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2015年3月13日 (金)

かつて原子力は輝く期待の星だった/日本の針路(122)

将来のエネルギー構成をどう考えるかは、大きな政策課題である。
にもかかわらず、安倍政権は、総選挙で白紙委任されたかのように、脱原発に見向きもしない。
小泉元首相のアドバイスも迷惑そうな感じでさえある。

 小泉氏は、東京電力福島第1原発事故の原因がいまだ究明されず、汚染水問題も収束していないと指摘。「原発は安全でコストが安く、クリーンだと説明されていたが、全てうそだった。不十分な安全対策で再稼働を急ぐべきではない」と語った。
 講演後、小泉氏は報道陣に「ピンチをチャンスに変える機会だ。安倍晋三首相が原発ゼロにすると言えば、自民党の多数も野党も協力する」と述べ、エネルギー政策の転換を求めた。
 講演会は、会津地方で市民出資による再生可能エネルギー事業に取り組む会津電力(喜多方市)が主催。福島県内外から約950人が集まった。
小泉元首相「政治判断で原発をゼロに」

かつて原子力は、輝ける期待の星であった。
私が高校・大学の頃は、理工系ブームで、進学先としては優先的に理工系学部を考えるのが一般的だった。
私の学んだ大学にも原子力工学科という学科があって、難関学科だった。

福島原発事故の後で、映画『ゴジラ』のことを考え直した。
1954年11月に公開された映画で、特殊撮影技術(SFX)が誕生した記念碑的作品であった。
私には、芹沢太助という科学者を演じていた平田昭彦が印象的だった。
東大法学部卒のインテリだとはまったく知らなかったが、いかにも理知的な風貌が、科学の世界を目指していた少年の憧憬心を刺激したのであろう。

芹沢博士は、オキシジェン・デストロイヤーという薬剤を開発して人間を救うが、開発してしまったものは悪用される可能性があるとしてドキュメント類類を焼却し、自ら命を断つ。
⇒2011年5月10日 (火):技術の功罪と苦悩する化(科)学者/『ゴジラ』の問いかけるもの(2)
これは原子力に代表される科学・技術への警鐘であると考えられる。

福島県浜通りの双葉町は、福島原発事故)の影響で、2011年3月19日以降は町役場を埼玉県内に移転し、2013年6月17日以降はいわき市に移転している。
その双葉町に写真のような標語が掲げられている。
Photo
駅のスタンドに刺さったままの新聞―JR双葉駅(双葉町)

当時小学6年生だった大沼勇治さんが作った標語である。

大沼さんは事故当時、相馬市の民間会社に勤務し、自宅は福島第一原発から4kmのところにあった。各地を転々と避難しながら今は茨城県古河市に自宅を新たに構えた。月に1度、双葉町の自宅に一時帰宅する時、必ずこのアーチに向かって歩くそうだ。
その時、防護服を着て奥さんとともに掲げたメッセージが下の写真。大沼さんの新しい標語は「脱原発明るい未来のエネルギー」「核廃絶明るい未来のエネルギー」である。
Photo_2
「原子力明るい未来のエネルギー」=子どもたちを利用して原発推進

国のエネルギー政策も、「脱原発明るい未来のエネルギー」「核廃絶明るい未来のエネルギー」へと改訂すべきである。



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