音楽と文章の融合・遠山一行/追悼(63)
音楽評論家の遠山一行さんが、12月10日、東京の自宅で亡くなった。
死因は脳梗塞で、92歳だった。
遠山一行さんインタヴューこぼれ話
遠山さんは東京都の出身で、フランスのパリ音楽院に留学したあと、桐朋学園大学の教授や学長などを務めました。
この間、西洋クラシック音楽史の研究を進め、「名曲のたのしみ」や「ショパン」など多くの著書を発表したほか、新聞や雑誌などで音楽評論活動を行いました。
また、国内の作曲家が残した譜面を保存し研究する財団を設立し、日本の近代音楽史の研究を進めたほか、東京文化会館や東京芸術劇場の館長を務めて、芸術文化の振興のため力を尽くしました。
こうした功績で平成10年に文化功労者に選ばれています。
音楽評論家の遠山一行さん死去
1967年に、江藤淳氏、高階秀爾氏と共に創刊した「季刊芸術」は、高踏的な芸術総合誌で、貧乏学生には手が出なかった。
広範な教養に裏打ちされた文体で多数の著作を上梓した。
新潮社から『遠山一行著作集全6巻』(1986-1987)を刊行している。
1922年東京生まれ。
父は日興證券会長を務めた遠山元一。
妻の遠山慶子はピアニストで、弟の遠山信二は指揮者という音楽一家である。
1929年(昭和4年)、成城学園小学校に入学した。
東大紛争の時の東大総長の加藤一郎氏は同級生である。
1942年(昭和17年)、東京帝国大学文学部美学美術史学科に進んだが、1943年(昭和18年)12月、第1回学徒出陣により東部第6部隊に編入され、1944年9月、入隊中に帝大美学科を卒業した。
こうした履歴から推察されるのは、いわゆるブルジョワである。
私などの庶民派とは生活環境がまるで違うが、上質さを体現したような人だったと言えるだろう。
合掌。
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