吉田満・『戦艦大和ノ最期』/私撰アンソロジー(36)
今年は戦後70年ということで様々な企画が立てられている。
企画したことではないだろうが、3月にはフィリピンのシブヤン海、水深1000mの海底に沈んでいる武蔵の残骸が発見され、その映像がYoutubeに公開された。
⇒2015年3月 5日 (木):戦後70年の節目に発見された大艦巨砲主義の残骸/日本の針路(115)
武蔵と共に日本の大艦巨砲のシンボルが戦艦大和だった。
Wikipediaには次のように説明されている。
大和(やまと/ヤマト)は、大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦、大和型戦艦の一番艦であった。
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太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役し、1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊旗艦となった。この任は司令部設備に改良が施された同型艦「武蔵」がトラック島に進出する1943年(昭和18年)2月まで継続した。1945年(昭和20年)4月7日、天一号作戦において米軍機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された。
当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦であった。建造期間の短縮、作業の高効率化を目指し採用されたブロック工法は大成功を納め、この大和型建造のための技術・効率的な生産管理は、戦後の日本工業の礎となり重要な意味をなす(大和型戦艦を参照)。
艦名「大和」は、奈良県の旧国名の大和国に由来する。日本の歴史的原点としての代名詞ともなっている大和の名を冠されたことに、本艦にかかった期待の度合いが見て取れる。同様の名称として扶桑型戦艦がある。正式な呼称は“軍艦大和”。沈没してから半世紀以上が経過したが、本艦を題材とした映画やアニメが度々作られるなど、日本人に大きな影響を与え続けている。その存在が最高軍事機密であったうえ、戦争が始まってから完成したためにその姿をとらえた写真は非常に少ない。
最期の様子は以下のようであった。
4月7日12時34分、「大和」は鹿児島県坊ノ岬沖90海里(1海里は1,852m)の地点でアメリカ海軍艦上機を50キロ遠方に認め、射撃を開始した。8分後、空母「ベニントン」第82爆撃機中隊(11機)のうちSB2C ヘルダイバー急降下爆撃機4機が艦尾から急降下する。
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13時30分、「イントレピッド」、「ヨークタウン」、「ラングレー」攻撃隊105機が大和上空に到着した。13時42分、「ホーネット」「イントレピッド」第10戦闘爆撃機中隊4機は、1000ポンド爆弾1発命中・2発至近弾、第10急降下爆撃機中隊14機は、雷撃機隊12機と共同して右舷に魚雷2本、左舷に魚雷3本、爆弾27発命中を主張した。この頃、上空の視界が良くなったという。
このように14時17分まで、「大和」はアメリカ軍航空隊386機(戦闘機180機・爆撃機75機・雷撃機131機)もしくは367機による波状攻撃を受けた。戦闘機も全機爆弾とロケット弾を装備し、機銃掃射も加わって、「大和」の対空火力を破壊した。
集団リンチのようにすさまじい被弾であった。
3000人以上いた乗組員のうち、生存者は269人だったという。
その中の1人が吉田満だ。
吉田は、敗戦後、日本銀行勤務の傍ら「戦中派」の論客として戦争責任問題等に独自の言論を展開した。
代表作『戦艦大和ノ最期』創元社(1952年)は有名であるが、海軍での上官であった臼淵磐の紹介者としても知られる。
「『戦艦大和ノ最期』初版あとがき」によれば、初稿は終戦の直後、ほとんど一日で書かれたということである。
内容の真実性について、疑問も投げかけられているが、死出の旅の覚悟の途次に見た桜は、さぞ心に残るものであったであろう。
桜に負けない絶唱ともいうべき美しい文章であると思う。
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