東京駅開業100周年の活力/日本の針路(87)
今年は新幹線50周年であると共に、東京駅の開業100周年である。
開業日は、1914(大正3)年12月20日であった。
Wikipedia-東京駅は開業に至る経緯について次のように記す。
1889年に国鉄東海道本線の新橋 - 神戸間が全通し、私鉄の日本鉄道が上野を始発駅として青森に向けて線路を建設していた。そこで、新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。実際の建設は日清戦争と日露戦争の影響で遅れ、建設工事は戦争終了後の1908年から本格化し、1914年12月18日に完成し、同時に「東京駅」と命名された。
100周年といえば、第1次世界大戦の開戦と同じ年ということになる。
日本は、1902年に締結した日英同盟に基づき、連合国側の一員として参戦し、勝利側に属した。
しかも、自国は戦場になっていない。
日清、日露に引き続く戦勝で、第1次大戦中に、世界各地への輸出が増加し、工業生産が5倍になって、経済的繁栄に沸いた。
⇒2014年7月14日 (月):第1次世界大戦と日本/世界史の動向(21)
第2次大戦中に焼失し、戦後に完全な形での再建を断念し、八角屋根の2階建てとして1947年に修復した。
JR東日本は2007年に保存・復元工事を開始し、2012年(平成24年)10月1日に完成した。
駅舎の空中権を周囲に移転、売却する方法で費用を捻出した。
日本では、2000年から「歴史的建造物など低いまま保存すべき建造物があり、周辺でより高層のビル建設の必要がる」など、都道府県などが必要と認めれば隣接していなくても容積率を取引できる特例制度が新設されました。
これにより、東京駅周辺の約120ヘクタールが、「特例容積率適用区域」に指定され、区域内では低層の東京駅が利用しない空中部分の容積率を別の場所に移して利用することが可能となりました。
建設費500億円は、「空中権」を周辺ビルに販売
赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したものである。
南北二つのドーム状の屋根に干支のレリーフが飾られている。
1945年の東京大空襲で屋根が焼失していたが、天井の隅に干支のレリーフも復刻された。
干支は丑、寅、辰、巳、未、申、戌、亥の8つで、子、卯、午、酉の4つはない。
子、卯、午、酉は、子(北)、卯(東)、午(南)、酉(西)として東西南北を示す。
これらがどこにあるか長い間謎であったが、復元完成後まもなく、辰野の故郷の佐賀県武雄市の「武雄温泉楼門」であることが判明した。
⇒2013年4月19日 (金):辰野金吾設計の東京駅の干支
東京駅100年を記念して発売されたSUICAは、大勢が殺到して混乱を招き、発売を中断するという騒ぎがあった。
開業から20日で100年を迎えたJR東京駅で、記念のICカード乗車券「Suica」が発売された際、少なくとも9000人が殺到して発売が途中で打ち切られました。
東京駅では、これに納得がいかない人たちがJRの職員に詰め寄るなど、一時、大混乱となりました。
記念Suicaに殺到で発売打ち切り一時大混乱
復元工事完了後も東京駅はダイナミックに変貌している。
何かしら新しい変化がある。
東京新聞12月20日
見どころ満載の駅である。
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