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2014年9月15日 (月)

満州の理想と現実・山口淑子(李香蘭)/追悼(55)

女優の山口淑子(本名大鷹淑子)さんが、7日心不全のため東京都内の自宅で亡くなった。
1920年に中国の奉天で生まれ、94歳だった。
李香蘭の名前で、1938年に満州映画協会(満映)の映画「蜜月快車」の主演でデビューした。

満映の理事長は、大杉栄事件で知られる甘粕正彦だった。
甘粕は、放漫というか乱脈というか、とにかく経営が傾いていた満映の二代目理事長に就任して、人事を正した。
実力主義の人事を行ったが、入社して間もない野老山作太郎という人が「蜜月快車」の助監督を務めた。
佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』新潮社(2008年5月)に次のような記述がある。

 それまで作家の村山知義らによって旗揚げされた新協劇団の研究生として裏方をやっていた野老山氏は、早くも二作目についた「蜜月快車」で助監督をやらされた。「蜜月快車」は李香蘭のデビュー作となったラブコメディである。李香蘭が日本人であることはトップシークレットだったが、野老山氏は李香蘭を一目見て、日本人だとわかったという。李香蘭は満映の廊下を歌を口ずさみながら歩くことが時折あったが、それだけでみんな振り返ってうっとりするほど華のある女性だった。

満映は中国人向けの映画を製作していたが、父親が南満州鉄道(満鉄)に勤務していた山口さんが満映の方針で中国人「李香蘭」として映画に出演したということだ。
故長谷川一夫さんと共演した「支那の夜」など数々の作品をヒットさせ、歌手としても「蘇州夜曲」「夜来香」などで人気を博した。

奇しくも「文藝春秋」の10月号に、石井妙子『岸富美子 甘粕正彦と満州映画「94歳最後の証言」』という記事が載っている。
岸さんは山口さんと同年代ということになる。
李香蘭に関する記載はないが、満映が昭和12年に満洲国の首都新京に創設された頃のことに触れている。
満映は、満洲国と満鉄の資本による国策映画会社だった。
甘粕は不思議な人物で有能な人材は右も左も区別せず登用し、最盛期は1000人を越える大所帯となった。

山口淑子は、「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた旧日本軍の工作員、川島芳子とも親交があったという。
戦後は、日本に渡って本名の「山口淑子」として映画女優に復帰した。
「暁の脱走」(谷口千吉監督)、「醜聞(スキャンダル)」(黒澤明監督)、「白夫人の妖恋」(豊田四郎監督)などの話題作に出演した。
1951年に彫刻家のイサム・ノグチさんと結婚したが、数年で離婚し、1958年に外交官の大鷹弘氏と再婚した。

私はもちろん李香蘭時代を知らない。
しかし「白夫人の妖恋」というタイトルを見て、胸をときめかしたような気がする。
1956年に公開された東宝とショウ・ブラザーズ共同制作の特撮伝奇映画で、小学校6年か中学1年の頃である。
中国の伝承『白蛇伝』を題材としている。

山口さんは、川島芳子、東京ローズと共に「三大文化漢奸」として処刑されそうになったこともある。
日中の狭間で数奇な人生だったと言えよう。
満州は、日本帝国の海外進出のために建国されたことは間違いないが、一面で人工国家であるが故の理想主義を内包するという複雑性を持ってもいた。
⇒2011年11月22日 (火):イーハトーブと満州国/「同じ」と「違う」(35)・満州「国」論(1)
その理想と現実を、美貌であったために一身に体現させられたのではなかろうか。
日中関係がギクシャクしている折に亡くなった。ご冥福をお祈りする。
合掌。

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