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2014年10月 4日 (土)

御嶽山噴火と台風8号による豪雨との関係/因果関係論(25)

戦後最悪となった御嶽山噴火の被害状況は次第に明らかになってきているが、未だに全容は不詳である。
今回の噴火については、予兆をつかむことが難しい「水蒸気爆発」であろうというのが、火山学者の共通の見解のようだ。
川内原発の火山リスクについて、原子力規制委の田中委員長は次のように述べた。

 御嶽山が大きな予兆なく水蒸気噴火し、原発の噴火リスクが改めて注目されている。再稼働に向けた手続きが進む九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)の噴火対策について、原子力規制委員会の田中俊一委員長は1日の記者会見で「(御嶽山の)水蒸気噴火と、(川内原発で想定される)巨大噴火では起こる現象が違う。一緒に議論するのは非科学的だ」と述べ、審査の妥当性を強調した。
川内原発「現象が違う」 噴火リスク、規制委員長が見解

「現象が違う」といえば、地学を含む自然史的現象はすべて異なる。
また、社会事象もすべて異なる。
東日本大震災を予知し得たなたなら、この発言も肯定できるだろう。
われわれには、まだ未知なることがまだ多い、というのが東日本大震災の教訓ではなかったか。
⇒2014年9月27日 (土):御嶽山噴火と原発の火山リスク/技術と人間(5)

火山の噴火は、マグマが直接噴出する「マグマ爆発」と地表近くの地下水がマグマに熱せられて起こる「水蒸気爆発」がある。

 今回は、地震はあったものの、山の膨張などは観測されていなかった。気象庁は「マグマによる噴火とは考えにくい」との見方を示している。
 御嶽山を長年研究する三宅康幸・信州大教授によると、79年以降にあった複数の噴火は全て水蒸気爆発だったという。「噴出物を詳しく調べないと分からないが、前兆が無かったことから見ても水蒸気爆発ではないか」と指摘する。
 現地入りした金子隆之・東京大地震研助教は「火山灰が2~3ミリ程度積もっている。ごま粒状にくっついており、水気の多い噴火ではないか」と話した。

Photo
御嶽山、前兆少ない水蒸気爆発か 山の膨張、観測されず

今年の7月9日、長野県南木曽町は台風8号の影響で、1時間当たり70ミリの豪雨に襲われた。
同町読書の川で土石流が発生し、民家が流され1人が死亡する土砂災害が起きている。
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南木曽町と御嶽山の位置関係は上図のようである。
当然御嶽山にも相当量の降雨があったであろう。
御嶽山の山体が通常より多量の水分を蓄積していたと考えるのは自然であろう。

御嶽山では、前兆現象が観測されなかったのか?

 気象庁によると、御嶽山では9月10日ごろに山頂付近で火山性地震が増加し、一時は1日当たり80回を超えた。しかし、その後は減少に転じた。マグマ活動との関連が指摘される火山性微動は噴火の約10分前に観測されたが、衛星利用測位システム(GPS)や傾斜計のデータに異常はなく、マグマ上昇を示す山体膨張は観測されなかった。
 噴火は地震と比べると予知しやすいとされるが、過去の噴火で観測されたデータに頼る部分が大きい。気象庁火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長は「今回の噴火は予知の限界」と話す。
 平成12年の有珠山(北海道)の噴火は約1万人が事前に避難し、予知の初の成功例として知られる。有珠山では江戸時代以降、地震増加が噴火に直結することが分かっていたからだ。
 だが、このような経験則が成り立つ火山は例外的だ。御嶽山は有史以来初となった昭和54年の噴火が起きるまで、噴火の可能性すら認識されず、近年も静穏な状態が続いていた。噴火過程の理解など予知の判断材料は十分でなかったという。
地震活動の予兆あったが…噴火の記録乏しく予知できず

地道な観測データを積み重ねることが肝要と言うことだろう。
片山さつき議員のように虚報を流して自分の立場の利を図ることは卑しい心情と言うべきだろう。
⇒2014年10月 1日 (水):火山列島でどう生きるか?/日本の針路(47)
同氏は謝罪するハメになったが、問題は思考回路にあるのだから容易には変えられまい。

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