「山は動いた」のか? 土井たか子/追悼(58)
戦後史を象徴する人の1人と言っていいだろう。
社民党党首や女性初の衆議院議長を務めた元衆院議員の土井たか子(本名=多賀子)さんが20日、肺炎のため兵庫県内の病院で死去した。85歳だった。
この人の訃報により、戦後史の終焉の感は一層強まった。
⇒2014年9月23日 (火):朝日新聞、ソニーの凋落と戦後という時代の終わり/戦後史断章(18)
1986年、衆参同日選挙の大敗を受けて石橋政嗣委員長が辞任した後、第10代社会党委員長に就任した。
憲政史上でも初の女性党首であった。
時の首相は、かつて改憲論者として知られた中曽根康弘であったが、土井は護憲・軍縮を掲げてこれに対抗して、中曽根を牽制した。
中曽根の改憲の動きは抑えることができたが、社会党が堅持を強く求めていた防衛費1%枠は撤廃された。
1989年の第15回参院選で、消費税・リクルート事件の追及の際に強化された社公民路線を基礎とし、連合の会候補を3党が推薦するといった選挙協力体制を構築した。
社会党は改選議席の倍以上を獲得し、、総議席で自民党が過半数割れした。
土井の個人人気に支えられた面が大きく、土井ブームと称される。この時「山が動いた」が名文句として有名になった。
工学部ヒラノ教授こと今野浩氏の『あのころ、僕たちは日本の未来を真剣に考えていた』青土社(2014年3月)は、戦後政治史の一面にも触れている。
野口悠紀雄、今野浩、斎藤精一郎の3人は、政府が明治百年記念事業の一環として募集した、「二一世紀の日本」という懸賞論文に応募し、見事に総理大臣賞を受賞した。
論文は、増補されて東洋経済新報社から単行本として、1968年2月に出版されており、私は、たまたま3月発行の第2刷を持っているが、表紙裏の著者紹介欄に次のようにある。
「秀れたアイディアと“教祖的”魅力の持ち主である斎藤、緻密な論理体系で武装しつつも非合理性にあこがれる今野、そしてマクナマラを信奉しモーツアルトを愛する野口」
この3人組は、楠田実氏から電話で依頼を受ける。
楠田氏は佐藤栄作総理(当時)の主席秘書官であり、総理のスピーチライターであったが、佐藤が「明治百年記念式典」におけるスピーチに、「二一世紀の日本」の懸賞論文のエッセンスを入れたいという意向を伝える。
佐藤の後継は「三角大福」と呼ばれ、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳の順に総理の座に就いた。
三角大福の後は、中曽根康弘が就任し、その後がニューリーダーと呼ばれた安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の「安・竹・宮」だった。
楠田氏は安倍晋太郎がオシだった。
安倍晋太郎は、毎日新聞の記者だったが、岸に認められて政界入りをし、順調に総裁候補の位置に上って行った。
今野少年の母は共産主義を信奉していたが、友人の父のミスター毎日と呼ばれた工藤信一良から大きな影響を受け、その工藤のイメージと安倍が重なって見えた。
3人はそれぞれの思惑があり、楠田の申し出を引き受けた。
安倍信太郎の政権構想を考えるNSK(野口・斎藤・今野)研究会が、1985年1月に始まった。
1987年11月、ポスト中曽根は、中曽根自身の裁定により竹下に決まったが、1988年6月にリクルート事件が朝日新聞のスクープにより発覚する。
リクルート事件は政・官界を揺るがす大事件に発展し、竹下は退陣を余儀なくされた。
安倍晋太郎も病を得て、1991年5月に総理の座に就くことなく亡くなった。
今野氏の著書を紹介したのは、竹下内閣を退陣に追い込むについては、土井の激しい追及があったからだ。
1990年の第39回総選挙でも「おたかさんブーム」は続いていた。
総選挙の結果、社会党は136議席(他、追加公認3で139議席)と51議席増やした。
しかし、自民党は275議席(他、追加公認11で286議席)と安定多数を維持した。
さらに、野党での社会党の一人勝ちに公明党、民社党は距離を置き、両党は連合政権協議を打ち切り、自公民路線に舵を切った。
1993年に行われた第40回総選挙で社会党は議席半減の惨敗をした。
総選挙後に細川護煕を首班とする非自民・非共産連立政権の枠組みが固まると、両院で過半数を確保している連立与党は土井を衆議院議長に推すことを決定、衆参通じ女性初の議長となった。
1994年1月、与党社会党一部議員の造反による政治改革4法案の参議院での否決を受け、細川首相と河野洋平自民党総裁の会談を斡旋した。
この顛末については、出身の社会党や土井の支持者からも「土井の失策」という声が上がった。
小選挙区制が今日のような政治状況をもたらしたと考えれば、汚点であったとすべきであろう。
しかし安倍首相の「女性が活躍する社会」の呼び声で、怪しげな大臣が生まれたのを見ると、「ダメなものはダメ」と背骨が通っていた「おたかさん」が懐かしい。
合掌。
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