再生エネ促進政策はお蔵入りか?/技術論と文明論(16)
エネルギーは文明生活にとって必要不可欠である。
1760年代の蒸気機関の発明に端を発する産業革命によって、人類史は新たなステージに入った。
いわゆる近代であり、資本主義の発達である。
⇒2015年1月29日 (木):「地上資源文明」の可能性/技術論と文明論(15)
同時にそれは化石エネルギー利用によるエネルギー革命であった。
石炭が、より利便性の高い石油に変わったが、石炭にしろ石油にしろ、地下に埋蔵されている資源である。
当然、埋蔵量という絶対的な制約があるのだから、いつかはその限界に達するのは明らかである。
また使用した資源は、利用後は環境に廃棄される。
資源問題と環境問題は表裏一体であり、それを見事に可視化したのがローマクラブによる「成長の限界」のレポートであるが、東日本大震災とりわけ福島原発事故は、「成長の限界」を意識させるものであった。
⇒2013年5月17日 (金):「成長の限界」はどのような形でやって来るか?/花づな列島復興のためのメモ(214)
⇒2014年1月29日 (水):「フェルミのパラドックス」と「成長の限界」/原発事故の真相(103)
⇒2011年12月24日 (土):『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)
持続可能性を考えるならば、池内了『科学・技術と現代社会 下 』みすず書房(2014年10月)の表現を使えば、地下資源文明から地上資源文明へシフトしていかなければならないことは、小学生でも分かることである。
しかし、長期的な時間のファクターが欠落している市場メカニズムでは、地上資源利用へのインセンティブは働きにくい。
一定の政策的誘導が必要である。
地上エネルギー資源とは、別の言い方をすれば再生可能エネルギーである。
その利用促進策として、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)が、2012年7月1日にスタートした。
再生可能エネルギー源(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス)を用いて発電された電気を、国が定める固定価格で一定の期間電気事業者に調達を義務づけるものである。
しかしFITには制度的に欠陥があったと言わざるを得ない。
買い手側(電力事業者)が、「電気の円滑な供給の確保に支障が生ずる恐れがある」と判断すれば、買い取りを拒否できることになっているのだ。
川内原発の再稼働を急ぐ九州電力がこの条項を根拠として買い取りを拒否し、北海道、東北、四国の各電力が続いた。
結果として、制度そのものを見直さざるを得なくなったのである。
東京新聞2014年10月16日
企業が制度の枠内で合理的な行動をとろうとすることについては、理解できる要素もある。
しかし、それを長期的に必要な方向に誘導するのが政治の役割であろう。
しかるに安倍政権は、電力会社の原発再稼働の背中の後押しをするのに集中し、地上資源利用拡大に背中を向けている。
歴史の必然性を洞察しえない政権に未来は託せない。
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