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2014年9月

2014年9月30日 (火)

『新・戦争のつくりかた』を読む/日本の針路(46)

泥憲和さんがAmazonに書評を書いたというので、りぼん・ぷろじぇくと、井上ヤスミチ 新・戦争のつくりかた』マガジンハウス(2014年9月)を読んでみた。
子供向けの絵本のような体裁であるが、大変な書物というべきであろう。
同書のサイトもあるので、未読の人には先ずサイトを覗いてみることを奨めたい。

絵本『戦争のつくりかた』が生まれたのは、いまから9年前。 戦争に備えるための有事法制(「有事7法案」と「有事関連3条約」)が国会で審議されていた2004年5月でした。
いままで戦争をしてこなかった、私たちの国が その「かたち」や「ありよう」を大きく変えようとしている------。 そのことに気づき始めた人たちが、インターネットを通じてつながってゆく中で、偶然にも憲法記念日の5月3日、ひとりの人の頭に、突然浮かんだもの。それが、絵本『戦争のつくりかた』でした。
・・・・・・
私たちに残された時間は、もうあまりないのかもしれません。
それでも、まだ道は残されています。私たちが気づき、変えていくことの出来る未来がきっとあります。この国を愛するひとりでも多くの人たちが、「戦争をしない未来を選びとる」ことを、私たちは願ってやみません。

第二次安倍政権が成立してからの数々は、この「絵本」が恐るべき予言の書であったことを実感するのではないか。
資料編として新しく「新」版に載っている関連年表の直近の部分である。
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読み難いが、一次、二次を通じて、安倍政権が着々として、「戦争をつくる」準備を進めつつあることが分かる。
次図は、自衛隊の海外派遣地図である。
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オバマ大統領が自衛権の発動としてシリア空爆を始めたが、集団的自衛権に関する諸準備が整えば、日本も空爆に参加することになるのであろう。
⇒2014年9月25日 (木):シリア空爆が自衛権の発動なのか?/世界史の動向(27)
「私たちに残された時間は、もうあまりないのかもしれない」が、まだ遅すぎてはいないのではなかろうか。

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2014年9月29日 (月)

怪しい安倍改造内閣の女性閣僚たち/日本の針路(45)

NHKの朝の連ドラ『花子とアン』は好評裡に終了したが、終盤の花子の「腹心の友・蓮子さま」(仲間由紀恵)のラジオを通じての語りかけが評判になっている。
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https://www.facebook.com/mizuho.nakayama.14?fref=nf

私は、Mizuho Nakayamaさんを直接知っているわけではないが、同感したので引用させて頂いた。
せっかく花子や蓮子の活躍が話題になっているところである。
Nakayamaさんを含め、「女性の輝く社会」のモデルとすべきではないか。
仲間さんは私生活でも慶事だそうだが、『花子とアン』では主人公の花子にひけをとらない存在感を示していた。

蓮子さまこと柳原白蓮は、静岡県東部地域にも足跡を残している。
⇒2014年6月25日 (水):白蓮の鈴と裾野市の佐野原神社/富士山アラカルト(8)
三島市の龍沢寺の名僧・山本玄峰老師とも親しかったという。
先日その裏話を耳にしたが、10月13日の講演会で茂吉研究者の藤岡武雄氏から語られるはずであるから、事前のネタバレは遠慮しよう。
【ふるさと再発見!「柳原白蓮と三島を語る】

私は蓮子のセリフから与謝野晶子を連想した。
与謝野晶子は、『君死にたまふことなかれ』で有名である。

あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

軍国主義の時代に堂々たる反戦詩である。
土井たか子さんの人口に膾炙した「山が動いた」は晶子の詩の中の言葉が元になっているそうである。

 「“山の動く日来る”という与謝野晶子の歌が好き。実際、山が動き始めた」(89年7月、参院選前哨戦の都議選で社会党が大躍進)
おたかさん語録「山が動いた」「やるっきやない」「私の闘いは続く」

山の動く日来る。/かく云へども人われを信ぜじ。/山は姑く眠りしのみ。/その昔に於て/山は皆火に燃えて動きしものを。/されど、そは信ぜずともよし。/人よ、ああ、唯これを信ぜよ。/すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人称にてのみ物書かばや。/われは女ぞ。/一人称にてのみ物書かばや。/われは。われは。
『青鞜』第2回 「山の動く日来たる」

安倍首相も、「女性が輝く日本」の構築を訴えている。
官邸サイトでも「女性が輝く日本へ」というページがあり、以下のような施策が説明されている。
待機児童の解消
女性役員・管理職の増加
職場復帰・再就職の支援
子育て後の起業支援について
関連リンク

「女性が輝く日本」という趣旨に反対するわけではないが、実際に先般の内閣改造で登用された大臣の顔触れを眺めると首を傾げざるを得ない。
安倍首相が極端な保守色を隠すために「女と申す者誰も戦争ぎらひに候」(与謝野晶子)という一般通念を利用しているだけだという批判がある(有村治子議員と靖国神社)が、そういうことであろう。

高市早苗・総務相
ネオナチ団体の代表とのツーショット写真が物議を醸している。

第2次安倍改造内閣で総務相に就任した高市早苗衆院議員や、自民党の稲田朋美政調会長ら国会議員3人が、極右団体代表の男性と議員会館で会い、ツーショットで撮った写真が団体のホームページに一時公開されていたことが9日、分かった。議員側は「男性の人物像は知らなかった」と説明した。
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高市早苗氏や稲田朋美氏、ネオナチ団体代表とのツーショット写真で波紋

個別の面談者に逐一文句をつけるわけではないが、「男性の人物像は知らなかった」という説明は虚偽の臭いがふんぷんである。

山谷えり子・拉致問題等担当相(国家公安委員長)
9月25日に日本外国特派員協会で拉致問題について講演したが、質疑応答で、在日韓国人・朝鮮人への差別的な言動(ヘイトスピーチ)を街頭で繰り広げる「在日特権を許さない市民の会」(在特会)との関係に質問が集中した。
たとえば「週刊文春」誌等で在特会との関係が取り上げられている。
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Q(英タイムス) 最近、元在特会関西支部長の増木重夫氏との関係が報じられた。疑いをはらす意味でも、何年前から増木氏を知っていて、何回会ったのか、在特会についての考えをはっきりと表明してもらえないか。
A 私は選挙区が全国でありまして、たくさんの人とお会いをしております。その、まき、増木さんという方が在特会の関係者ということは存じ上げておりません。
山谷えり子・拉致担当相、在特会との関係に質問が集中【ヘイトスピーチ】

山谷氏は、在特会という組織を知っているのか、知らないのか?
知っていて、公安の調査対象である在特会と写真を撮ったのであれば問題だし、知らないのでは国家公安委員長として怠慢ということになる。

有村治子・女性活躍・行政改革等担当相
今まで人物像が紹介されたような記憶のない人だが、女性活躍担当相は新設されたポストであるから、安倍政権が目玉として位置づけているのだろう。
有村治子氏は、警固神社のサイトに、「靖国に想うこと」という以下のような文章を寄稿している。

私は昭和四十五年生まれ、日本教職員組合(日教組)が学校現場で、強い影響力を持っていた時代に教育を受けた「戦後派世代」です。民主主義は、私が 生まれた時から空気の如く存在していたかのような認識でおりました。しかし、自らの可能性はもちろん、人の心も信じられず、極限まで追いつめられる選挙を 経験して、「ああ、民主主義って、なんと尊く有り難いものだろう。どれだけ多くの方々の想いと犠牲があって、平和が創られていることか…」と、ほとばしるような感慨と、感激の想いをもって、靖國・平和・民主主義をいつくしむようになりました。そして、この事実を痛感するに至った靖國に対する想いを、「普通 に育った戦後派世代」として、選挙区である全国どこに行っても、講演で申し上げるようになりました。右・左のイデオロギー論争に絡めて靖國のことを論じる のではなく、若手政治家として、選挙を通して実感した御霊に対する想いを自らの言葉でお伝えする時、世代や地域・個々の宗教宗派を超えて、一定の説得力を 持ち得ることも、確信するようになりました。
有村治子議員と靖国神社

いささか意味不明ではあるが、「ほとばしるような感慨」で「靖國・平和・民主主義」を讃えてるから、有村氏も安倍親衛隊ということだろう。

斎藤美奈子さんが書いているように、安倍首相の「女性の輝く社会」には「女王蜂症候群(クインズビーシンドローム)」という言葉がつきまといがちである。
女王蜂症候群とは以下のようなことである。

 男性優位の社会において、高い地位に昇ることができる女性はほんの一握りである。従って、やっとの思いで地位を手に入れた女性ほどその地位に固執する。仮に自分より若く有能な女性が登場すれば、それは自分の地位を脅かす存在に映り、助ける対象どころか敵として見なしてしまうのだ。その結果、女性が女性の足を引っ張って、成功や昇進を妨害する――。米国では1970年代にすでにこうした現象が問題視され、「女王蜂症候群」と名付けられたのである。
女性活用が陥る「女の敵は女」

雨宮処凛さんは、東京新聞の「新聞を読んで(9月28日)」というコラムで、「女性の活躍」が「女のコスプレをした名誉おっさんを増やす」ことにしかならないのではないか、という心配を表明している。
「おっさん」すなわち、「育児に非協力的で、出世のために長時間労働をいとわず、酒の付き合いを大事にする人」であり、「名誉おっさん」とは、日本型おっさん社会で仲間入りを認められた女性のことである。
「名誉おっさん」が増えても「女性の輝く社会とは言えないであろう。

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2014年9月28日 (日)

「山は動いた」のか? 土井たか子/追悼(58)

戦後史を象徴する人の1人と言っていいだろう。
社民党党首や女性初の衆議院議長を務めた元衆院議員の土井たか子(本名=多賀子)さんが20日、肺炎のため兵庫県内の病院で死去した。85歳だった。
この人の訃報により、戦後史の終焉の感は一層強まった。
⇒2014年9月23日 (火):朝日新聞、ソニーの凋落と戦後という時代の終わり/戦後史断章(18)

1986年、衆参同日選挙の大敗を受けて石橋政嗣委員長が辞任した後、第10代社会党委員長に就任した。
憲政史上でも初の女性党首であった。
時の首相は、かつて改憲論者として知られた中曽根康弘であったが、土井は護憲・軍縮を掲げてこれに対抗して、中曽根を牽制した。
中曽根の改憲の動きは抑えることができたが、社会党が堅持を強く求めていた防衛費1%枠は撤廃された。

1989年の第15回参院選で、消費税・リクルート事件の追及の際に強化された社公民路線を基礎とし、連合の会候補を3党が推薦するといった選挙協力体制を構築した。
社会党は改選議席の倍以上を獲得し、、総議席で自民党が過半数割れした。
土井の個人人気に支えられた面が大きく、土井ブームと称される。この時「山が動いた」が名文句として有名になった。

工学部ヒラノ教授こと今野浩氏の『あのころ、僕たちは日本の未来を真剣に考えていた』青土社(2014年3月)は、戦後政治史の一面にも触れている。
野口悠紀雄、今野浩、斎藤精一郎の3人は、政府が明治百年記念事業の一環として募集した、「二一世紀の日本」という懸賞論文に応募し、見事に総理大臣賞を受賞した。
論文は、増補されて東洋経済新報社から単行本として、1968年2月に出版されており、私は、たまたま3月発行の第2刷を持っているが、表紙裏の著者紹介欄に次のようにある。
「秀れたアイディアと“教祖的”魅力の持ち主である斎藤、緻密な論理体系で武装しつつも非合理性にあこがれる今野、そしてマクナマラを信奉しモーツアルトを愛する野口」

この3人組は、楠田実氏から電話で依頼を受ける。
楠田氏は佐藤栄作総理(当時)の主席秘書官であり、総理のスピーチライターであったが、佐藤が「明治百年記念式典」におけるスピーチに、「二一世紀の日本」の懸賞論文のエッセンスを入れたいという意向を伝える。
佐藤の後継は「三角大福」と呼ばれ、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳の順に総理の座に就いた。
三角大福の後は、中曽根康弘が就任し、その後がニューリーダーと呼ばれた安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の「安・竹・宮」だった。

楠田氏は安倍晋太郎がオシだった。
安倍晋太郎は、毎日新聞の記者だったが、岸に認められて政界入りをし、順調に総裁候補の位置に上って行った。
今野少年の母は共産主義を信奉していたが、友人の父のミスター毎日と呼ばれた工藤信一良から大きな影響を受け、その工藤のイメージと安倍が重なって見えた。
3人はそれぞれの思惑があり、楠田の申し出を引き受けた。

安倍信太郎の政権構想を考えるNSK(野口・斎藤・今野)研究会が、1985年1月に始まった。
1987年11月、ポスト中曽根は、中曽根自身の裁定により竹下に決まったが、1988年6月にリクルート事件が朝日新聞のスクープにより発覚する。
リクルート事件は政・官界を揺るがす大事件に発展し、竹下は退陣を余儀なくされた。
安倍晋太郎も病を得て、1991年5月に総理の座に就くことなく亡くなった。

今野氏の著書を紹介したのは、竹下内閣を退陣に追い込むについては、土井の激しい追及があったからだ。
1990年の第39回総選挙でも「おたかさんブーム」は続いていた。
総選挙の結果、社会党は136議席(他、追加公認3で139議席)と51議席増やした。
しかし、自民党は275議席(他、追加公認11で286議席)と安定多数を維持した。
さらに、野党での社会党の一人勝ちに公明党、民社党は距離を置き、両党は連合政権協議を打ち切り、自公民路線に舵を切った。

1993年に行われた第40回総選挙で社会党は議席半減の惨敗をした。
総選挙後に細川護煕を首班とする非自民・非共産連立政権の枠組みが固まると、両院で過半数を確保している連立与党は土井を衆議院議長に推すことを決定、衆参通じ女性初の議長となった。
1994年1月、与党社会党一部議員の造反による政治改革4法案の参議院での否決を受け、細川首相と河野洋平自民党総裁の会談を斡旋した。
この顛末については、出身の社会党や土井の支持者からも「土井の失策」という声が上がった。

小選挙区制が今日のような政治状況をもたらしたと考えれば、汚点であったとすべきであろう。
しかし安倍首相の「女性が活躍する社会」の呼び声で、怪しげな大臣が生まれたのを見ると、「ダメなものはダメ」と背骨が通っていた「おたかさん」が懐かしい。
合掌。

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2014年9月27日 (土)

御嶽山噴火と原発の火山リスク/技術論と文明論(5)

長野・岐阜県境の御嶽山が突然噴火した。

 長野県と岐阜県にまたがる御嶽山(3067メートル)の27日の噴火で、長野県警の災害警備本部は同日午後2時20分の時点で山頂に約150人以上、剣ケ峰付近に100人以上が取り残されていると発表した。4人が灰に埋まっているとの情報があるという。
 一方、木曽広域消防本部は、山頂付近の山小屋の経営者らの話として、同日午後2時現在、救援を待っている登山客のうち、1人は足の切断が必要とみられるほどの重傷としている。ほかに7人がけがをしているという。
 長野県警の災害警備本部によると、御嶽山上空は、約1キロまで噴煙が上がっている状況が確認された。
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御嶽山:噴火 山頂に150人以上取り残される 長野県警

御嶽山は古くから信仰の山として信者の畏敬を集めてきた山である。
木曽を代表する山として親しまれ、尾張地方ではほとんどの場所からその大きな山容を望めることから、「木曽のおんたけさん」として郷土富士のように親しまれている。
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大勢の登山者が山頂付近にいたということは、少なくとも入山規制等の措置が取られていなかったことを示す。
「想定外」だったのであろう。
火山のリスクといえば、原発再稼働の安全性の審査が気に掛かる。
特に川内原発が問題視されている。
原子力規制委員会の審査に、火山の専門家から疑問が出されているのだ。

原子力規制委員会は8月25日と9月2日に、原子力施設における火山活動のモニタリングに関する検討チームの会合を開催。実質的に川内原発の新規制基準適合審査・火山影響評価についての検討の場となったが、そこで火山専門家から規制委の判断結果に対し、その前提を根本的に否定するような意見が相次いだためだ。

火山リスクは、川内原発審査における最重要検討課題の一つ。過去に火砕流が敷地近辺まで到達した痕跡もある。その火山リスクに対する規制委の認識が誤っているとすれば、火山審査を初めからやり直す必要性が生じる。規制委は7月、川内原発の設置変更許可申請が新規制基準に適合しているとして、事実上の”審査合格証”を与えたが、それ対しても多くの専門家から根本的な疑義が表明された形だ。
川内原発の火山審査に専門家から疑義噴出

要は、再稼働に前のめりになっている電力会社や政権が、本気でリスクを考えようとしないことが原因なのではないか。
巨大噴火の予知は、地震と同様に困難だと考えるべきであろう。
それを前提にしないと、同じ過ちを切り返すことになる。

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2014年9月26日 (金)

現場に根差した公共経済学・宇沢弘文/追悼(57)

経済学者の宇沢弘文さんが亡くなった。
1928年鳥取県米子市に生まれた。86歳だった。

1951年、東京大学理学部数学科を卒業し、同時に特別研究生となった。
スタンフォード大学のケネス・アロー教授に送った論文が認められ、1956年に研究助手として渡米し、スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校で教育研究活動を行い、1964年シカゴ大学経済学部教授に36歳で就任した。
1968年に東京大学経済学部に助教授として戻り(翌年教授)、1989年退官した。
日本に帰国以来40年以上にわたり日本政策投資銀行設備投資研究所顧問を務めていた。

数学科出身だけに、60年代は数理経済学の分野で数多くの先駆的な業績をあげた。
経済が成長するメカニズムを研究する経済成長論の分野で、従来の単純なモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練されたモデルに改良し、高い評価を受けた。
ノーベル経済学賞候補に擬せられたこともあったが、ノーベル賞を受賞したスティグリッツは宇沢さんの弟子である。

70年代に入って、研究の方向性を大きく変化させた。
数理的経済理論が現実から遊離し、形骸化していることから、公害などの環境問題の社会問題に視座を転換させた。
岩波新書の『自動車の社会的費用』(1974年6月)は、通事故や排ガス公害などを含めた自動車の社会的コストを経済学的に算出し、ベストセラーになった。

私はリサーチャーの時代に私的な勉強会に来て頂きお話を拝聴したことがある。
上掲書が刊行されて間もない頃だったと記憶している。
健康法はジョギングで、趣味は山歩きということだそうだが、そのときもトレッキングシューズのような靴を履いていたのが印象的だった。
きわめて穏やかで、ユーモアの富んだ人柄という感じの話し方だった。
日本政策投資銀行の前身の日本開発銀行に在籍していた某先輩は、「酒(バーボン)好き・話好きな方で、屡々酒杯を交わし、歓談した」と言っている。

学校、病院といった社会的インフラから自然環境までを包含する「社会的共通資本」という概念の重要性を提唱した。
また、地球温暖化を防ぐため、二酸化炭素の排出1トンあたりの税率を1人あたり国民所得に比例させる「比例的炭素税」の導入なども提言している。
リュック一つ背負って現地に飛び、実地調査するという現場主義の人でもあった。

経済学と人間の心』東洋経済新報社(2003年5月)では、田中康夫・長野県知事による「脱ダム」宣言を「世界全体にとって、新しい時代の時代精神を簡潔で、格調高い文章で表したもの」と称え、全文を引用している。
原発事故を体験してしまった現在、発言を聞きたい経済学者を失った。
特に、アベノミクスについてはどう評価していたのだろうか。
合掌。

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2014年9月25日 (木)

シリア空爆が自衛権の発動なのか?/世界史の動向(27)

米軍が22日、シリア領内のイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」の拠点に対する空爆をアラブの友好国と共同で実施した。
8月に開始したイラク北部への空爆に続く武力行使であるが、シリアでは初めての空爆である。
⇒2014年8月 9日 (土):アメリカがイラクで空爆を再開/世界史の動向(23)

オバマ米大統領は23日、イスラム過激派組織「イスラム国」に対するシリア領での空爆作戦に参加した中東5か国代表らと会談し、「世界が結束しているという明確なメッセージを発した」と述べ、作戦が「有志連合」の連携の成果であることを強調した。
 米軍によると、23日のシリア空爆は計24回に及び、ステルス戦闘機F22を初めて実戦に投入し、巡航ミサイル「トマホーク」も47発撃ち込んだ。8月8日のイラクでの空爆開始以来、最大規模となった。
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シリア空爆最大規模、「世界が結束」米強調

他国の紛争に慎重だったオバマ大統領の方針転換である。
国際社会挙げて「イスラム国」を叩かなければならない、と宣言した以上、米国がシリア問題に介入せざるをえなくなるのは必然だったとも言える。
しかし、米軍のシリア領空爆には国際法上の疑義が呈されている。

イラクの場合には、当事国の要請を受けて、という手順を踏んだ。
シリア政府は「イスラム国やその他のテロリストと戦ういかなる国際的努力も支持する」と事実上容認したとも見られるが、少なくとも手順的には問題を残しているだろう。
米国は23日、空爆をシリア領内で実施したことについて、「国連憲章51条に基づく自衛権行使」だとする文書を国連に提出し、これを法的根拠としてシリア空爆の正当化を図ろうという姿勢だ。

だが、フランスがシリアからは支援要請を受けていないことを問題視し、シリアには軍事介入しない姿勢を鮮明にしている。また、イランも「シリア政府の同意か国連安全保障理事会の決議が必要だ」などとする考えを明らかにして、米国に釘を刺した。
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シリア空爆、米「自衛権行使」 国連に文書、正当化図る

イスラム国をめぐる構図は複雑であるが、基本はサウジアラビアが資金源のスンニ派とイランが資金を出しているシーア派の対立である。
⇒2014年6月18日 (水):シーア派とスンニ派/「同じ」と「違う」(76)
しかし、シリア国内では、体制、反体制、イスラム国などの諸勢力が争っている。
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アメリカVSイスラム国、全面戦争に突入か!? 海外の反応。

昭和14(1939)年夏、日本はソ連と共産主義の脅威に対抗すべく、ドイツとの日独防共協定を軍事同盟へ発展させようと交渉を進めていたが、8月23日にドイツはソ連と独ソ不可侵条約を締結した。
8月28日、平沼騏一郎首相が「欧州情勢は複雑怪奇」という言葉を残し、総辞職した。
国際政治の駆け引きは「複雑怪奇」なのが相場ともいえるが、シリア情勢もまったく「複雑怪奇」という以外にない。

イスラム国をめぐる構図は、以下のようである。
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東京新聞9月24日

今回の空爆に参加している国は以下のようである。
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静岡新聞9月25日

「イスラム国」はゲリラ組織と国家の中間的な組織であると言われる。
つまり不定形の部分があるということだ。
移動しながら活動を続ける組織ならば、空爆しても簡単に逃げられるだけだ。
「イスラム国」が「人民の海」に紛れているならば、空爆の効果は限定的だろう。

イラク政治史が専門の酒井啓子千葉大学教授は次のように言う。

シリア内戦に周辺国が好き勝手に介入した結果、「イスラーム国」というフランケンシュタインを作り上げた。その作った張本人たちであるアラブ湾岸諸国が、そのフランケンシュタイン出現の責任を自覚し、回収に積極的な役割を果たす必要がある。チェチェンや北アフリカから戦闘員が「イスラーム国」に流入していることを考えれば、ロシアや北アフリカ諸国、そしてそれらの背景にある西欧諸国もまた、「イスラーム国」というフランケンシュタインの創り主である。
 
 しかし、フランケンシュタインはすでに自活能力を獲得している。シリアやイラクの石油施設を接収して、石油の闇輸出で収入を得、あちこちで拉致誘拐した者から身代金を巻き上げる。イラクでの戦闘を経て、武器や財産を戦利品として得たことで、「イスラーム国」は、外部からの資金を断たれたとしても、かなりの程度自活できる。
 本来力をいれて行うべきは、そうしたフランケンシュタインの創り主たちの間での本格的な共闘体制のはずだ。それを欠いて空爆だけしていればよい、というのでは、結局は地元社会の「責任をとらない余所者たち」への不信感を高めるだけである。
シリア空爆の意味

オバマ政権の中東戦略は迷走している。
2011年末にブッシュ前政権が始めたイラク戦争の終結を宣言したが、イスラム国の勢力拡大を受け、イラクでの戦いを再開せざるを得なくなった。
8月に開始したイラクでの空爆はこれまでに190回以上に達しているが、イスラム国の勢いが弱まる気配はない。
底の見えない戦いに進む決断をしたが、オバマ大統領の苦渋には終わりが見えない。

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2014年9月24日 (水)

言論弾圧は中国共産党のオウンゴール/世界史の動向(26)

ウイグル族の経済学者、イリハム・トフティ氏に対し、新疆ウイグル自治区の裁判所が23日、無期懲役と政治的権利の終身剝奪に加え、全財産を没収する判決を言い渡した。
ウイグル族をめぐる問題は中国中央政府(=中国共産党)のアキレス腱のように思われる。
⇒2013年11月 4日 (月):天安門自爆テロ?/世界史の動向(1)
⇒2014年5月27日 (火):緊迫するウルムチ/世界史の動向(14)

イリハム氏は、ウイグル族の自治を確立し、漢族との融和をめざすという立場だったといわれる。
同氏は、ウイグル族の権利の擁護は訴求したが、ウイグル独立の主張には賛同してこず、公判でも「私は一貫して国家の分裂に反対し、いかなる分裂活動にも参加していない」と語っていた。
穏健派とみられてきた学者に対し、重い判決を下したことは、当然のことながら国際社会からは批判的な目で見られよう。

改めて、ウイグル族独立問題をレビューしてみよう。

 新疆ウイグル自治区は中国の西端に位置し、人口約2000万の半分がイスラム教徒のウイグル族で占められている特殊な地域です。中国が王朝だった時代には、中国やモンゴル遊牧民族の圧力を受けながら独立と従属を繰り返していました。この地域にある楼蘭という古都はシルクロードの舞台としても有名な場所です。しかし1949年に中国共産党が政権を握って以降は、完全に中国に併合され、1955年に新疆ウイグル自治区という名称になり今に至っています。
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 中国当局は、新疆ウイグル自治区に大量の漢族を移住させ人口比を逆転させようとしており、政治や経済といった重要な分野では漢人が大きな影響力を持っています。また中国は建前上、宗教を否定する社会主義国家なので、イスラム教の活動について常に監視下に置いています。このため一部の住民は中国の統治に対して強く反発し、中国からの分離独立を主張しています。
<中国>イチからわかるウイグル族独立問題

新疆ウイグル自治区では、漢族とウイグル族の民族対立が原因と疑われる衝突事件が相次いでいる。
危機感を深める習近平指導部にとって新疆の安定は最優先課題の一つである。
イリハム氏は元中央民族大学副教授で、ウイグル関連サイト「ウイグルオンライン」の開設者である。
昨年十月の天安門前の車両突入・炎上事件後は、当局がウイグル族によるテロと断定したことを疑問視する発言をしていた。
穏健派のイリハム氏に対して、指導部は強硬な取り締まりで臨んでおり、イリハム氏にも厳罰をもって対処した。

中国では裁判所も共産党の指導下にある。
新華社通信によると法院は、イリハム氏が「ウェブサイトや大学の授業で民族分裂の思想を広め、犯罪集団を形成。国家分裂を目的とした犯罪活動を実施した」と認定した。
穏健派知識人に対して強硬姿勢で言論封殺を図ったと批判されても抗弁できまい。
イリハム氏を厳罰に処したことは、長期的には中国共産党の威信を低下させるものであると考える。

香港の行政長官選から民主派の候補を事実上排除したことも同様の文脈上にあると言えよう。
中国の民主活動家・王丹氏は次のように批判している。

中国の民主活動家、王丹氏(45)は1日、台北市内で記者会見し、中国が香港の行政長官選から民主派の候補を事実上排除したことについて「自分が決めた人の中から選ばせるのは、やくざの手法だ」と批判した。
 王氏は「中国共産党の行動の本質は反民主主義だ」とした上で、民主的な選挙の実現は「人類社会の基本的な文明の問題」と述べ、香港市民の抗議活動を支持するよう訴えた。中国が武力鎮圧に乗り出した場合、「(香港市民への)ノーベル平和賞の申請運動を始める」とも話した。
王丹氏、香港長官選は「やくざの手法」と中国批判

中国の統治能力のキャパシティを越えているのではないか?
音を立てて崩壊していく様が見えてきたようだ。

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2014年9月23日 (火)

朝日新聞、ソニーの凋落と戦後という時代の終わり/戦後史断章(18)

朝日新聞が火だるまになっている。
私は朝日を擁護する義理はないが、産経、読売、週刊新潮、週刊文春、「たかじんのそこまで言って委員会」等がこぞって朝日バッシングに狂奔している状況は肌寒い感じがする。
しかし、問題拡大の一因となった池上彰氏のクールな対応などに救われたような気がした。
⇒2014年9月18日 (木):朝日新聞の2つの「吉田証言」問題/日本の針路(44)

ネットでも基本的には朝日はサンドバッグ状態であるが、「泉の波立ち」を書いている南堂久史氏等の正気な論客がいる。
以下、南堂氏のOpenブログを引用しよう。

 実を言うと、朝日の誤報など、たいしたことはない。吉田調書の誤報は、ただの言葉のニュアンスの問題ぐらいにすぎない。慰安婦の誤報は、はるか昔のことであり、現在においてはほとんど影響がない。
 一方、読売の誤報は、原発の真の原因を隠そうとしたり、浜岡原発を「安全だ」と誤報することで日本を滅亡させようとしている。
  → 読売の歪曲報道
 また、安倍晋三の方は、「菅首相がデマを飛ばした」というデマを自分自身が飛ばしたし、その前の第一期首相時代には、「原発は安全だ」という虚偽を語ることで、原発事故の直接の原因をもたらした。
  → 安倍晋三のデマ(海水注入の中止) の 【 追記 】
 ここから国会答弁を引用しよう。

   Q(吉井英勝):原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測や復旧シナリオは考えてあるのか
   A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない


 こういう形で、日本に原発事故の被害をもたらした張本人が、安倍晋三なのである。なのに、その責任を問うこともなく、原発事故の鎮静化のために努力した菅直人を非難したり、真実を隠蔽しようとする安倍内閣の秘密を探り出した(調書を見つけた)朝日を攻撃したりする。
 比喩的に言えば、殺人事件があったときに、殺人犯を非難するかわりに、事件の被害者の救済に当たった消防署員(≒ 菅直人)を非難したり、殺人事件を隠蔽しようとする悪徳警官(≒ 安倍晋三)の隠していた資料を暴露する記者(≒ 朝日)を避難する。
 こういう滅茶苦茶なことをやっているのが、保守派なのだ。

「たかじんのそこまで言って委員会」は、たかじん氏亡き後も番組が存続しており、現在は辛坊治郎氏が総合司会を務めている。
前回の放映では、津川雅彦氏(俳優)、加藤清隆氏(政治評論家・時事通信社特別解説委員)、竹田恒泰氏(憲法学者(但し自称)・作家)などのレギュラーメンバー、花田紀凱氏(元週刊文春編集長・月刊『WiLL』編集長)、百田尚樹氏(作家・「探偵!ナイトスクープ」構成作家、NHK経営委員)などの準レギュラー、櫻井よしこ氏らが嬉しそうに悪乗りして朝日バッシングをやっていた。
ほとんどイジメを思わせる雰囲気だった。

時を同じくして、ソニーの苦境が報じられている。

 ソニーは、2015年3月期の最終損益の見通しを、従来予想(500億円の赤字)の5倍近い、2300億円の赤字に下方修正。さらに、1958年の上場以来続けてきた配当を、初めて無配にすると発表した。
 大幅な赤字見通しの最たる要因は、スマートフォンの販売不振が招いたモバイル(MC)分野の減損にある。
スマホ事業減損で初の無配

私が大学に入ったのは1963年であるが、下宿生活で初めて購入した高額(?)商品がソニーのトランジスタラジオだった。
TVや冷蔵庫などは考えることもできない時代だった。
ケネディ暗殺のニュースは叔父の家のTVでリアルタイムで視聴したが、ソニーのラジオで忘れられないのは三井三池炭鉱の粉塵爆発のニュースだった。
「石炭から石油へ」のエネルギー革命を象徴する事故であった。

1962年には、ソニーの工場を昭和天皇が視察し、世界最小・最軽量のTV試作品を見た。
井深大社長(当時)は、「まだ世の中に出ていませんから」と説明し、天皇に口止めしたと話題になった。
技術オリエンテッドな経営で独創的な製品を送り出し、ブランドロイヤリティを築いた。
いつの頃からか、MBA的経営になって、ソニーは輝きを失った。

朝日新聞社とソニーという戦後史に大きな足跡を残した企業が、正視できないような無残な姿をさらしている。
これを戦後レジームの終焉と考えるべきか?
いま、日本社会は大きな転換期を迎えていることは間違いないだろう。

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2014年9月22日 (月)

水神を祀る貴船神社/京都彼方此方(9)

名水で知られる柿田川公園に、水神を祀る貴船神社がある。
貴船神社は全国に約450社あるといわれるが、総本社は京都市左京区にある。
水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。
京都の市街地からは離れているので行こうという意識がないとなかなか訪れる機会がない。
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四季折々の風情が楽しめる。
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貴船神社

特に夏の川床と紅葉は有名である。
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そうだ、流しそうめん食べに行こう!

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貴船神社

和泉式部は夫との仲がうまくいかなくなって貴船神社にお詣りしたという。

ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる

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貴船神社 和泉式部の歌碑

永田和宏、河野裕子『京都うた紀行―近現代の歌枕を訪ねて京都新聞社(2010年10月)に京都の歌枕の1つとして取り上げられている。

とどろきをともなふ雨は谷こめて貴船の山ゆ降りおろしきぬ(上田三四二)

螢飛ぶ貴船の沢に若かりしわれらが時間(とき)は還ることなし(河野裕子)

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2014年9月21日 (日)

数独とクロスワードパズル/「同じ」と「違う」(82)

「ロボットは東大に入れるか(Todai Robot Project)」という国立情報学研究所(大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構)が中心となって進めているプロジェクトがあることは紹介した。
⇒2014年1月19日 (日):ロボットが東大に入る日/知的生産の方法(78)

研究のリーダー新井紀子教授に『コンピュータが仕事を奪う』日本経済新聞社(2010年12月)がある。
人工知能(ロボット)が次第にホワイトカラーの仕事を浸食していることについては、すでに触れた。
⇒2014年7月27日 (日):ホワイトカラーの仕事はなくなるか?/技術と人間(3)
⇒2014年9月11日 (木):ロボット(人工知能)とどう共生していくか?/技術と人間(4)
上掲書のなかに、「数独とクロスワードパズル」という項目があって、次のようなアンケートの設問が示されている。
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数独とクロスワードパズルは、新聞の日曜版等でお馴染みである。
私も毎週の「週課」としていて、基本的には毎週取り組んでいる。
認知能力の後退の指標にならないか、という発想である。

上記アンケートの解析結果の結論として、以下が示されている。
①数学が不得意だった人は、クロスワードパズルを選び、数学が得意だった人は数独を選ぶ(=<0.05)。
注)=<0.05というのは、この結論が偶然である確率が5%未満であること、すなわち統計的に有意差が認められるということである。
②数独を選ぶ人には、「数学」または「現代国語」が得意だった人が多い(=<0.05)。
③「歴史」が苦手な人は数独を選び、逆に、「歴史」が得意な人にはクロスワードパズルを選ぶ傾向がある(=<0.025)。

人間には、演繹と帰納という2つの問題解決能力が備わっている。
帰納は、経験やデータに基づく問題解決の方法であり、演繹は根拠と論理に基づく問題解決能力である。
根拠と論理は、クリティカル思考でお馴染みである。
⇒2013年7月12日 (金):治験とクリティカル思考/知的生産の方法(69)

コンピュータはどちらが得意か?
パッと考えると、計算機のイメージから演繹のように思うが、現在のコンピュータは電子「計算機」という訳語は誤解を招きかねない。
機械学習の方法論によって、コンピュータの能力は飛躍的に拡大した。
機械学習をするということは帰納の能力を高めることである。
新井教授は、「一を聞いて十を知る」にたとえて、「一テラを聞いて十を知る」と表現している。

数独とクロスワードの2つのパズルは、新井教授によれば、演繹と帰納という代表的な思考様式を表している。
ちなみに私は数独を選んだが、断然というよりも「どちらかといえば」という感じである。。
私は工学部出身であるが、受験の社会は2科目が課せられており、日本史と世界史を選んだというのは、事実である。
数学が得意だったかと言えば自信はないし、歴史が不得意だったかと言えば少なくともこのブログのタグに設定しているように、日本古代史や世界史の動向は、関心・興味の視野には入っている。
それが「どちらかといえば」というような判断であったのではないか。

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2014年9月20日 (土)

藤原肇『石油危機と日本の運命』/私撰アンソロジー(34)

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「人生を変えた一冊の本」というような言い方がある。
私にとっては、どの本だろうか?

藤原肇『石油危機と日本の運命―地球史的・人類史的展望』サイマル出版(1973年)がそうだったかも知れない。
工業化学系の学科を出て、当然のように就職した化学会社で、エポキシ樹脂の用途開発の仕事に携わりながら、「これが自分の天職なのか? 果たして自分はこういう仕事をずっとつづけるのだろうか?」というようなことを考え、悶々とした日々を送っていた。

著者の藤原氏は、1938(昭和13)年生まれだから、まだ30代半ばだったということになる。
仏グルノーブル大学理学部博士課程修了した構造地質学を専攻する理学博士で、多国籍石油会社でキャリアを磨いた。
今の私からすれば「若造」という感じになるが、当時は目から鱗が落ちるような斬新な感じであった。
現在は、ニューサイエンスにシフトしているようで、違和感がある。

この書のたとえば「石油開発は、ある意味で知識産業であり、情報産業であるといってもかまわないほどで、石油会社の実力の優劣は、まさにその会社が蓄積してきた地質学的な知識の内容と、それを石油発見に結びつけていく、質的に高い人材群によって象徴される。」というような箇所に触れ、「現在の仕事は石油に関連はするが、知識産業や情報産業からはほど遠い」と考えざるを得なかった。

そして思い切って、某リサーチファームに転職した。
その頃は、転職自体が一般的ではなく、同じ研究室を出た仲間は、アカデミズムの世界に向かった1人を除き、基本的には定年の日まで最初に就職した会社に在職している。
また、リサーチなどという職業も市民権を得ているとは言い難く、事実大学を出る時の就職担当の教授には、設立したばかりのシンクタンクへの就職を相談したら、「工学部の学生は実業に就きなさい」と反対されて化学会社に就職したのだった。

転職したのが1973年10月1日であるが、10月6日に第四次中東戦争が勃発して、10月16日に、石油輸出国機構 (OPEC) 加盟産油国のうちペルシア湾岸の6ヶ国が、原油値上げを発表した。
また、翌日10月17日にはアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が、原油生産の段階的削減(石油戦略)を決定した。
「産油国の輸出中止という事態が起こったりしたら、たちまち日本が壊滅的な打撃を受けるということは、想像に難くないだろう」という著者の予言がある意味で的中し、日本社会はパニック的状況に陥った。

石油価格の上昇は、直ちに日本経済を直撃したといっていいだろう。
1960年代以降に「石炭から石油へ」のエネルギー革命によりエネルギー源を石油に置き換えていた日本は、ニクソン・ショック(ドル・ショック)から立ち直りかけていた景気に打撃を受けた。
前年からの列島改造ブームによる地価急騰で急速なインフレーションが発生していたが、石油危機により便乗値上げが相次ぎ、さらにインフレーションが加速された。

私は幼い子供も抱えていたが、不思議に転職に対する不安も前途に対する不安も感じなかった。
若さ故かも知れないが、後に2人の子供が生まれた後の転職の際には、非常に悩んだことと対照的であった。

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2014年9月19日 (金)

もし「沼津兵学校」が現存していれば・・・/知的生産の方法(103)

沼津兵学校と聞いても、ほとんどの人が聞いたことがないだろう。
Wikipediaに以下のような説明が載っている。

沼津兵学校は1868年(明治元年)、フランスに倣った軍隊を目指すという目標を掲げ、駿河国沼津の沼津城内の建物を使って徳川家によって開校された兵学校のこと。受講資格は、徳川家の家臣である14歳から18歳ということが原則ではあった。しかし、他藩からの留学生もいたといわれる。初代学長は西周であり、教師は優秀な幕臣の中から選ばれた。
1870年(明治3年)に兵部省の管轄となり、1872年(明治5年)には政府の陸軍兵学寮との統合のため東京へ移転したが、途中で作られた付属小学校は、現在の沼津市立第一小学校の前身である。
沼津兵学校は日本の近代教育の発祥であるとも言われる。

沼津兵学校は、徳川家兵学校が正式名称であり、大政奉還した徳川家が、静岡藩として270年余にわたって日本の政権を担当してきた威信を賭けて設立したものである。
それだけに、錚々たる教授陣とカリキュラムを誇っていた。
初代学長の西周は、啓蒙家として、西洋哲学の翻訳・紹介等、哲学の基礎を築くことに尽力した人物として著名である。
西は、明治6年(1873年)に森有礼・福澤諭吉・加藤弘之・中村正直らと共に明六社を結成し、翌年から機関紙『明六雑誌』を発行した。

東海道線の沼津駅のすぐ西側にあるガードは、西周にちなんで「あまねガード」と命名されている。
沼津兵学校長時代、西周はガードのすぐ近くに住んでいたのだという。
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ディープな沼津④

兵学校は、陸軍士官養成を目的としており、教授陣は旧幕開成所、海軍所、陸軍所の洋学者たちが充てられた。
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熊澤恵理子『沼津兵学校における教育の史的考察』

いわゆる士官学校と異なり、「普通学」を採用した教育内容に特徴があったとされる。
予備教育機関として、徳川家兵学校付属小学校を設置し、小学校修了者の中から選抜されるというシステムであった。

付属小学校は現在の沼津市立第一小学校の前身である。
私が学齢期の頃には、沼津を代表する小学校であり、周辺の郡部の学校にいた私たちからすれば、ハイカラな雰囲気のマンモス校であった。
現在はいわゆるドーナツ化現象により中心市街地の空洞化が進み、存続すら危ぶまれるようになっている。
同校のクラスの名前は、孔子の説く十徳から「仁・義・礼・智・信・勇・・・」と名付けられていた。
私は縁あって、同校の六年信組の人たちだった人たちによる「六信会」の準メンバー扱いとして、旅行等を一緒にさせて頂いている。
⇒2012年8月27日 (月):大川小学校の悲劇と避難誘導の難しさ/因果関係論(20)・みちのく探訪(1)

1870年(明治3年)に兵部省の管轄となり、1872年(明治5年)には政府の陸軍兵学寮との統合のため東京へ移転した。
短命であったが、沼津兵学校は日本の近代教育の淵源であると評価されている。
いま、沼津には東海大学の開発工学部および大学院があるが、高等教育機関としてはいかにも物足りない。
隣りの三島市の日本大学国際関係学部と順天堂大学看護学部を合わせても、多くの若者を惹きつけるパワーは不足しており、域内の大学進学者は殆どが域外に流出している。

総務省の人口移動調査によれば、2013年、沼津市人口転出者が全国の市でワースト6位だった。
「沼津兵学校がそのまま存続していれば・・・」と歴史のイフを無意味と承知しつつ想像してみる。
当時の陣容からすれば、東京工業大学にも匹敵するような学校になり得たのではないか。
風光明媚で温暖な土地である。
シリコンバレーのような先端的な研究学園都市が形成されていた可能性は十分あると言えるのではないか。

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2014年9月18日 (木)

朝日新聞の2つの「吉田証言」問題/日本の針路(44)

朝日新聞の2つの「吉田証言」問題は、言論を考える人にとっての大きな試金石ではなかろうか。
2つの「吉田証言」とは、改めて触れるまでもないだろうが、以下のことである。

1つは吉田清治『私の戦争犯罪』三一書房(1983年7月)という著書をめぐる問題である。
朝日新聞が8月5、6日の紙上で自社の慰安婦記事を検証し、「吉田氏の記事16本を取り消します」とした。
これに対し、産経新聞や週刊新潮、週刊文春などは、「謝罪しろ」とか「反省が足りない」という大キャンペーンを張っている。

特に池上彰氏のコラムを一端掲載拒否したことが、火に油を注いだ。
確かに朝日の対応には首を傾げざるを得ない。
社内やOBなどからも批判の声が上がり、結局はコラムを掲載した。
⇒2014年9月 5日 (金):朝日新聞の池上彰氏のコラム掲載騒動/日本の針路(37)

もう1つの「吉田証言」は、東京電力福島第一原発の吉田昌郞所長の調書についてである。
もともとは朝日新聞の大スクープのはずだった。
⇒2014年5月22日 (木):「吉田調書」を全面開示して真相解明の一歩に/原発事故の真相(114)
ところが、調書を入手した他社が、解釈がおかしいと批判し、朝日も謝罪記事を出している。

〈おわび〉
 朝日新聞は東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が作成したいわゆる「吉田調書」を、政府が非公開としていた段階で独自に入手し、今年5月20日付朝刊で第一報を報じました。その内容は、「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる約650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」というものでした。吉田所長の発言を紹介して過酷な事故の教訓を引き出し、政府に全文公開を求める内容でした。
 しかし、その後の社内での精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、「命令違反で撤退」という表現を使った結果、多くの東京電力社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事だったと判断しました。「命令違反で撤退」の表現は誤りで、記事を取り消すとともに、読者及び東電のみなさまに深くおわびいたします。(2014年9月11日)
福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明=おわびあり

決して誇れることではないが、「捏造」とか「虚報」ではないだろう。
非公開方針だった「吉田調書」等の事故調書を公開させる契機になったことは評価に値しよう。
とろろが、たとえば、静岡新聞の「論壇」9月17日掲載の屋山太郎氏の『二つの“吉田証言”取り消し』では、以下のように記載されている。

(朝日新聞に記事が載ったことを受けて)ところがこのあと産経新聞、読売新聞が相次いで「吉田所長が必要人員を残して避難させた」というスクープを放った。

果たしてこれらをスクープと賞賛すべきだろうか?
フクシマ50と呼ばれる決死隊が残留したことは、周知の事実であったのではないか。
Wikipediaでも以下のように説明されている。

2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震の後に発生した津波によって福島第一原子力発電所の原子炉の冷却機能が停止し、それらの復旧作業や応急処置のために同発電所には社員を含め約800人の従業員が従事していた。しかし、懸命の復旧作業にもかかわらず、原子炉1号機の水素爆発など度重なる原子炉爆発事故が発生し、遂に3月15日には、原子炉4号機の爆発と火災が発生。この4号機の爆発は使用済み核燃料プールに保管していた「使用済み核燃料」が建屋(たてや)上層にあり、爆発によってそれが露出した可能性があることと、放射性物質が飛散した可能性があるため、これらの危険回避の為に人員約750人は東京電力の指示によって避難した。しかし、約50人が現地にとどまり、福島第一原子力発電所の被害を食い止めることに尽力した。これを日本国外メディアが彼らを地名と人数を合わせた「Fukushima 50」の呼称で呼び始めた。
しかし16日朝、検出された放射線の高さから健康への影響が懸念され、彼らは短い時間一時的に避難しなければならなくなった。彼らが現場に戻ったとき、新たに130人以上が加わり、当初の約50人に加え総数は約180人になったと報告された。3月18日には柏崎刈羽原子力発電所や送電線敷設要員も加わり、総勢580人の体制になった。彼らの中には東京電力やその子会社の東電工業や東電環境エンジニアリングなど東京電力協力企業の社員、また東芝や日立製作所の社員なども加わっている。3月21日までに、東芝は横浜市磯子の技術センターで700人の原発事故対応チームを組織、そのうち100人を福島の2ヶ所の原発に派遣し、日立も1000人規模の対応チームを組織、120人を現場に送った。
人数は増えていったものの、「Fukushima 50」の名前はそのままメディアで使われ、彼らを総称する言葉となった。

以上のように、「待機命令に違反して撤退した」という朝日の記事は誤りである。
しかし、屋山氏のように、従軍慰安婦問題と吉田調書問題を、あたかも同一の間違いであるかのように扱うことは誤解を招くだろう。
所員が「命令に違反 撤退」したわけではない事実は、現段階で多くの人がすでに知っている公知のことであって、スクープと賞賛するようなことではないだろう。
確かに、朝日の体質のようなところまで含めれば、2つの「吉田証言」に対する関与の仕方に共通性があると言えるかも知れない。

また、「吉田調書」について誤りを認めたのは、従軍慰安婦問題を一緒にして火消しを図ったというような穿った見方もある。
意識的か無意識にか分からないが、自民党の片山さつき氏は自分のツイッターで「2つの吉田証言」を混同している。
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https://twitter.com/katayama_s

吉田調書とクマラスワミ報告とはまったく関係がない。
「クマラスワミ報告」とは、旧日本軍の従軍慰安婦を「性奴隷」と位置付けた1996年の国連報告書である。
スリランカの女性法律家、クマラスワミ元特別報告者は、独自に行った元慰安婦への聞き取り調査などに基づき「(慰安婦の)募集は多くの場合、強制的に行われた」との主張を繰り返している。
日韓関係悪化の根源にするな 慰安婦問題で元国連報告者

虚報の実例は以下のようなものだろう。
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産経がこの号外について、どんな謝罪をしたのだろうか?
私は9月17日付東京新聞「本音のコラム」の斎藤美奈子氏の次の見方に同感である。

 それがどんな結果を招くかといえば、報道機関の大本営化である。誤報や虚報が怖いので、メディアは政府発表などの無難な情報しか流さなくなる。左遷や解任が怖いので記事の書き方にもおのずとブレーキがかかる。結果、権力を監視する機能はますます後退する。

牙を抜かれたメディアなど、存在意義がないというべきだろう。

「週刊文春」誌は最新の9月25日号でも朝日批判に熱心だが、池上彰氏が「池上彰のそこからですか!?」という連載の180回で、『罪なき者、石を投げよ』を書いている。
朝日批判に狂奔するメディアに対して、「その資格があるのか?」ということである。
もはや新聞業界自体が末期にあるという認識もあって私もいささか同感する部分もあるが、活字派の池上氏は、新聞界・出版界擁護のスタンスで書いている。
また「新聞不信」という欄で、諦という署名で『“朝日誤報”他山の石とせよ』があるのも付け加えておかないとフェアではないだろうなあ。

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2014年9月17日 (水)

酒場での体験と創作活動・山口洋子/追悼(56)

作詞家で直木賞作家の山口洋子さんが6日、呼吸不全のため亡くなった。
1937(昭和12)年5月10日、名古屋市東区生まれの77歳だった。

1957(昭和32)年、東映ニューフェイス4期生に選ばれた。
同期には水木襄・佐久間良子・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山城新伍がいた。
同期の佐久間良子さんを見て、「こんなきれいな人とは勝負にならない」と女優を諦めて夜の世界に入った。
東京・銀座で高級クラブ「姫」を開業し、映画スターや作家、スポーツ選手が通う人気店のママとして注目された。

クラブ経営の傍ら作詞を始めた。
石原裕次郎「ブランデーグラス」、中条きよし「うそ」、八代亜紀「もう一度逢いたい」などのヒット曲を手掛けた。
作詞家として特筆すべきは、「五木ひろし」の生みの親であることだろう。

五木さん(本名:松山数夫)は、1964年、第15回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、1965年6月、コロムビアから松山まさるの芸名でデビューした。
1967年に日本グラモフォンへ移し、一条英一に改名した。
1969年に三谷謙に再改名したが、やはりヒット曲には恵まれなかった。

デビューしてから約5年間の間に2度も芸名を変更するも、鳴かず飛ばずといった状態で不遇の時代を過ごしていた。
1970年、ダメなら田舎に帰ろうと、背水の陣でテレビ番組の「全日本歌謡選手権」に挑戦した。
10週勝ち抜けばプロ歌手も再デビューのチャンスが与えられるシステムだった。
レギュラー審査員の反応は良くなかったが、ゲスト審査員だった山口さんは違った。
歌唱力を高く評価し、将来性についても確信したのだ。
再デビューさせるべく、平尾昌晃さんに声をかけ、新曲の準備を始めた。

五木さんが6週目を勝ち抜いた頃には、「よこはま・たそがれ」が出来上がっていたという。
「五木ひろし」の名前は、クラブの常連客五木寛之氏にちなんだ。
1971年、五木さんが歌った「よこはま・たそがれ」は大ヒット作品となった。
第13回日本レコード大賞歌唱賞の他、第2回日本歌謡大賞放送音楽賞等、多数を受賞した。

♪よこはま たそがれ ホテルの小部屋
 くちづけ 残り香(が) 煙草のけむり
 ブルース 口笛 女の涙
 あの人は 行って行ってしまった
 あの人は 行って行ってしまった
 もう帰らない

体言止めを多用した歌詞と平尾昌晃さんによるモダンでソフトな演歌調の曲がマッチしていた。
平尾さんにとっては初めての演歌作品であった。
五木さんは、念願であったNHK紅白歌合戦(第22回)への初出場も果たした。

山口さんは、1980年代からは近藤啓太郎さんのすすめで小説の創作活動も始めた。
1985(昭和60)年には『演歌の虫』、『老梅』で直木賞を受賞した。
元来多才な人だったのだろうが、酒場での見聞が創作活動のコヤシになっていた。
合掌。

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2014年9月16日 (火)

ダウンシフトと「ゆるい就職」人気/日本の針路(43)

政府は一所懸命に経済成長を謳っているが、経済が減速時代に入っていることは明らかなように見える。
そういう時代に、「ダウンシフト」というライフスタイルが徐々に広がってきつつある。

「ダウンシフト」(downshift)とは、生活のペースを下げて、ゆとりある生活に切り換えていくことを指します。
元々は「車のギアを1段下げる」という意味のダウンシフトが転じて、「生活のギアを切り替えること」
つまり「少ない消費と少ない収入で充足感を得る暮らし方を自発的に取り入れること」、「収入が減っても、ストレスの多い仕事を辞めて、よりシンプルで幸福が感じられる生活に切り替えること」や「出世競争、競争社会(rat race)からの離脱」といった社会的行動の意味で使われ始めました。
シンプルに生きよう!今日からあなたもダウン・シフター

初めて「減速主義=ダウンシフターズ」を名乗ったのは『減速して生きる―ダウンシフターズ』幻冬舎(2010年10月)の著者、高坂勝氏だという。
高坂氏は、1970年、横浜生まれ。
大卒後に勤めた大手企業を30歳で退社し、6.6坪の小さなオーガニック・バー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」を開業した。

ダウンシフターズの広がりを具体的に示すのは、若者の就職活動の変化だろう。
「週休4日、月収15万」という「ゆるい就職」を支援するプロジェクトの主催する就職説明会が人気だという。
これまで当たり前とされてきた週5日フルタイム・正社員という働き方に代わる、新たなワークスタイルである。
新卒の学生から25歳までの若者を対象に、週3日勤務で月給15万円の派遣や契約社員等の仕事をマッチングする。
求職者向け説明会が9月2日に行われ、自分に合った働き方を求める若者たちが集まったという。

「ゆるい就職」を仕掛けるのは、全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や、女子高生による自治体改革ユニット「鯖江市役所JK課」などを企画してきた人材・組織コンサルタントの若新雄純氏。人材派遣・紹介は人材サービス会社のビースタイルが行う。若新氏は、「今は昔のように、車やマイホームに象徴される誰もが求める『普通の幸せ』のために、みんなが横並びでがむしゃらになって働く時代ではなくなった。仕事のやりがいや価値観が多様化するなか、若者が自分の働き方や人生について模索する時間が必要なのでは」と企画の背景を説明する。
週休4日、月収15万・「ゆるい就職」説明会に集まった高学歴の若者たち

ひと頃、「ノマド」が話題になった。
佐々木俊尚『仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)』(0907)のサブタイトルが、「ノマドワーキングのすすめ」であった。
⇒2011年2月21日 (月):知的余生の方法とノマドスタイル/知的生産の方法(11)

「ノマド」は、もともとは遊牧民のことで「時間、場所、人間関係、お金などに縛られない自由な生き方・働き方」を意味する。
情報通信技術の発展により、時空の制約が小さくなったのでノマド的生活が可能になったと言われる。

例えば、プロブロガー(ブログを書いて生計を立てている人)のイケダハヤト氏は、東京から高知に移住したが、ハンディはまったくないという。
イケダ氏はノマドの典型例であろうが、誰もが可能というわけではないだろう。

安倍内閣は地方創生の司令塔として「まち・ひと・しごと創生本部」を設置し、実力者といわれる石破茂氏を大臣を据えた。
しかし、組織を作り、実力大臣が座っても社会的な価値観の変容を伴わなければ、地方創生は不可能であろう。
イケダ氏は社会のOSと表現しているが、上り坂から下り坂へギアを変えることが人ようなのではないか。

高市早苗新総務大臣が盛んにローカル・アベノミクスと口にしていた。
アベノミクスがグローバル企業に軸足を置いてきたことを考えれば、ジョークのようにも聞こえるが、ご本人はそんな気は全くないようである。
福島原発事故の汚染水は「完全にコントロールされている」と言った内閣には、整合性などまったく意識しないということであろう。

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2014年9月15日 (月)

満州の理想と現実・山口淑子(李香蘭)/追悼(55)

女優の山口淑子(本名大鷹淑子)さんが、7日心不全のため東京都内の自宅で亡くなった。
1920年に中国の奉天で生まれ、94歳だった。
李香蘭の名前で、1938年に満州映画協会(満映)の映画「蜜月快車」の主演でデビューした。

満映の理事長は、大杉栄事件で知られる甘粕正彦だった。
甘粕は、放漫というか乱脈というか、とにかく経営が傾いていた満映の二代目理事長に就任して、人事を正した。
実力主義の人事を行ったが、入社して間もない野老山作太郎という人が「蜜月快車」の助監督を務めた。
佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』新潮社(2008年5月)に次のような記述がある。

 それまで作家の村山知義らによって旗揚げされた新協劇団の研究生として裏方をやっていた野老山氏は、早くも二作目についた「蜜月快車」で助監督をやらされた。「蜜月快車」は李香蘭のデビュー作となったラブコメディである。李香蘭が日本人であることはトップシークレットだったが、野老山氏は李香蘭を一目見て、日本人だとわかったという。李香蘭は満映の廊下を歌を口ずさみながら歩くことが時折あったが、それだけでみんな振り返ってうっとりするほど華のある女性だった。

満映は中国人向けの映画を製作していたが、父親が南満州鉄道(満鉄)に勤務していた山口さんが満映の方針で中国人「李香蘭」として映画に出演したということだ。
故長谷川一夫さんと共演した「支那の夜」など数々の作品をヒットさせ、歌手としても「蘇州夜曲」「夜来香」などで人気を博した。

奇しくも「文藝春秋」の10月号に、石井妙子『岸富美子 甘粕正彦と満州映画「94歳最後の証言」』という記事が載っている。
岸さんは山口さんと同年代ということになる。
李香蘭に関する記載はないが、満映が昭和12年に満洲国の首都新京に創設された頃のことに触れている。
満映は、満洲国と満鉄の資本による国策映画会社だった。
甘粕は不思議な人物で有能な人材は右も左も区別せず登用し、最盛期は1000人を越える大所帯となった。

山口淑子は、「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた旧日本軍の工作員、川島芳子とも親交があったという。
戦後は、日本に渡って本名の「山口淑子」として映画女優に復帰した。
「暁の脱走」(谷口千吉監督)、「醜聞(スキャンダル)」(黒澤明監督)、「白夫人の妖恋」(豊田四郎監督)などの話題作に出演した。
1951年に彫刻家のイサム・ノグチさんと結婚したが、数年で離婚し、1958年に外交官の大鷹弘氏と再婚した。

私はもちろん李香蘭時代を知らない。
しかし「白夫人の妖恋」というタイトルを見て、胸をときめかしたような気がする。
1956年に公開された東宝とショウ・ブラザーズ共同制作の特撮伝奇映画で、小学校6年か中学1年の頃である。
中国の伝承『白蛇伝』を題材としている。

山口さんは、川島芳子、東京ローズと共に「三大文化漢奸」として処刑されそうになったこともある。
日中の狭間で数奇な人生だったと言えよう。
満州は、日本帝国の海外進出のために建国されたことは間違いないが、一面で人工国家であるが故の理想主義を内包するという複雑性を持ってもいた。
⇒2011年11月22日 (火):イーハトーブと満州国/「同じ」と「違う」(35)・満州「国」論(1)
その理想と現実を、美貌であったために一身に体現させられたのではなかろうか。
日中関係がギクシャクしている折に亡くなった。ご冥福をお祈りする。
合掌。

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2014年9月14日 (日)

スコットランドの分離独立と沖縄/世界史の動向(25)

9月18日に、スコットランドのイギリスからの分離独立を問う住民投票が行われる。
大半の日本人は、最近になるまでこのような事態を想定していなかったのではなかろうか?
そもそも、スコットランドのポジションとは如何なるものなのか?

いわゆるイギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つのカントリーから構成されている。
ユニオンジャックと言われる国旗が、歴史的な経緯を語っている。
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イギリスの国旗

もしスコットランドが独立するということになれば、白地に赤の十字と斜めの赤線がクロスした国旗になる。
Wikipediaのスコットランドの項には以下のように解説されている。

1707年の連合法(Acts of Union)によってグレートブリテン王国が成立するまでは独立した王国(スコットランド王国)であった。スコットランドの名称は、この地を統一したスコット人(Scots)に由来する。スコットランド・ゲール語では「アルパ(Alba)」と呼ぶ。ラテン語では「カレドニア」と呼ばれる。
スコットランドはグレートブリテン島の北部3分の1を占め、南部でイングランド国境に接する。東方に北海、北西方向は大西洋、南西方向はノース海峡およびアイリッシュ海に接する。本島と別に790以上の島から構成される。
首都のエディンバラは人口でスコットランド第2の都市であり、ヨーロッパ最大の金融センターの一つである。最大の都市であるグラスゴーは大グラスゴーの中心であり、スコットランドの人口の40%が集中する。スコットランドの沿岸部は北大西洋および北海に接し、その海洋油田の石油埋蔵量はヨーロッパ随一となっている。
スコットランドの法制度、教育制度および裁判制度はイングランドおよびウェールズならびに北アイルランドとは独立したものとなっており、そのために、国際私法上の1法域を構成する。スコットランド法、教育制度およびスコットランド教会は、連合王国成立後のスコットランドの文化および独自性の3つの基礎であった。しかしスコットランドは独立国家ではなく、国際連合および欧州連合の直接の構成国ではない。
スコットランドの花(The Flower of Scotland)が事実上の「国歌」である。
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住民投票の項目は「スコットランドは独立国家になるべきか」だけである。
まさにシングル・イシューである。
賛成が過半数ならばイギリスからの独立が決まる。
独立への賛否は、有権者をほぼ二分する接戦と言われている。
予断を許さない情勢であるが、他地域に波及することも予想される。

たとえば、スペインのバルセロナではカタルーニャ独立を求める大規模なデモが行われ、その数は数十万人に膨れ上がった。
日本でも、たとえば北海道や沖縄で独立を求める動きが出てもおかしくはない。
スコットランド独立、北海道と沖縄も独立できますか?」という質問に対して、次のようなアンサーが寄せられている。

 ところで日本。国際的にみれば北海道のアイヌ民族、沖縄の「琉球民族」は独立権を主張してもおかしくはないのです。実際、そうした動きもあります。(アイヌ民族、「琉球民族」は広義の日本民族ですが諸説あり)
一つ確信できることは日本国政府が独立を黙認することは絶対にない。 法律的にも地方が独立する手順など定まっていないし、自衛隊・警察が必ず動きを制圧するし、県民・道民が同調する可能性はゼロ。

しかし11月に行われる沖縄県知事選に出馬表明している大城浩詩氏は、「1年以内に沖縄を独立させ、米軍撤退に代わり中韓などの軍隊を置く」を基本政策とすることを発表している。
大城氏は、琉球自立独立実行委員会の実行委員長ということである。
現時点では泡沫候補であろうが、大河といえども源流は一滴の水である。
沖縄独立論が大きな動きにならないとも限らないであろう。

先の名護市議選では、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設への賛否が争点になったが、辺野古移設反対派が過半数を占めた。
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名護市議選 辺野古移設反対58% 得票率分析 地元の声鮮明

辺野古移設問題に限って言えば、反政府が過半数ということである。
沖縄の民意を無視はできない。

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2014年9月13日 (土)

iPS細胞による網膜再生手術/日本の針路(42)

STAP細胞問題で信頼を失いかけた日本の再生医療が新しい段階に入った。
理化学研究所発生・再生科学総合研究センターと先端医療センター病院(神戸市)が12日、iPS細胞から作った目の網膜細胞を人に移植する世界初の手術を実施した。
細胞が副作用なく定着し安全性が確認されればは、研究段階から実際の治療へ大きく前進する。

 患者は網膜で重要な役割を果たす細胞に異常が起こって視力が低下し、失明の恐れがある難病「加齢黄斑変性」を患う兵庫県在住の七十代女性。昨年八月、理研が開始した臨床研究の患者募集に応じた。
 iPS細胞は体中の細胞に変化でき、再生医療で最も有望視されているが、体内でがん細胞などに変化することがないとは言い切れない。初臨床の対象として、がんになりにくい上、治療する範囲が狭いため必要とするiPS細胞が少なくて済む目の細胞が選ばれた。今後四年間は患者の検査を続けて異常がないかを確認する。
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iPS世界初移植 理研などが網膜細胞を難病女性に

 手術は、異常な血管ができて傷ついた色素上皮を専用の器具で取り除き、縦1・3ミリ、横3ミリの色素上皮細胞のシートで置き換えた。先端医療センター病院の栗本康夫・眼科統括部長(53)ら眼科医3人が執刀し予定通り2時間で終了。高橋リーダーが立ち会った。
 執刀チームは「多量出血などのトラブルはなく、成功したと言っていい」としている。患者は元気な様子で、約1週間後に退院できる予定。計6人の手術を計画しているが、2人目以降の時期は未定だ。
iPS細胞:世界初の移植手術 目の難病患者に

京都大学の山中伸弥教授がマウスで初めて作製してから8年で、iPS細胞は実用化に一歩近づいた。
高橋政代リーダーは、亡くなった笹井芳樹氏から相談を受けたことがきっかけでiPS細胞の研究を始めたという。
⇒2014年8月 5日 (火):STAP論文問題のキーパーソン・笹井芳樹/追悼(53)
STAP細胞の問題で靄がかかっていたような再生医療に、光が射したといえよう。

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2014年9月12日 (金)

朝日新聞の蘇生は可能か/日本の針路(41)

朝日新聞が窮地に陥っている。
自ら播いた種であるし、対応の仕方も疑問ではあるということはすでに触れた。
⇒2013年10月14日 (月):朝日新聞社はどうなっているのか?/ブランド・企業論(3)
⇒2014年8月22日 (金):続・朝日新聞社はどうなっているのか?/ブランド・企業論(30)
⇒2014年9月 5日 (金):朝日新聞の池上彰氏のコラム掲載騒動/日本の針路(37)

従軍慰安婦問題と吉田調書の扱いが問題になっているが、まずは後者についての木村伊量社長のお詫び会見から。

 朝日新聞社の木村伊量(ただかず)社長は11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が作成した、吉田昌郎(まさお)所長(昨年7月死去)に対する「聴取結果書」(吉田調書)について、5月20日付朝刊で報じた記事を取り消し、読者と東京電力の関係者に謝罪した。杉浦信之取締役の編集担当の職を解き、木村社長は改革と再生に向けた道筋をつけた上で進退を決める。
 朝日新聞社は、「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を立ち上げ、取材・報道上の問題点を点検、検証し、将来の紙面づくりにいかす。
 本社は政府が非公開としていた吉田調書を入手し、5月20日付紙面で「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」と報じた。
 しかし、吉田所長の発言を聞いていなかった所員らがいるなか、「命令に違反 撤退」という記述と見出しは、多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した。
 調書を読み解く過程での評価を誤り、十分なチェックが働かなかったことなどが原因と判断した。問題点や記事の影響などについて、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」に審理を申し立てた。
吉田調書「命令違反」報道、記事取り消し謝罪 朝日新聞

吉田調書の解釈をめぐっては、他紙から解釈が違うと批判されていた。
それを追認したわけであるが、ある意味で解決済みのことであった。
140912
静岡新聞9月12日

私は朝日新聞によって「吉田調書」の存在が明らかにされたとき、特筆すべきスクープだと思った。
そして、当初公開する予定はないとしていた政府(安倍内閣菅官房長官)に対して、全面公開すべきだと考えた。
⇒2014年5月22日 (木):「吉田調書」を全面開示して真相解明の一歩に/原発事故の真相(114)

その考えは変わっていないし、開示すれば多くの人の目で見た検証が可能になる。
⇒2014年9月 2日 (火):吉田調書を多角的に検証すべき/原発事故の真相(118)

所員が「命令に違反 撤退」したわけではない事実は、現段階で多くの人がすでに知っていることであろう。
「週刊文春」9月18日号は『朝日新聞が死んだ日」という特集である。
特集ではない連載コラムで池上彰さんが「『掲載拒否」で考えたこと」を載せている。
ラストの部分がわが意を得ているので引用する。

 新聞や雑誌に書くより、ネットやツイッターでつぶやいた方が影響力を持つ。そんな時代が来つつあるのでしょうか。となると、週刊新潮さんも週刊文春さんも、安閑としていられませんよ。

問題は、慰安婦記事である。

朝日新聞社の木村伊量社長は会見で、いわゆる「従軍慰安婦」の問題を巡る自社の報道のうち、「慰安婦を強制連行した」とする男性の証言に基づく記事を取り消すまでのいきさつや、国際社会に与えた影響などについて、第三者委員会を設置し検証することを明らかにしたうえで、「誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて、読者の皆様におわび申しあげます」と謝罪しました。
朝日新聞 慰安婦問題検証へ 謝罪も

池上氏のコラムの掲載をしないという判断は、杉浦編集担当取締役だった。

 記者「慰安婦報道について、掲載を最終的に判断されたのか」
 杉浦取締役「池上さんのコラムの一時的な見合わせを判断したのは私です。結果として間違っていたと考えています。社内での議論、多くの社員からの、えー、批判を含めて、えー、最終的に掲載するという判断をしました」
池上コラム掲載見送り「判断したのは私です」 杉浦取締役

朝日新聞にとっては重大なピンチである。
毎日新聞が西山事件によって大きく部数を減らしたことを考えると、同等以上のダメージを受けると考えられる。
朝・毎の2紙凋落して、老害を発揮している読売新聞と、右派であることをはっきり掲げている産経と財界御用達の日経だけがメジャーになると日本の言論にとって大きな不幸であろう。
もっとも、新聞の影響力そのものが、特に若い人にとっては小さくなっているようであるが。

思えば朝日新聞の捏造記事は数が多い。
たとえば、「伊藤律会見記」。Wikipediaから引用する。

1950年9月27日朝日新聞は、同社神戸支局の記者が、当時レッドパージによって団体等規正令違反で逮捕状が出ていて地下に潜伏中だった日本共産党幹部の伊藤律と宝塚市の山林で数分間の会見に成功したと報道した。
会見模様として伊藤の表情が書かれ、記者との一問一答まで紹介されていた。また会見の状況として、記者は目隠しされた上で潜伏先のアジトまで案内されたと説明された。
この会見記事には、伊藤の行方を追っていた警察も重大な関心を寄せることとなった。しかし法務府特別審査局の聴取に対し、取材記者が伊藤律と会見していたとする時刻に旅館にいたことが発覚するなど供述に矛盾が出て、ついに会見記事が完全な虚偽であったことが記者の自白により判明。朝日新聞は3日後の9月30日に社告で謝罪した。
事件の結果、担当記者は退社、神戸支局長は依願退社、大阪本社編集局長は解任となった。担当記者はその後に占領目的阻害行為処罰令違反で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。担当記者は捏造の動機について特ダネを書こうという功名心からと述べた。
出稿前に大阪本社通信部のデスクから信憑性を疑う声が出たが、編集局長は現場の声に押されて掲載を決めた。東京本社ではさらに共産党担当記者から伊藤がインタビューに応じる必然性がないなどの声が出たが、「大阪がそこまでがんばるなら」という声に押されて報道に踏み切った。
朝日新聞縮刷版ではこの記事は非掲載となっており、該当箇所は白紙で、虚偽報道であったと「お断り」告知になっている。
また、昭和(戦後)の三大誤報のひとつとしてあげられる。

私は後に川口信行、 山本博『伊藤律の証言―その時代と謎の軌跡』朝日新聞社(1981年3月)を読んだが、新聞記事をうかつに信用してはいけないという教訓を得た

記憶に残っているのは「朝日新聞珊瑚記事捏造事件」である。
1989年4月20日、朝日新聞夕刊に、「サンゴ汚したKYってだれだ」という見出しと共に、以下のような写真が掲載された。
Ky
サンゴKY事件。

よほどの覚悟で臨まないと朝日は蘇生できないだろう。
優秀な記者がどんどんいなくなってしまう。
普通紙の全国紙が産経と読売だけの社会なぞ、望んではいない。
しっかりしてくれ、朝日。

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2014年9月11日 (木)

ロボット(人工知能)とどう共生していくか?/技術論と文明論(4)

情報の重要性は、大昔から言われてきた。
有名な『孫子』にも次のような言葉がある。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず

敵についても味方についても情勢をしっかり把握していれば、幾度戦っても敗れることはないという意味で、情報戦略の重要性を説いていると理解できる。

ヒト、モノ、カネに加えて、経営資源として情報の重要性が言われるようになったのは、コンピュータが情報技術(IT)として企業経営に適用されるようになった1980年代のことである。
特に最近はビッグデータということが盛んに言われ、データ活用の戦国時代のようである。
⇒2013年7月 5日 (金):ビッグデータ・ブームは本物か/知的生産の方法(66)

ビッグデータブームの背景には、IT、とりわけ人工知能分野の発展がある。
アメリカのIBMも今後の重点投資分野として、人工知能にシフトするということである。
Ws000000
日本経済新聞9月10日

人工知能で思い浮かぶのは将棋ソフトである。
第1回は、2012年1月14日、日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖(68)とコンピューター将棋ソフト「ボンクラーズ」が対局し、米長永世棋聖が113手で投了した。
第2、3回は棋士チームとの団体戦で行われ、ソフトが勝利した。
⇒2014年4月27日 (日):電王戦の結果と2045年問題/知的生産の方法(93)

すなわち、過去3回とも人間が敗れているのである。
人工知能にしても、得意な分野と苦手な分野があるはずである。
たとえば、訴訟などで社内に蓄積されている膨大なデータから開示に必要な情報を抽出するなどの作業は、人手だと50時間かかる作業が1分間に短縮されるという。

人工知能の開発史は下図のような経緯を辿ってきた。
Ws000001
東京新聞9月5日

国立情報学研究所の新井紀子教授らによる「ロボットは東大に入れるか(Todai Robot Project)」プロジェクトは、東大に入れるロボットを製作すること自体が目標ではなく、人間とロボットの棲み分けたを探求している。
⇒2014年1月19日 (日):ロボットが東大に入る日/知的生産の方法(78)
ロボット(人工知能)は、確実にホワイトカラーの仕事を浸食しつつある。
ロボットの学力向上は急速である。

東大入試など楽勝というレベルに達するのも時間の問題である。
そのとき、教育はどうあるべきか?
人間はどういう仕事をしているか?
「キレ」の思考と「コク」の思考は1つのヒントになるのではないかと思う。
⇒2013年2月 2日 (土):センター試験問題の「コク」と「キレ」/知的生産の方法(34)
⇒2013年1月21日 (月):「コク」の思考と『「いき」の構造』/知的生産の方法(31)

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2014年9月10日 (水)

昭和天皇実録の公開と検証の課題/日本の針路(40)

宮内庁はが9日、昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」を公開した。
私は寺崎英成、 マリコ・テラサキミラー 昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』文藝春秋(1991年3月)を手にしたことがあるが、今回の「実録」は正史という位置づけのものであろう。
正史であるが故の限界もあるだろうが、今後第一級の史料として活用されるものと思われる。

正史が100%信用できないことは、『日本書紀』からしてそうであったのだが、稗史を多面的に活用して検証すればいい。
ちなみに明治以降に作成された「実録」には以下のようなものがある。
Ws000001
昭和天皇実録 出典、曖昧さ残す

私も個人的には終戦の経緯や「2.26事件」の経緯など多くのことに関心があるが、その1つとして靖国神社参拝に関する「富田メモ」の問題がある。
富田メモについて、Wikipediaから抜粋する。

日本経済新聞2006年7月20日朝刊第1面トップで「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感」という見出しでメモの内容を報じるとともに、メモの写真の一部を公開した(経済関連の重要ニュースを通常一面トップを基本とする同社では異例の対応であった)。その中で、昭和天皇が第二次世界大戦のA級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示したという内容が注目された。各報道機関・番組も、この記事を大きく報道した。

いわゆる右派はA級戦犯合祀原因説にこぞって反対した。

  • ・大原康男:メモが事実であったとしても昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示していたとは言えない
    ・百地章:非公式のメモをA級戦犯分祀論に結びつけるのは、天皇の政治利用になりかねない
    ・上坂冬子:昭和天皇の意思明確にと新聞に書かれていたが、これは早とちり
  • ・櫻井よしこ:メモの内容には天皇の真意が反映されているかどうか不明
  • ・若狭和朋:メモについて「ちょっとタチの良くない冗談だ」とした

    今回の「実録」で、天皇が靖国神社に参拝しないのは、A級戦犯の合祀が理由だと天皇自身が話したとする富田メモと符合することが分かったという。
    メモの中身には触れていないが、その存在と内容を報じた日本経済新聞の報道があったことをあえて記述した上、メモを出典として明示していることなどから実質的にメモの中身を追認したと受け止められる
  • 1988(昭和63)年4月28日に、同日午前、皇居・吹上御所で富田長官と面会したことが記され、「靖国神社におけるいわゆるA級戦犯の合祀、御参拝について述べられる」とある。
    内容の詳細は書かれていないが、続けて「なお、平成18年には、富田長官のメモとされる資料について『日本経済新聞』が報道する」と記載されていた。
    なお宮内庁は、実録の説明の中で「社会的な反響、影響が大きかったことから報道があったという事実を掲載した」と述べ、「メモの解釈はさまざまで、A級戦犯合祀と昭和天皇の靖国神社不参拝をとらえた富田メモや報道内容を是認したわけではない」としている。
    しかし実録は、天皇の動静を記述する依拠史料として、富田メモを約180回にわたり多用しており、史料としての価値を認めている。

    また、毎日新聞は、国政に関わる人物が天皇と1対1やごく少人数の場で会話したとみられる記載を集計している。
    時代ごとの「天皇と国政」の距離・影響が分かるのではないか、という仮説である。
    Ws000000
    昭和天皇実録:元首から象徴へ…面談者の数に役割変化反映

    戦争の進行と共に軍幹部との面談が激増し、1847(昭和22)年の新憲法施行を機に政治家や官僚の面談が激減したことが具体的データで裏付けられた。
    一方、「象徴」となった戦後も国際関係などに関わる重要な時期に政治家らの面談が多くなる傾向がうかがえた。

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    2014年9月 9日 (火)

    デング熱の感染拡大とウイルスの正体/日本の針路(39)

    デング熱のニュースが続いている。
    とうとう静岡県でも感染者が見つかった。

     東京都内を中心に国内感染が広がるデング熱で、静岡県疾病対策課は8日、県東部に住む50代の男性からデング熱の感染が確認されたと発表した。男性は8月30日に1人で代々木公園(東京都渋谷区)を訪れており、最近の海外渡航歴はないため公園付近で感染したとみられる。県内でデング熱の感染者が確認されたのは初めて。
     同課によると、男性は今月5日に38度以上の発熱や頭痛などの症状が表れ、自宅近くの医療機関で受診。8日になっても熱が下がらなかったため、再び同じ医療機関で受診していた。男性は胸部や腹部などに発疹がみられ、「代々木公園でトイレを利用した」「公園内で蚊に刺されたかもしれない」と話したため血液検査をしたところ、デング熱の感染が確認された。
    静岡県東部在住の男性も感染 8月末、代々木公園に…

    デング熱という名前は聞いたことがあるが、国内での感染例を聞いたのは初めてである。

    発熱・頭痛・筋肉痛・関節痛、はしかの症状に似た特徴的な皮膚発疹などが主要な症状である。
    治療方法は対症療法が主体である。
    主な媒介生物はヤブカ属の中でも特にネッタイシマカやヒトスジシマカなどの蚊である。
    Photo
    デング熱

    厚労省や東京都は、感染が広がらないように封じ込めをはかっている。
    140907
    東京新聞9月7日

    東京都が8月26日~27日に代々木公園内で採取した蚊のサンプル調査では、デングウイルスが陰性だったことから、一部区域の殺虫駆除などの対応にとどまっていた。
    しかし、9月4日の調査では、捕獲した蚊のうち園内4カ所で陽性反応が検出され、その園内の広範囲に及んだため、都は、公園の8割に当たるエリアを閉鎖した。
    しかし、封じ込めという意味では手遅れだったかも知れない。

    原因とされる病原体のウイルスとはどのようなものか?
    ウイルスは、生物と無生物の中間的存在である。
    すなわち、ウイルスは細胞を構成単位としないが、遺伝子を有し、他の生物の細胞を利用して増殖できる。
    感染して宿主の恒常性に影響を及ぼすのが病原体ということになる。

    ウイルスの正体はまだ分かっていないことが多い。
    140829_2
    日本経済新聞8月29日

    進化史の上でも興味深いものである。
    ウイルスの科学の進展に期待したい。

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    2014年9月 8日 (月)

    御殿場二岡神社と村岡花子/富士山アラカルト(10)

    御殿場市の東名御殿場ICの近くに、二の岡という場所がある。
    東海の軽井沢と称する避暑地である。
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    そこに二岡神社があるが、『花子とアン』で人気の村岡花子との縁が話題になっている。
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    黒澤明監督の『椿三十郎』のトップシーンの社殿で使われ、北野武監督『座頭市』にも使われたたという雰囲気のあるロケ地である。
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    境内にこの地方最古という石灯篭がある。
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    村岡花子が二の岡を訪ねたのは大正5、6年の2年で、23、24歳の頃だという。
    女性実業家の広岡浅子に招かれてである。
    浅子は、鉱山事業を経営し、日本女子大の創立に尽力した女性である。

    花子は、『夏のおもいで』の中で、次のように書いている。

    二の岡で過ごした二夏は私の後年の生活をある程度決定したともいえる。
    ・・・・・・
    その二岡神社の森で私もほとんど講義以外の時間を過ごした。

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    講義というのは、広岡家が別荘を開放して開いていた夏期講習会のことである。
    講習会には、婦人活動家の市川房枝も参加していた。
    二岡神社の森は境内の南側にある、子之神川(宮川)の川辺が特にお気に入りだったという。

    社務所(宮司の内海家?)の門に、「村岡花子と『赤毛のアン』の世界」展(弥生美術館)のポスターが貼ってあった。
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    2014年9月 7日 (日)

    三段階論という方法④宇野弘蔵の経済学方法論/知的生産の方法(102)

    三段階論と呼ばれる方法について、以下の3つについて紹介した。
    ⇒2013年8月11日 (日):三段階論という方法①武谷三男の科学的認識の発展論/知的生産の方法(71)
    ⇒2013年8月13日 (火):三段階論という方法②菊竹清訓の設計の論理/知的生産の方法(72)
    ⇒2013年8月21日 (水):三段階論という方法③庄司和晃の認識の発展過程論/知的生産の方法(73)

    この他に有名な三段階論として、宇野弘蔵の経済学方法論があることは知っていた。
    しかし、その内容について余りにも無知であることから、もう少し馴染んでからにしようと思っていた。
    1年余り経って、佐藤優『いま生きる「資本論」』新潮社(2014年7月)がほとんど宇野弘蔵をベースとした『資本論』入門であること、今後経済学と格闘することはないだろうと見切って宇野三段階論について書く。

    宇野弘蔵は、日本のマルクス経済学者の中でも特に影響力の大きな1人であった。
    彼の研究を継承する学派は宇野学派と称されたが、新左翼や社会主義協会に影響を与えた。
    私の学生時代には、かなり広い影響力を持っていたはずであるが、工学部だった私の周辺で宇野経済学に傾倒していた人間は皆無である。
    1977年2月22日に80歳で亡くなった。

    略歴をWikipediaから抜粋すれば下記のようである。

    1921年、東京帝国大学経済学部卒業。大原社会問題研究所入所。
    1924年、東北帝国大学法文学部経済学部(経済政策論)助教授。
    1938年、人民戦線事件に連座し逮捕されるも、後に無罪となる。
    1941年、東北帝国大を辞職し、財団法人日本貿易振興協会日本貿易研究所入所。
    1944年、三菱経済研究所入所。
    1947年、東京帝国大学社会科学研究所教授。
    1954年、経済学博士(東京大学)。
    1958年、東京大学を定年退官し、法政大学社会学部教授に就任、1968年まで務めた。

    宇野弘蔵の経済学は、1930年代の講座派と労農派の「日本資本主義論争」の止揚を試みることにより、その基礎を打ち立てたとされる。
    日本資本主義論争については、Wikipediaでは以下のように説明している。

    日本資本主義論争は日本共産党の32年テーゼに基づいた『日本資本主義発達史講座』(1932年5月から1933年8月)の刊行を機に起こった。共産党系の講座派は、明治維新後の日本を絶対主義国家と規定し、まず民主主義革命が必要であると論じた(「二段階革命論」)。これに対し、労農派は明治維新をブルジョア革命、維新後の日本を近代資本主義国家と規定し、社会主義革命を主張した。この論争によって、近代日本の本質規定をめぐって理解が深まり、「封建論争」「地代論争」「新地主論争」「マニュファクチュア論争」などの多くの小論争を引き起こした。しかし、明確な解決を得ぬままに弾圧により中断することになった。ただし、多くの論争点は第二次世界大戦後に引き継がれることになった。

    佐藤優氏は、『いま生きる「資本論」』で以下のように解説している。
    ロシア革命を経て1930年代になると、国家と資本が一体化してきた。
    そこで重要なことは、ファシズムの到来を阻止することである。
    労農派はそう考えて、反ファッショ共(協)同戦線を作るべきだと考えた。

    一方、講座派は、日本はまだ遅れた資本主義国で、ファシズムは帝国主義段階に達した国家と財閥が結びついて起きるものだ。
    先ず天皇制を打倒して、それから資本主義がある程度発達したら、財閥を打倒することを考えるべきで、労農派は天皇制打倒という課題から労働者を逸らす裏切り者だ、と批判した。

    そうこうするうちに、1936年の「コム・アカデミー事件」で講座派が壊滅状態になり、ついで1937年から38年の人民戦線事件で労農派が一斉検挙を受けると、議論も不可能となり、論争は終焉した。
    講座派からは、佐野学・鍋山貞親のように、多くの転向者が出た。

    佐野と鍋山の「共同被告同志に告ぐる書」のついて、Wikipediaは以下のように解説している。

    佐野学と鍋山貞親は検挙後、共産主義に疑念を抱くようになった。そこで検察は二人を対面させて議論させた。議論を通じて両者の見解は一致し、1933年6月10日に「共同被告同志に告ぐる書」と題する声明書を公表した。既に獄中にあった党員に対しても、刑務所を通じて彼らの転向声明書が配布された。
    この声明書の効果は絶大で、一ヶ月もしないうちに幹部の高橋貞樹・三田村四郎・中尾勝男・風間丈吉・田中清玄が転向、学者の河上肇も転向宣言をし、以降雪崩を打ったかのように転向が相次いだ。転向せずに終戦を迎えたのは宮本顕治など少数のみであった。

    いま生きる「資本論」』では、「日本の特殊な型の中にいて、天皇のもとにおいて、その上で資本家の横暴を抑える革命はできるはずだ」と、一国社会主義運動を唱え始め、獄中の多くの共産党員が賛同して行ったと説明している。
    もちろん、小林多喜二の虐殺のような凄惨なこともあったが、必ずしも全部がそういうわけではなかったようだ。

    宇野弘蔵の三段階論について、Wikipedia では以下のように解説している。

    宇野は経済学の研究を原理論・段階論・現状分析という三つの段階に分けた。原理論は論理的に構成された純粋な形での資本主義経済の法則を解明し、段階論は資本主義経済の歴史的な発展段階を把握し、現状分析では原理論や段階論の研究成果を前提として現実の資本主義経済を分析するものとした。この三段階論により、マルクスの『資本論』は原理論、レーニンの『帝国主義論』は段階論に属する著作として位置づけられ、資本主義経済が19世紀の自由主義段階から20世紀の帝国主義段階に移行しても『資本論』は原理論としての有効性を失わない、とされた。

    現実の資本主義の態様はさまざまである。
    歴史的、地理的に個別的で多様性がある。
    資本主義一般を解明する抽象理論としての一般理論は、時間と空間を超えた資本主義の原理像を解明するものである。
    その原理論と多様な現実を架橋するものが、段階論であるといえよう。

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    2014年9月 6日 (土)

    全国学力テストの意義と公表の仕方/日本の針路(38)

    全国学力テストの結果公表について、川勝静岡県知事がとった措置が話題になっている。
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    東京新聞9月5日

    川勝知事は、昨年に続き小6国語Aの全国平均以上の学校長名の公表に加え、新たに市町別平均正答率を公表する事態に至った。
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    <小6結果>知事、校長名と市町別正答率を公表

    文部科学省は、平均正答率を一覧表にすることなども認めておらず、川勝平太知事のやり方は「二重のルール違反」としている。
    文科省ははこれまで市町村別・学校別の成績公表を禁じてきたが、一部自治体の要望に押される形で解禁した。
    市町村教委は学校別を公表でき、都道府県教委も市町村教委の同意があれば、市町村別と学校別を公表できるようになった。
    ただ公表する場合、平均正答率などの数値だけでなく、結果の分析や改善策も一緒に公表するよう定め、一覧表や順位付けも禁じた。

    私は学校現場の事情に疎いが、知り合いの退職した教諭がひどく感情的に川勝知事に反発しているのが印象的だった。
    もう選挙では絶対に応援しない・・・

    そもそも全国学力テストは何の目的で実施するのであろうか?
    Wikipediaの説明は以下のようである。

    全国学力テストは「全国中学校一斉学力調査」として1960年代にも行われた(このときは「学テ」と呼ばれていた)。しかし、学校や地域間の競争が過熱したことにより、1964年をもって全員調査を中止した。だが、近年、学力低下が問題視され、文部科学省は2007年に(小中学校にとっては)43年ぶりに全員調査を復活させた(自治体によっては以前より独自に学力調査を行っているところもある)。
    基本的にすべての小中学校が参加するが、2007年は愛知県犬山市教育委員会は、市長や保護者の一部の参加意向を振り切り、「競争原理の導入になる」という理由で市立の全小中学校で参加を見送った。

    静岡県の学校現場の声としては以下のようなものがある。

     学校現場も13年度の校長名公表に続き、波紋が広がった。県校長会長の渡辺勉沼津原小校長は「学力テストは結果を授業改善に結び付けるのが本来の意味。市町間のおかしな競争意識や序列化につながることを恐れる」と懸念し、「知事と教育界の対立構図にせず、オール静岡で力を合わせて学校教育を考えていくことが必要だ」と求めた。
    <小6結果>同意なき公表に波紋

    文科省の市町村別・学校別の成績公表の禁止というのは、学校や地域間の競争が過熱するから、ということであろう。
    しかし、川勝知事が言うように、国は都道府県別の平均正答率を科目別に出している。
    都道府県別はOKで、市町別はNGなのか?
    エリアの広狭以外に理由は見出しがたい。
    ダブルスタンダードという批判も理解できる。

    私は、学校長は管理者であり、学校別の学力の維持向上の責任者であるから、学校別のデータを公表するならば、校長の氏名も公表して不都合はないと考える。
    現実に去年と比べて静岡県の小6国語Aの成績は向上した。
    知事が確信犯的に公表に踏み切らなかったらどうだっただろうか?
    ⇒2013年9月12日 (木):全国学力テスト静岡県の乱/花づな列島復興のためのメモ
    ⇒2014年8月29日 (金):全国学力テストの結果をどう見るか?/日本の針路(31)

    ただ、学力テストの点数を絶対視するのはどうか。
    学力テストは学力の一部を反映しているに過ぎず、学力は子供の能力の一部に過ぎない。
    大前提として、その辺りの認識がなければならないであろう。

    それに、知事と教育界が対立しているように見えるのは、子供たちの目にはどう映っているのだろうか?
    また、川勝知事の発言にスタンドプレーの匂いがするのは、学者知事が故の功名心が見え隠れしているからであろうか?

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    2014年9月 5日 (金)

    朝日新聞の池上彰氏のコラム掲載騒動/日本の針路(37)

    従軍慰安婦問題についての朝日新聞の対応が論議を呼んでいる。
    ⇒2014年8月22日 (金):続・朝日新聞社はどうなっているのか?/ブランド・企業論(30)
    私はすでに朝日新聞の定期購読はやめているので、朝日の記事を読んでいるわけではないし、朝日の誤報問題は今に始まったことではないと考えているので、正直それほどの関心があったわけではない。
    朝日新聞の論説が私の感覚とは異なるのは、たとえば消費税増税や大飯原発再稼働に対するスタンスである。

    私は、消費税増税や大飯原発再稼働に対する賛否でポジショニングすれば、当時の野田政権と対極に位置していた。
    残念ながら民主党の公約破りによって、消費税増税法案は可決され、施行されている。
    10%とすることもすでに決まっていて、スケジュールの問題だけである。
    朝日新聞は、実行不能な公約を決めた小沢前代表に非があるのだと言っているが、これを詭弁と言わずして何を・・・。
    ⇒2012年6月28日 (木):戦い(消費増税法案、東電株主総会)済んで、日が暮れて/花づな列島復興のためのメモ(96)

    小沢氏らは新党・「国民の生活が第一」を結党し、綱領に「自立と共生」を謳い、脱原発と反増税を掲げた。
    「国民の生活が第一」は、マスメディアの小沢タタキなどにより衰勢となり、それまで一貫して小沢と行動を共にしてきた岩手の地方議員及び後援団体の大規模な離脱などを招いた。
    総選挙に際しては、解党して卒原発を掲げた嘉田由紀子氏らの「日本未来の党」に合流したが、総選挙後嘉田氏らが離脱して「生活の党」に改称した。
    結果として、存在感を失ったことは否めなないが、政策の一貫性は維持していることが、状況追随的な民主党とは差異がある。
    一連の流れの中で、「一強多弱・政高党低」という現在の政治状況が生み出された。

    この流れに、朝日新聞の論説がどの程度の影響力があったのかは不明であるが、昔の朝日新聞はもっと矜持があったのではなかろうか。
    というような言い方は、老化を示すものだと言われるが、オピニオンリーダーとして輝いていたのは事実であろう。
    ⇒2012年7月12日 (木):民自公翼賛体制と朝日新聞の変質/花づな列島復興のためのメモ(108)
    ⇒2013年10月14日 (月):朝日新聞社はどうなっているのか?/ブランド・企業論(3)

    今度は、池上彰氏のコラムをめぐっての騒動である。
    池上氏については、分かりやすいニュース解説に定評があり、啓蒙書も多い。
    ⇒2014年2月 8日 (土):池上彰氏の解説する城南信金理事長吉原毅氏の脱原発論/原発事故の真相(104)

    佐藤優氏は、『いま生きる「資本論」』新潮社(2014年7月)の中で、池上氏のことを労農派的と評していた。
    労農派は、日本資本主義論争において講座派と対立した非日本共産党系マルクス主義者集団であるが、私は池上氏を良識派ではないかと思う。
    マルクス主義者だという印象はなかったので、記憶に残っている。
    ⇒2014年8月18日 (月):実質GDPが前期比年率マイナス6.8%/アベノミクスの危うさ(37)

    池上氏のコラム問題は以下のような形で始まった。

     ジャーナリストの池上彰氏が朝日新聞に連載しているコラムで、同紙による従軍慰安婦報道の検証記事を取り上げようとしたところ、掲載を断られていたことが3日、池上氏への取材で分かった。池上氏は連載の打ち切りを申し入れた。
     コラムは「池上彰の新聞ななめ読み」。毎月1回、朝日を含む各紙の報道ぶりをテーマを絞って読み比べ、内容を論評している。池上氏によると、8月分として掲載予定だった原稿で、朝日が慰安婦報道を検証した特集(8月5、6両日掲載)に言及したところ、朝日側から「掲載できない」と通告されたという。
     池上氏は「これまで、いつも自由に書かせてもらっていたが、今回に限って『掲載できない』と言われた。それでは信頼関係が崩れると考え、打ち切りを申し入れた」としている。
     朝日新聞社広報部は「連載中止を正式に決めたわけではない。今後も池上氏と誠意をもって話し合う」とするコメントを出した。
    池上彰氏、朝日新聞に連載中止申し入れ 慰安婦記事の掲載断られ

    これに対し、朝日新聞は、世間の批判に抗しきれなかったのであろう。
    結局次のような対応をとった。

     朝日新聞が8月初めに掲載した過去の慰安婦報道に対する特集記事について、池上彰さんがコラム「新聞ななめ読み」で取り上げました。本社はいったん、このコラムの掲載を見合わせましたが、適切ではありませんでした。池上さんと読者の皆様におわびして、掲載します。
    <お知らせ>池上さんコラム、掲載します

    池上氏のコメントは以下のようであった。

    私はいま、「過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ」という言葉を思い出しています。今回の掲載見合わせについて、朝日新聞が判断の誤りを認め、改めて掲載したいとの申し入れを受けました。過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました。

    池上氏の対応は、オトナということであろうが、そもそも朝日新聞はなぜ掲載拒否のような愚行にでたのであろうか?
    一般の会社の場合、たとえば自社製品に対するクレームは改善のチャンスと捉えよ、とされる。
    社会の木鐸を自認するものとして、批判されることに耐え難かったのであろうか?

    週刊誌や産経、読売等のライバル誌・紙の批判のボルテージは上がる一方のようであるが、「そんなに張り切っていいの?」と冷水をかけておきたい。

     最近の身の回りで強まる表現活動や言論空間を制限する動きは見過ごせない。
     さいたま市大宮区の三橋公民館は、市民が「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ俳句を月報に載せなかった。 東京都国分寺市では十一月に開かれる国分寺まつりに、市民団体の「国分寺9条の会」や「バイバイ原発/国分寺の会」の参加が認められなかった。
     多様な考えが民主主義を強くする。異論や反論を排除せず、熟慮する場がつくられるべきだ。
    池上コラム問題 言論を大切にしたい 

    言論を大切にしないと歴史を繰り返すことになる。
    ⇒2014年7月 5日 (土):さいたま公民館の俳句掲載拒否と新興俳句事件/日本の針路(4)
    ⇒2014年7月31日 (木):「九条俳句」とさいたま市教育長批判/日本の針路(16)
    ⇒2014年8月31日 (日):ヘイトスピーチを国会デモ規制に短絡させる思考/日本の針路(33)

    一度目は悲劇としてであるが、二度目は喜劇としてである。
    ⇒2014年6月 7日 (土):今こそ必要な『暗黒日記』のクリティカル思考/知的生産の方法(96)
    ⇒2014年9月 4日 (木):改造安倍内閣、2度目は喜劇にならぬように/日本の針路(36)

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    2014年9月 4日 (木)

    改造安倍内閣、2度目は喜劇にならぬように/日本の針路(36)

    第2次安倍政権の改造内閣が発足した。
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    静岡新聞9月4日

    課題は山積している。
    しかも、必ずしも民意に沿った政権運営とは言いがたい。
    国民の「知る権利」を脅かす特定秘密保護法の成立の際には、「憲法解釈の最高責任者は私だ」と発言した。
    あたかも独裁権力を与えられたかのような物言いである。
    また、集団的自衛権について、一内閣の閣議決定で憲法解釈を変更するという立憲主義とは相容れない発言をした。

    もはや安倍首相の頭の中には、主権者は国民だという意識が消えているとしか思えない。

    私は、第1次安倍政権のとき、安倍首相が突然の体調不良で辞任表明をしたのを思い出す。
    このブログを書き始めて間もない頃だった。
    ⇒2007年9月13日 (木):安倍辞任をめぐって

    いくら体調が悪かったと言っても、今思い返しても、無責任ではないかと思う。
    私の知人には「安倍さんって、都合が悪くなると『「ぽんぽんがいたいいたい』になっちゃうような人だものねえ」と揶揄する人もいるが、まあ病気のことは言うまい。
    しかし、直前の
    参院選では、「総理に相応しいのは、(民主党党首の)小沢さんか、(自民党党首の)私か?」と二者択一的に問いながら、選挙で大敗すると、「政権選択の選挙ではないから」と言って民意の動向を無視する。

    外遊先で、「『テロ対策特措法』の延長に職を賭す」と自ら退路を断った上で、国会の本会議で「ここで撤退し、国際社会における責任を放棄して本当にいいのだろうか」と所信表明した直後である。
    この人の言うことは信用できないと考える方が自然である。
    それが政権交代の遠因になったはずであるが、交代した民主党がお粗末だったため、ゾンビのごとく復活した。

    安倍首相のにこやかな会見を見ていて、田中宇氏が「悲劇から喜劇への米国の中東支配」というニュース解説(2013年6月25日)で、次のように書いているのを思い出さざるを得なかった。

     「歴史は繰り返す。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」という格言がある。ヘーゲルが、弁証法的な歴史の繰り返しを指摘したのに追加して、マルクスが、フランス革命を例にとり、歴史が繰り返すとしたら1度目は悲劇として、2度目は喜劇としてだと書いた。この格言は、911から今までの米国の中東戦略を表現するためにも適している。

    第1次安倍政権が悲劇だったか喜劇だったかは分からないが、再び繰り返す愚は避けてもらいたい。

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    2014年9月 3日 (水)

    改造安倍内閣に見る自民党と民主党の人事力の差/日本の針路(35)

    安倍改造内閣の陣容と自民党の役員人事が決まった。

     自民党は3日午前、内閣改造に先立ち、党本部で臨時総務会を開き、党の役員人事を決定した。今回の人事で最大の焦点となった石破茂前幹事長の後任に、谷垣禎一法相(69)が就任し、新四役が誕生した。
     総裁経験者の幹事長就任は初めて。首相は総務会長に重鎮の二階俊博衆院予算委員長(75)を起用する一方、政調会長に衆院当選3回の稲田朋美行政改革担当相(55)を抜てき。選対委員長に茂木敏充経済産業相(58)を充てた。選対委員長を選対局長に格下げし、従来の党三役体制に戻すことも検討したが、四役のままとした。
    自民党:「首相のもとで結束」谷垣・新幹事長が強調

    焦点だった幹事長人事は、谷垣禎一氏というサプライズである。
    TYでは、自分でも予期していなかったと語っていた。
    野党として野田政権に協力して消費税増税の道筋を描いた当人であるので、増税路線ということであろう。

    石破氏は幹事長に固執する気配を見せて、党内の評判を落とした。
    結局閣内に取り込まれ、座敷牢に入れられたも同然である。
    「地方創生担当」ということだが、誰がやっても一筋縄ではいかないだろう。

    幹事長は野戦に強い人が就くポジションというイメージがあり、公家集団とも言われる宏池会の流れを代表する谷垣氏の起用は意外感がある。
    しかも、元総裁の幹事長は初めてということだ。
    安倍首相は今回の人事で、長期政権を視野に布陣を敷いたと見られる。
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    安倍改造内閣の閣僚名簿を発表 自民党役員人事も決定

    今回の人事では、来春の統一地方選と来秋の党総裁選を乗り切るための挙党態勢の構築と公明党との連携強化が狙いと言えよう。
    つまり、自民党のための人事である。
    滋賀県知事選で負けているので、福島県知事選と沖縄県知事選は必勝であり、統一選後には集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案の審議も本格化する。
    公明党との協力が不可欠となるが、谷垣新幹事長は民主党政権時代、党総裁として公明党の山口那津男代表と良好な関係を維持してきた。

    安倍首相は、幹事長交代という一石で二鳥を得たような感じである。
    人事はマネジメントの要諦だと言われるが、この辺りが自民党と民主党の大きな違いではなかろうか。
    たとえば野田政権の時の人事を振り返ってみよう。

    内閣の要の官房長官は藤村修氏だった。
    藤村氏は一般に知られていない政治家だったと言えよう。
    少なくとも私にとっては「Who?」という感じであった。
    大阪市生まれで広島大学工学部経営工学科卒業。
    大学在籍時に交通事故遺児の作文を読んだことをきっかけに交通遺児育英会の活動にボランティアで参加するようになり、大学卒業後、交通遺児育英会の職員を経てあしなが育英会顧問・評議員、社団法人日本ブラジル交流協会理事長を務めた。

    1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧大阪3区から日本新党公認で出馬し、新党ブームに乗ってトップ当選した。
    新進党などを経て、1998年の民主党結成に加わった。
    2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で落選し、2013年10月2日に政界からの引退を表明した。
    生来真面目な人柄を窺わせるが、官房長官に必要な「軍師」という感じはしない。
    ⇒2014年1月 4日 (土):現代軍師論/花づな列島復興のためのメモ(288)

    幹事長は輿石東。
    韮崎市出身で、都留市立都留短期大学(現:都留文科大学)初等教育科卒業。
    支持基盤の日本教職員組合(日教組)を背景に、1990年の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で山梨県全県区から出馬し、初当選した。
    社会民主党、旧民主党を経て、民主党へ移行。次第に政治的影響力を増大させていき、小沢、菅、鳩山のトロイカに並ぶ実力者になった。

    野田氏により党幹事長に起用されたのは、挙党態勢・党内融和を優先させる狙いがあるとされているが、参議院議員の幹事長起用は、民主党はもちろん自民党でも例がなかった。
    経歴からも窺えることだが、風貌からしても、あるいは言動でも、寝業師というべき存在だった。
    選挙の責任者であり、大衆的な支持が必要な幹事長には「?」を付せざるを得ない。

    安倍-菅-谷垣と野田-藤村-輿石を比べてみれば、もちろん直接本人たちを知っているわけではないが、政治的な力量や人間としての魅力において、民主党の劣位は否定できないと思われる。
    私は自民党批判派であり、政権交代に大いに期待した1人であるが、人事力という面で見ても、民主党は政権を担う準備ができていなかったと総括せざるを得ない。
    2012年12月の解散総選挙には、輿石氏が最後まで反対だったと言われ、野田首相(民主党代表)と輿石幹事長の息が合っていなかった。
    大敗するのも当然だったと言えよう。

    改装した安倍政権はどうだろうか?
    支持率の推移は下図のようである。
    Ws000000
    東京新聞9月3日

    近年の政権の中では、高支持率で推移してきたと言って良い。
    しかし頼みのアベノミクスが不透明になりつつある。
    消費税増税による日本経済への影響が、大きく顕在化しつつあるように見受けられる。

     マスメディアの報道からはわかりにくいが、今回のGDP速報以前にも4月の増税以降、経済指標の悪化は続いていた。実質賃金のうち固定給となる「きまって支給する給与」は3カ月連続の▲3%台。消費者に実際の納税義務が発生しない以上(納税者は事業者)、消費税は税金というよりも政府による物価上昇統制となる側面がある。消費税で物価が3%上がる中で賃金が上昇しなければ、実質の手取りは増税分がそのまま下がる。所得が上がらなければ、GDPの6割を占める民間消費に回るとは考えにくい。駆け込み需要によって3月の消費支出が39年ぶりの前年同月比7.2%増となったとは華々しく伝えられても、4月は東日本大震災の発生した11年3月(▲8.2%)以来、3年1カ月ぶりの大幅下落▲4.6%、5月は過去33年間でワースト2位の▲8.0%という数字については報道では影を潜めてしまう。
     さらに、GDPの2割弱を占め民間の設備投資の先行指標とされる機械受注(船舶・電力を除く民需)は、4月が▲9.1%。5月は▲19.5%とリーマンショック時をはるかに超える過去最大の減少幅だったのは周知の通り。これではGDPの事前予想も下方修正せざるをえない。これだけ悪い指標が続けば、15年10月の10%増税にひた走ることは不可能だ。本来こうした予想は増税前にすべきもの。専門家がバイアス抜きの主張ができない、あるいは主張をしてもかき消される現状が日本社会の構造の中にあるとすれば、適正な経済政策の運営は難しい。
    GDP急落。本当は悪化している日本経済

    消費税増税もさることながら、資本主義の終焉をも視野に入れなければならない様相もある。
    『資本論』関連の書籍が陸続と発刊されているのは、資本主義の幾詰まり感があるからではないか。
    ⇒2014年8月23日 (土):消費増税と景気対策/アベノミクスの危うさ(38)
    たとえば、目についたものだけでもつぎのような解説本が出版されている。
    ・佐藤優『いま生きる「資本論』新潮社(2014年7月)
    ・木暮太一『超入門 資本論』ダイヤモンド社(2014年5月)
    ・池上彰『池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論
      集英社(2009年6月)

    アベノミクスには、このような大局的な視点が欠けているように思われる。
    安倍政権が、近来にない長期政権になるか、はたまた波乱の時を迎えるか、間もなくはっきりするだろう。

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    2014年9月 2日 (火)

    吉田調書を多角的に検証すべき/原発事故の真相(118)

    東京電力福島第一原発事故をめぐる吉田昌郎元所長から当時の状況を聞いた「聴取結果書(吉田調書)」の全容が8月30日判明した。
    140831
    静岡新聞8月31日

     日付が15日に変わる頃、免震重要棟の1階出入り口付近には数百人の所員が待機していた。明け方、吉田所長らが指揮を執る2階の緊急時対策室から人が下りてきて、退避命令を伝えた。免震重要棟の重い二重扉が開き、所員らはバスや自家用車で第2原発へ向かった。だが、2時間ほど仮眠を取った後、上司に起こされ第1原発に戻ってくれと言われた。4号機で火災が発生し、人員が必要だという。同僚が戻ると言うので一緒に従わざるをえなかった。
     「生きて帰りたい」と願う一方、「吉田所長が頑張っている間は自分も折れるわけにはいかない」とも思った。緊急時対策室でのテレビ会議で、本店の幹部に食ってかかる姿を何度も見かけた。半面、たまに資料を渡しに行くと、若い所員にも気さくに話しかけてくれるのがうれしかった。
     しかし今年5月、朝日新聞に「吉田所長の命令に違反して撤退した」と書かれた。男性は「当時、退避先が第2原発というのは全員の共通認識だった」と反論。第1原発の構内で退避先を探しても「全面マスクをした状態で何時間もいたら全員死んでいた」と話す。
    Ws000000
    吉田調書判明 戦う所長が支え TV会議、本店に激しく反論 元東電社員、収束作業を証言

    おそらくは、吉田元所長という希有の人材がいたからこそ、被害は最小限に食い止められたのであろう。
    ⇒2013年7月10日 (水):死の淵の人・イチエフ元所長吉田昌郎さん/追悼(31)
    しかし吉田氏自身が「記憶にない」とか「覚えていない」とする箇所も少なくないという。
    極限的状況の中でのことである。
    逐一覚えていられるはずもないだろうと思う。
    吉田調書も、他の人の証言と突き合わせて多角的に検証することが必要と思われる。

    吉田調書は朝日新聞がスクープという形で世に出て、私は当初朝日新聞の大スクープかと思った。
    ⇒2014年5月22日 (木):「吉田調書」を全面開示して真相解明の一歩に/原発事故の真相(114)
    しかし、どうやら信義則に触れるような事情もあるようだ。
    吉田調書について、本人が秘匿扱いを希望しており、その経緯は次のように説明されている。

    朝日新聞が独占スクープとして特集している「吉田調書」について、内閣官房から吉田氏本人の上申書が公開されました。
    この上申書に、政府が吉田調書を秘匿した理由が書いてあります。
    リンク先のPDFを見るとわかると思いますが、この上申書では前後関係がつかみにくい。私も3回読み直してようやく大意を得ました。
    上申書の内容をかいつまんで整理すると、
    ・政府事故調による吉田氏へのヒアリングで吉田調書は作成された。書類は政府事故調が保管している。
    ・国会事故調が吉田氏にヒアリングしたかったが、氏は入院中で出来なかった。
    ・国会事故調はヒアリングの代わりに吉田調書を使わせてもらうことにした。
    ・吉田氏は国会事故調が検証する目的でこれを許可した。
    ・ただし、吉田調書を国会事故調から外部へ漏らさないことを条件とし、それには政府事故調も国会事故調も同意している。
    ということになると思います。
    つまり、この調書を扱ったのは政府事故調と国会事故調だけであり、両委員会はそれを第三者に漏らさない約束を吉田氏と交わしていたことになる。
    両委員会のいずれかに、この約束違反をして朝日新聞の記者に漏らした人がいる。
    吉田調書は朝日新聞の不毛なリークか

    今後の検証の深まりに期待したい。

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    2014年9月 1日 (月)

    日本国憲法第9条と自衛隊/日本の針路(34)

    8月24日に富士総合火力演習が行われた。
    「総火演:そうかえん」と略される演習で、毎年御殿場市の東富士演習場で実施される。
    戦車やヘリコプター、様々な火砲などによる迫力ある実弾射撃が行われ、一般にも公開されるが、入場券は抽選になるなど人気が高い。
    Soukaenn
    富士総合火力演習とは?

    一連の演習にかかる費用は1回3~4億円といわれており、「税金の無駄遣い」との批判もある。
    しかし、この演習で使用される実弾は生産・購入後長期間経過し、用途廃棄直前となったものを使用しているという。
    まあ、経費節約は好ましいが、目的との関係で評価すべきものであろう。

    総火演は、外国武官にも公開されているという。
    手の内を見せるようなもので、プラスマイナス両面があるのだろうが、泥憲和氏のFacebookによれば、特科部隊(砲兵)とそれを支える総合的工業力のレベルの高さは、外国武官を驚倒させるものだという。
    つまり、外国からの進入に対する抑止力になっているということである。
    防衛という観点からは、決してムダではないということだろう。

    ところで、自衛隊は軍隊であるか否か?
    総火演の状況からすれば、軍隊であることを疑い得ない。
    そこで問題になるのは、憲法9条の規定との関係である。
    Kyuujo_500_3
    http://event.kinasse.com/kuma9/kyuujo.html

    自衛隊が「陸海空軍その他の戦力」に該当するか否か議論されたこともあったが、「前項の目的を達するため」という条件に該当しないという解釈が多数派であり、私もそうである。
    「前項の目的を達するため」とは、素直に解釈すれば、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」であろう。
    自衛隊が合憲であるのは、積極的に戦争をしないということが条件ということになる。

    軍隊は戦争をすることが仕事・職務である。
    とすれば、積極的には戦争をすることが求められていない軍隊は自己矛盾か?

    消防は火事を消火する組織である。
    しかし、だからといって積極的に火事を発生させることはない。
    同様に、積極的に戦争を起こそうとするわけではないわけである。

    戦争放棄ということを追求すれば、非武装中立に行き着くだろう。
    しかし、現段階で、非武装路線をとることは現実的とは言えまい。
    国際機関が十分に機能して、他国からの危険性がない段階までは、国を守る武力は必要である。

    軍隊は武力であり、実力で敵を倒すための組織である。
    菅内閣当時、仙谷官房長官が自衛隊のことを暴力装置として批判されたことがあった。
    暴力and/or装置という言葉がイケナイと批判されたわけであるが、軍隊の本質は力により他を圧倒するための組織であるから、暴力装置という表現が間違いだとは思えない。
    ⇒2010年11月20日 (土):仙谷官房長官がまたもや失言?

    自衛隊は、戦わないための軍隊である。
    そのために適度の演習も必要だと考える。
    しかし、他国のために出動することには反対である。
    集団的自衛権同士が衝突すれば、一挙に戦争は世界戦争に拡大するであろう。

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