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2015年3月 7日 (土)

国内平穏でも「存立危機事態」で防衛出動?/日本の針路(116)

集団的自衛権行使の政府素案はとんでもない内容だ。
密接な関係のある他国への武力攻撃で日本の存立が脅かされる「存立危機事態」と判断されれば、海外で自衛隊が武力行使できるようにするという。
「存立危機事態」の外延は不明確なままであり、政府の解釈次第ということになる。
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東京新聞3月6日

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東京新聞3月6日

元自衛官の泥憲和氏は次のように説明している。

日本が武力攻撃を受けていなくても「わが国を防衛するためのやむをえない自衛の措置」として防衛出動する?
・日本は攻撃されていない
・日本は防衛のために戦う

矛盾したこのふたつを同時に納得せよという。
まさしくオーウェル「1984年」のニュースピークでありダブルシンクだ。

ダブルシンクとは、オーウェルの世界で人々に求められる思考の仕方。
その世界では1人の人間が矛盾した2つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができるように自己訓練する。

戦争は平和である。
自由は屈従である。
無知は力である。

「1984年」の世界で人々は、ニュースピークやダブルシンクを訓練することで、禁止や命令をされる前に、すでに党の理想どおりの考えを持ってしまっている。
そんな馬鹿なと思っていたが、今日のネトウヨがこれだもんな。

まさかこんな時代が来るとは夢にも思っていなかった。
https://www.facebook.com/norikadzu.doro?fref=nf

まったくその通りである。
G.オーウェルの,『1984年』は、第2次世界大戦が終了して間もない1948年に発表された未来小説である。
連合国側に立った旧ソ連が大戦の勝利で発言権を増し、社会主義国が世界地図の上に一定の勢力圏を占めるようになった時点である。
『1984年』のあらすじは以下のようである。

1984年、オセアニア国のロンドンという都会は「ビッグブラザー」に支配されていた。「ビッグブラザー」は、誰も見たことがないが、支配階級の顔として、国民の愛と恐怖の中心として存在する。
主人公W.スミスは真理省に勤務し、新聞のバックナンバーを改訂することを仕事としている。すなわち、過去の出来事さえも国家に管理されているのである。
1984年時点で、世界は3つの超大国に分かれて戦争をしている。戒厳令は恒久化し、警察が絶対的な権力を握り、テレビの受像機には視聴者を監視するモニター装置がついている。個人的な愛やセックスは非愛国的な行為であり、恋をすることは国家に対する反逆者となることである。恋に陥ったスミスは、電子苦痛装置にかけられ、人間の心の奥に存在する恐怖心を利用した拷問に耐えられず、結局は「ビッグブラザー」を敬愛する人間に変えられてしまう。

上記から窺えるように、この小説は、端的には旧ソ連に代表される(た)社会主義国の思想統制の危険性と虚しさ、にもかかわらず個人としての反抗や抵抗には限界や弱さがあることを表現していると考えられる。
冷戦が東の崩壊によって終わった現在から見れば、社会主義の権力機構を過大に捉えていたのではないかという気がするが、現実に冷戦に勝利したはずの西側でも、情報のコントロールが行われていることは、エドワード・スノーデン氏の証言等から明らかである。

スノーデンはCIA・NSA時代に見たアメリカ政府の悪辣な行為に幻滅していたと語っている。一例としてスイス人の銀行員を酒に酔わせ、酒酔い運転で警察に捕まったところで取引を持ちかけスパイに利用するなどの行為を政府が実行していたと証言しており、こうした行為への反感が機密資料を公開する決意を固めた動機としている。
Wikipedia-エドワード・スノーデン

与党の中の良識派よ、しっかりしてくれ。
メディアも声を上げるときだろう。

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