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2014年10月22日 (水)

知的生産のスキルとセンス/知的生産の方法(106)

梅棹忠夫さんが亡くなったのは、2010年7月だからもう4年余の時間が過ぎたことになる。
しかし、未だに梅棹さんの業績をタネにした書籍が後を絶たない、
堀正岳、まともとあつし『知的生産の技術とセンス 知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術』マイナビ新書(2014年9月)は、梅棹さんの『知的生産の技術』岩波新書(1969年7月)のアップデートを目指したものである。

1969年といえば、私が社会人になった年である。
当時と現在とでは、情報環境はまさに隔世の感がある。
現在のノートパソコンよりずっと厚みのある電子式卓上計算機(電卓)を、会社の課で1台購入したという時代である。
それまで実験データの解析はタイガー式と呼んでいた手回しの機械式計算機でやっていたから、格段の違いであった。

「1年半で2倍」と呼ばれる「ムーアの法則」という経験則がある。
表現にはバリエーションがあるようであり、元は集積回路の素子の集積度に関するものであるが、先端技術全般の発展法則を示すものとされる。
1969年は45年前だから、仮にムーアの法則を適用してみれば、2の30乗=約10億倍ということになる。
数字はともかく、知的生産の環境が大きく変わったのは間違いない。

私は特に「センス」の語をタイトルに入れたのが気になった。
というのは楠木建『経営センスの論理』新潮新書(2013年4月)を読んで、スキル・技術とセンスの異同について興味を覚えたからである。
楠木氏は、昨今のビジネスパーソンは「すぐによく効く新しいスキル」を求めがちであるが、スキルだけでは経営はできない、という。

 戦略を創るというのは、スキルだけではどうにもならない仕事だ。
 すぐれた戦略をつくるために一義的に必要なのは何か。それは「センス」としか言いようがない。

スキルとセンスはどう違うか?
アナリシス(分析)とシンセシス(綜合)の区別だと楠木氏は言う。
戦略の本質はシンセシスにあり、スキルをいくら鍛えても優れた経営者にはなれない。
まったく同感であるが、それではセンスを習得する方法はあるのか?

梅棹さんの『知的生産の技術』の時代と現在の違いは、端的にはアナログとデジタルの違いである。
しかし、知的生産の本質に変化はない。
知的生産の技術とセンス 知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術』の著者らは、センスを次のような「3極モデル」で考える。
Ws000000

要は、インプットとアウトプットの差異をもたらすものであるが、「Secret Sauce」では手の打ちようがない。
著者らは、世間に対して自分の成果を問い,それに対する評価を受けるというサイクルの繰り返しで「個人のセンス」が見えてくるというが、それでは何も言っていないようなものではないか、と思う。


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