将門塚の祟り?/やまとの謎(98)
東京の最先端ともいうべき大手町の一角に、「将門(首)塚」がある。
三井物産ビルなどの高層ビルがある一角で、現在も周辺の再開発が進められているが、再開発でも首塚は残されるという。
東京新聞1月15日
何故か?
さまざまな祟りの伝説があることがその一因だという。
平安時代中期のほぼ同時期に、関東で平将門の乱が、瀬戸内海で藤原純友の乱が起きた。
承平・天慶の両元号の期間に発生した事から、両者を併せて承平天慶の乱と呼ばれる。
将門は関東を制圧して新皇と自称し関東に独立勢力圏を打ち立てようとするが、平貞盛、藤原秀郷、藤原為憲ら追討軍の攻撃を受けて、新皇僭称後わずか2ヶ月で滅ぼされた。
将門は、京都で処刑されたが、「さらしものになった将門の首は何ヶ月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けたという。
首が飛び帰って葬られたのが、大手町将門首塚とされる。
「祟り」は一種の都市伝説であるが、実際に不可思議なことが起きているのである。
・1923年(大正12年)
関東大震災で大手町一帯は瓦礫の山になりました。そこで国は首塚を取り壊し土地を整理し、大蔵省を立てました。ところがそれ以来、大蔵省で役人に病人が続出し、大蔵大臣はじめ幹部14人が相次いで亡くなりました。そのことから将門の怨霊の噂が広まり、事態を重く見た大蔵省は、建てたばかりの庁舎の一部を泣く泣く取り壊しました。そうして首塚は復活しています。
・1940年(昭和15年)6月
雷による火災で大蔵省の庁舎が全焼しました。(6月21日付朝日新聞朝刊に掲載)「首塚をおろそかにしているから」という声が再びあがり、大蔵省は再び将門のためのイベントを企画。塚に古跡保存碑を建立しています。
・1945年(昭和20年)
日本に進駐してきた米軍がそんなイワクつきの土地とは知らず、首塚の周辺を駐車場にしようと計画。この年の暮れに工事を開始します。すると作業中のブルドーザーが突然ひっくり返り、死人まで出る大騒ぎになりました。そこで地元の人がマッカーサー司令部に出向き、将門の怨霊の話をします。米軍も恐れをなしたのか、日本の精神文化に敬意を表したのか、塚の撤去は中止されました。
その後、高度成長時代、国が首塚の周囲のごく一部だけを残して、土地を金融機関に売却しました。塚の参道の土地には日本長期信用銀行が建てられました。すると塚に面した部屋の行員が次々と病気にかかるという異常事態が発生。そこでまた祟りの噂が広まり、長銀は神田明神の神官を呼んで、盛大にお祓いをしました。これで行員のナゾの発病は収まりましたが、2000年(平成12年)には長銀そのものが破綻してしまったのです。
平将門のお墓の祟りは本当にあったのでしょうか?
内田康夫氏の浅見光彦シリーズの1冊に『中央構造帯』角川文庫(2011年9月)という作品がある。
朝の散歩の途中で立ち寄ったコンビニで、文庫本のコーナーにあるのが目につき、タイトルに惹かれて購入した。
偶然ではあるが、冒頭に、沼津市のことが書かれていたので驚いた。
社会派推理小説ということになろう。
舞台は、日本長期信用銀行(長銀)と思しき政府系の銀行である。
現実の長銀は、1998年に破綻し、政府により特別公的管理銀行として一時国有化された。
2000年(平成12年)3月にアメリカの企業再生ファンド・リップルウッドを中心とする投資組合「ニューLTCBパートナーズ」(New LTCB Partners CV)に売却され、6月に『新生銀行』に改称した。
大野木克信元頭取ら旧経営陣3人は、粉飾決算の疑いで起訴されたが、2008年8月に無罪が確定した。
⇒2008年7月19日 (土):旧長銀粉飾決算事件
⇒2009年1月26日 (月):長銀粉飾決算事件再考
⇒2009年1月27日 (火):長銀粉飾決算事件再考②
小説の時期設定は、破たんが避けられそうもない時期だから、1998年頃であろう。
長銀の破たんは、膨大な不良債権が原因である。
その不良債権を、関係会社に付け替えて隠ぺいし、決算を偽装した。挙句に、偽装しきれなくなったのである。
小説で描かれているような出来事は、ほぼ類似のことが実際にあったのであろう。
しかし、長銀と平将門の関係については、大手町の三井物産ビルの東側(旧長銀本店)に、将門の首塚があること以外は創作である。
将門関連本として、作中に2冊の本が紹介されており、その1冊が村上春樹『平将門伝説』汲古書院(2001年5月)である。
ベストセラー作家とは同姓同名の別人であるが、作中で以下のように紹介されている。
この本の巻末には、都県別に将門ゆかりの地とそこに伝わる史実・伝説のたぐいが列挙しされてあった。それを地図上の地名と引き合わせながら辿ってゆくと、将門が活躍し終焉した史跡は、まったく中央構造線上に重なることが見えてきて、ちょっとした感動を覚えた。
どういう関係があるのか興味を覚える。
原本を手にしたいと思いAmazonで検索してみると、古書で18,000円の値がついていた。
どこかの図書館で探すしかないだろうな。
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コメント
内田康夫さんの本の方は読んでいませんが、テレビで、浅見光彦シリーズの「中央構造体」を見ました。
そのドラマの途中で、その小説の中で紹介されているという本を、浅見光彦のお母さんが開いてみせる場面があって、私も、その時のお母さんの台詞で、‘平将門の史跡が、中央構造体上にある・・・’、というのを聞いた時は、とても興味が湧きました。
フォッサマグマの境界線は、地震の巣 ~ ~ というようなことを小学校で習ったような記憶がうっすらとありますが、天災を怖れる気持ちと怨霊を怖れる気持ちというのは、昔の人には一緒だったのではないかと、そんな風なことを、思っています。
投稿: 五節句 | 2015年1月26日 (月) 13時19分
五節句様
コメント有り難うございます。
確かに「天災を怖れる気持ちと怨霊を怖れる気持ち」には、「祟りを怖れる」というような通じるものがあったのでしょうね。それを忘れてしまった現代人・・・
自然に対して敬虔さが必要なのでしょう。
投稿: 夢幻亭 | 2015年1月27日 (火) 20時19分