を狙って軍事力を違法に使用したクーデターとしての色彩が強く、これに対して本事件は暗殺テロの色彩が強い。

また、1972年(昭和47年)の5月15日に沖縄県が本土に復帰した。
1960年代後半のベトナム戦争に際しては、沖縄が最前線基地とされた。
それにより、駐留アメリカ軍は飛躍的に増加してアメリカ軍に関連する事件・事故も増加した。
Wikipediaはベトナム戦争との関連を地祇のように解説している。

ベトナムへの軍事支援を拡大させたケネディ大統領や、ケネディを継いでベトナム戦争を拡大させたリンドン・B・ジョンソン大統領は、沖縄返還を殆ど考慮しなかったが、1969年(昭和44年)の日米首脳会談で、ベトナム戦争の終結を公約にして大統領に当選したリチャード・ニクソンが、安保延長と引き換えに沖縄返還を約束し、これに基づき1971年(昭和46年)6月17日に沖縄返還協定が締結されたが、屋良や復帰賛成派の県民の期待とは裏腹に、アメリカ軍基地を縮小せず維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の復帰が決定した。

復帰を記念し平和を願って歩く恒例の「5.15平和行進」の出発式が名護市辺野古に隣接する瀬嵩海岸で行われた。
515150516
東京新聞5月16日

沖縄県の翁長知事は、「沖縄の基地負担は軽減されないし、中軸になる基地が沖縄にあるので狙われる」と批判した。
17日午後1時から那覇市の沖縄セルラースタジアムで、 「戦後70年止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が開かれる。
当日採択される決議案には、「道理と正義は私たちにある」と日米両政府に米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去と新基地建設、県内移設断念の要求が盛り込まれる予定である。

大会に参加する予定の佐藤優氏は、東京新聞の「本音のコラム」欄の5月15日付で、『世界の沖縄人、団結せよ!』と呼びかけている。
わが国の変革は、マージナルな地域である沖縄から始まる予感がする。
安倍政権が、集団的自衛権行使を認めることを柱にした安全保障関連法案を衆院に提出した5月15日が、後世において、新たな「五・一五事件」と呼ばれることが杞憂で終わればいい。

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