「建国記念の日」と建国の事情/やまとの謎(99)
「建国記念の日」に際して、安倍首相は以下のようなメッセージを発した。
「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、今日の我が国に至るまでの古からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日であります。
以下略
「建国記念の日」を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ
私も「建国をしのび」て、神武天皇の即位の経緯を復習してみよう。
古事記や日本書紀が書かれた当時は、讖緯説というのが国際的な最新科学でした。その当時の科学に従って、各天皇の年代が計算されました。その結果、神武天皇の即位年は、西暦でいう紀元前660年の1月1日、新暦の2月11日と確定されました。
これは現在の最新科学からすれば誤りであって、実際に神武天皇が日本を建国したのは、弥生時代中期のこと(今から約二千年前)と推定されます。大和朝廷は三輪山麓の磯城地方を中心に、原住勢力の氏族と広範な結縁協力関係を結んで、次第に畿内に地盤を固め、第7代孝霊天皇から第9代開化天皇の前後には、畿外へ勢力を伸ばしました。第10代崇神天皇は「はじめて整った国を治めた天皇」と称えられたが、その実年代は3世紀のことと考えられ、九州地方の豪族と思しき卑弥呼なる者が外国と交流していた頃のことです。
神武天皇が即位したのは縄文時代ですか?弥生時代ですか?
「原住勢力の氏族と広範な結縁協力関係を結んで」の実態は、次のスローガンの元になったものだ。
撃ちてし止まむ
昭和18年3月10日は、太平洋戦争が始まって2度目の「陸軍記念日」には、「撃ちてし止まむ」が、国民運動のスローガンに昇格し、各所で国民の目をひくことになった。
まず東京では、巨大な写真のパネルが、有楽町あたりの通行人の目をおど ろかせた。
その図柄には、鉄カブトをかぶり、防毒面の袋を首にかけた帝国陸軍歩兵の兵士が、なにごとかを怒号しながら、右手に握った手榴弾らしきものを、今しも前方の敵陣にむけて投げつけるとともに、おそらくは突撃に移ろう とする緊迫した模様が写されており、それが日劇の正面の壁面いっぱいに取り付けられ、その巨大さと迫力ある画面のほどに気押されないものはな かった。
「撃ちてし止まむ」のスローガン(大政翼賛会選定)は、この他ポスターなどにデザインされ、宮本三郎が描いた陸軍兵士が星条旗を踏みにじり、 銃を構えて突撃に移る姿、また横山隆一デザインの「フクちゃん」が敵をけとばしているポスターなどもあった。(三國一朗著「戦中用語集」より)
「うちしてやまん」なんて日本語を理解してない証拠です。ところで「うちてしやまん」とは現代語でどういう意味ですか?
意味については、次の解釈を参照しよう。
おおざっぱにいえば「撃ち倒さずにおくな」、「敵を撃ってからこそ倒れろ」です。
「し」は強調の副助詞で、特に単語として意味を持ちません。上記の訳の中では「〜してこそ」と導入しています。
「止む」には「やめる、止まる」と「倒れる、死ぬ」の両方の意味があるので、「撃ってこそ止まれ=撃ち倒さずにおくな」とも、「撃ってこそ倒れろ」と、両方に解釈できます。
「撃ってこそ倒れろ、敵を討ち取って死ね」というのはいくら何でもあり得ないと感じますが、戦時中の精神としては十分あり得る表現です。
出典は古事記の「神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 大石に 這ひ廻(もとほ)ろふ 細螺(しただみ)の い這ひ廻り 撃ちてし止まむ」です。
こちらも大雑把にいうと「神の子孫たる天皇陛下のお膝元、伊勢の海の石に這い回る細螺貝のように這いずり回っている下民どもを打ち負かさずにおくものか」。
細螺(しただみ)と下民(しただみ)をかけて、神武天皇に反抗するものたちを成敗せよと謳ったものです。
戦時中のスローガン「撃ちてし止まん」ってどういう意味なんですか?
太平洋戦争では、撃つべき敵は、「鬼畜米英」であった。
神武天皇の場合は、「原住勢力の氏族」である。
「広範な結縁協力関係を結んで」というのは、「撃ってこそ倒れろ、敵を討ち取って死ね」の殲滅戦の果ての「協力関係」だった。
外部からの侵略者(神武勢力)はこうして「建国」に至ったわけであり、アメリカがインディアンを「撃ちてし止まむ」の果てに建国したのと似たようなものであろう。
あるいはイスラエル建国を加えてもいい。
安倍政権は、「イスラム国」による日本人殺害を奇貨として、戦争のできる国への体制準備を加速している。
政府批判を自粛してしまうメディア・・・
政府は「イスラム国」による日本人人質事件で、政府対応を検証する「邦人殺害テロ事件対応委員会」を設置した。
しかし、検証対象に政治家は含まず、結果の公表も特定秘密法を盾にして限定的になる見通しである。
結論は見えていると言えよう。
菅義偉官房長官は10日の記者会見で検証対象について「政治家は考えていない」と明言した。安倍晋三首相をはじめ、菅氏や岸田文雄外相、ヨルダンの現地対策本部で指揮をとった中山泰秀副外相らは除き、首相官邸や関係省庁などの事務方職員のみを対象とする意向だ。
菅氏はまた、「インテリジェンス(秘密情報)にかかわる部分を除いて公表したい」と説明した。他国から得た情報は公にできないことが多く、特定秘密が含まれる可能性もあることから、検証結果の公表も限定的となりそうだ。政府関係者は「国同士で表に出さないことを条件にやりとりした情報ばかりだ」と話し、多くが公表できないとの見方を示す。
人質事件:政治家は対象外に…検証委、問われる実効性
私は「戦前」を知らない。
しかし、現在はもはや次の戦争の「戦前」といった雰囲気である。
「建国記念の日」には、「勝てば官軍」という歴史論理(倫理?)に、国民こぞって思いを馳せたらどうだろうか?
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