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2014年11月 4日 (火)

磐田市旧赤松家記念館/人物記念館(1)

磐田市にある赤松則良の旧邸。
赤松は、日本の造船学の黎明期の中心人物である。
⇒2014年9月19日 (金):もし「沼津兵学校」が現存していれば・・・/知的生産の方法(103)

赤松が晩年を過ごした磐田市の見付にある。
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近くの見付学校は、明治5(1872)年の学制発布を受け、翌年8月に仮校舎で開校した。
新校舎は、明治8(1875)年に落成し、開校式が行われた。
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赤松は、明治期に磐田原台地に茶園を開拓した。
明治20年代に建てられた門・塀・土蔵は県・市の指定文化財となっている。
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敷地内に入ると、則良の胸像があり、りっぱな庭園が広がる。
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旧邸の赤松家記念館には、旧赤松家ゆかりの文化財や寄贈資料等が展示してある。
咸臨丸の模型があったが、こんな船で太平洋を横断したのかと思うような小さな帆船である。
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経歴と系図は参考資料として有用だろう。
赤松の娘登志子が森林太郎(鴎外)と結婚している。
津和野出身同士の西周の仲介か?
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