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2015年1月 3日 (土)

福島第一原発事故と新しい文明/技術論と文明論(12)

去年の暮、電子書籍というものを初めて読んだ。
Photo_3Kindle版の坪田知己『サービス文明論: 「多様性」を支える時代が始まる』Symphocity Digital Publishing刊(2014年6月)である。
紙の本換算で60ページ、ファイルサイズは2628KBというから、著者自身も書いているように、紙の本として出版するには分量が不足している。
いわば構想段階であるが、内容は興味深いものだった。

私は、東日本大震災が発生した時、昔読んだ『日本沈没』や『成長の限界』のことを思い出した。
⇒2011年3月16日 (水):『日本沈没』的事態か? 静岡県東部も震源に/因果関係論(9)
⇒2011年12月24日 (土):『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)

ローマクラブの報告『成長の限界』は、「人口増加や経済成長を抑制しなければ、地球と人類は、環境汚染、食糧不足など100年以内に破滅するだろう」という衝撃的な警告だった。
「見える化」という言葉のない時代に、システムダイナミクスという斬新な手法で未来図をシミュレーションして見せたもので、邦訳は1972年5月に出版された。
Photo
http://www.tuins.ac.jp/~ham/tymhnt/stories/05jan01/conv.html

私が社会人になってそれほど経っていない頃で、まだ化学系の会社で働いていた時であった。
それからいろいろ紆余曲折があったが、私の中で「成長の限界」意識は薄くなっていた。

福島第一原発事故は、核エネルギーの平和利用という考えがきわめて危うい基盤の上にあることまざまざと示した。
それこそが、まさに「成長の限界」を示すものではないだろうか?

作家の小川洋子さんと動物行動学者の岡ノ谷一夫さんの対談『言葉の誕生を科学する』河出文庫(2013年11月)の中で、岡ノ谷さんは次のように言っている。
言葉に行き着いた人間は文明を蓄積させ、その結果原子力を利用できるまでになった。それが「フェルミのパラドックス」の解ではないか。

「フェルミのパラドックス」とは、「宇宙には沢山の生命体が存在し、知的生命体も多数あると考えられるのに、なぜ地球に飛来した痕跡が無いのか」という問題である。
もちろん、この問いに正解というようなものは考えられないだろう。
フェルミはローマの出身で物理学者であるが、ファシスト政権下で迫害を受け、アメリカに亡命し、核分裂反応の研究に従事した。

あるいは、水野和夫さんの『資本主義の終焉と歴史の危機』集英社新書(2014年3月)の問題提起。
現在、世界的に歴史上でも有数の低金利時代であるが、それは資本を投下しても利潤の出ない資本主義の「死」を意味する。
資本主義にそれでもしがみつき、かりそめの「成長」を目指すことは、「国民なき国家」を作り上げ、破局への道を整えているにすぎない。

リーマンショックはまさに「そういうことだったのか」という気がするが、アベノミクスは水野氏の言う“かりそめの「成長」”を目指しているのと違うのか?
日本は既に人口減少期に入っているが、2025年には団塊の世代が後期高齢者になる。
中間層が解体し、富が偏在している状況では、イノベーションも起こりにくい。
人口の1%に力と富が集中して残り99%を支配しているが、99%層において100円ショップで大半の消費が成立してしまうよなの状況では、景気が良くなりようがないのではないか?

私は、戦後復興期の記憶があるし、高度成長期もバブル景気も体験している。
しかし、平成も26年になると、これらの時代や空気を全く知らない世代が大勢働いているのだ。
なかなか共通認識が生まれにくい時代とも言えよう。

著者は長い間、日本経済新聞に在籍していたジャーナリストである。
俯瞰的な視点で、アルビン・トフラーの『第三の波』に依拠しつつ、第三の波である工業文明が既に飽和点に達していることを示す。

次の文明はどのような文明か?
著者が見出したキーワードは「サービス文明」である。それは滝川クリステルさんのプレゼンでお馴染みの「おもてなし」と重なる。
工業文明の原則は、規格化・分業化・同時化・集中化・極大化・中央集権化であった。
サービス文明ではそれらは、タイムシフト・連携・多様化・特定顧客志向・分権化・分散化へ交代する。
工業文明の基本原理を他律・集中・同調とすれば、インターネットは、自律・分散・協調である。
サービス文明とインターネットは親縁性があるといえよう。

狩猟文明、農業文明、工業文明はそれらの実体が先に存在した。
しかし「サービス文明」は、これから実体が作られる。
それを作り上げるのは、今生きている我々とこれから生まれてくる人たちである。

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