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2015年1月16日 (金)

飛鳥小山田遺跡の堀割/やまとの謎(97)

奈良県明日香村川原の丘陵地にある小山田遺跡で、さまざまな石で固めた巨大な溝(掘割)が見つかった。
これまで全く知られていなかった遺構で、県立橿原考古学研究所(橿考研)は7世紀中ごろに築かれた一辺50メートル以上の大型方墳の濠とみている。
古墳とすれば飛鳥時代最大級である。
舒明天皇陵、蘇我蝦夷の墓、非古墳など、諸説がある。
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明日香村:巨大な石溝発見 飛鳥時代最大級古墳の濠か

舒明天皇は『万葉集』巻1の2番目の歌の作者として有名である。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 國見をすれば 國原は 煙立ち立ち 海原は 鴎立ち立ち うまし國ぞ 蜻蛉島 大和の國は

有名ではあるが、違和感のある歌である。
「海原は 鴎立ち立ち」が大和と合わないのである。
古田武彦氏の講演資料を借りよう。

 オカシイ歌だと。大和で海が見えるか?と。健全な常識をもった人ならだれでもそう思いますよね。わたしはそのたびに「よく勉強してみます」と、苦しい返事をしてきました。関西へ帰ってきたおかげで、現地へ足を運んだのですが、大和の香具山は山の高さが、ふもとから百メートルたらず程度。登ったのは雨の後の日で、滑らぬように用心しながら登っても十五分くらいだった。晴れていれば十分も掛からないだろう。海というのは「ハニヤスの池」のことかとされるが、そのハニヤスの池というのが山頂から見えないんです。樹木を払ったとしても見えるかどうか。こんな場合にいつも持出されるのは「詩人の空想力」で、そんな解説がされていますが、伝承地「ハニヤスの池」というのは、この講演会場の二倍か三倍くらいの小さい溜池なんです。これを海原というか?
『万葉集』は歴史をくつがえす

この歌の解釈は別として、舒明天皇とは如何なる位置づけの天皇か?
Wikipediaの系図を掲げる。
Photo

実権は、蘇我蝦夷が握っていたという説が多い。
しかし、皇后の宝皇女は、後の皇極天皇および斉明天皇である。
初めて重祚した天皇であり、大化の改新や百済救援など難しい時期に君臨した実力者と考えるのが妥当ではないか。
息子は、後の天智天皇・天武天皇の兄弟である。
天智・天武兄弟説には疑問が指摘されている。
⇒2008年1月26日 (土):天智と天武…諡号考
⇒2008年1月27日 (日):天智暗殺説
⇒2008年10月25日 (土):小林惠子氏の高松塚被葬者論…①天智・天武非兄弟説

天智・天武の実相はともかく、舒明一族が飛鳥時代後半の歴史において、最重要であったと言えるだろう。

 一帯は飛鳥時代の古墳の集中地域。溝の南側は平たん面が広がっており、墳丘の痕跡は見つかっていないが、橿考研は、南のり面の板石積みが墳丘の北裾を固めるためのものとみて、後世に破壊された巨大方墳の濠と推定している。
 古墳とすれば、蘇我馬子の墓とする説が有力な石舞台古墳(明日香村、一辺約50メートルの方墳)を上回り、推古天皇陵とされる飛鳥時代最大の山田高塚古墳(大阪府太子町、長辺61メートルの方墳)にも匹敵する。
 日本書紀によると、舒明天皇は643年に改葬された。今回の遺構から約7キロ北東にある改葬先の段ノ塚古墳(奈良県桜井市)にも室生安山岩による階段状の石積みがあるため、橿考研は、642年に埋葬された最初の陵の可能性を指摘。一方、同時期に強大な権力を持っていた蘇我蝦夷が生前の642年に築いた墓とみる専門家もいる。
明日香村:巨大な石溝発見 飛鳥時代最大級古墳の濠か

古墳とすれば、日本書紀に名前が登場する人物級の墳墓ということいなる。
飛鳥の謎は深い。

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