阪神淡路大震災から20年/日本の針路(99)
1995年1月17日の払暁、激しい揺れが阪神間を襲った。
関西の高級住宅地と知られるところであり、地震のリスクが小さいと考えられていた。
だから、無警戒、無防備だったと言えよう。
神戸市を中心に6434人が亡くなった。
私はあるプロジェクトに関連して、北京からKL(クアラルンプ^-ル)に移動する日であった。
KLの空港に着き外に出るとメディア関係者と思しき男の人から声を掛けられた。
「日本の地震のことは知っているか?」
私は何のことか分からず「知らない」と答えて、メンバーの待機しているホテルに向かった。
ホテルについてTVを点けると、CNN(多分)がリアルタイム映像を映し出していた。
火事の様子が見える。
阪神・淡路大震災の記憶。一年に一度「生きる」と言う意味を考える日。
メンバーの中に神戸在住の人がいたが、とりあえず帰国した方がいい、と私と入れ違いで慌ただしく出て行った。
私にとっては突然のことで、リアリティがないまま、予定通りボルネオのサラワクに向かい、3日ほど滞在して帰国した。
異境で見る多数の家屋が倒壊し、炎と煙に包まれている映像は、幻想のように思えた。
帰国してから、やっと多数の死者が出た大地震だったという実感が湧いてきた。
学生時代に大変お世話になった宝塚市の叔父の家が心配だったが、電話で全員の無事を確認することができ、家屋の被害も軽微だということで、一安心した。
あれから20年。1つの節目と言えるだろう。
2011年3月には貞観以来という大震災も体験した。
新燃岳、御嶽山、桜島、阿蘇山・・・
次々と火を噴く火山。
「週刊朝日」1月23日号に『列島壊滅に備えよ』という特集があり、次のような警戒マップが載っている。
私の住んでいる三島市は、最大の危険地域になるが、どうすればいいのだろう?
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