改造安倍内閣、2度目は喜劇にならぬように/日本の針路(36)
課題は山積している。
しかも、必ずしも民意に沿った政権運営とは言いがたい。
国民の「知る権利」を脅かす特定秘密保護法の成立の際には、「憲法解釈の最高責任者は私だ」と発言した。
あたかも独裁権力を与えられたかのような物言いである。
また、集団的自衛権について、一内閣の閣議決定で憲法解釈を変更するという立憲主義とは相容れない発言をした。
もはや安倍首相の頭の中には、主権者は国民だという意識が消えているとしか思えない。
私は、第1次安倍政権のとき、安倍首相が突然の体調不良で辞任表明をしたのを思い出す。
このブログを書き始めて間もない頃だった。
⇒2007年9月13日 (木):安倍辞任をめぐって
いくら体調が悪かったと言っても、今思い返しても、無責任ではないかと思う。
私の知人には「安倍さんって、都合が悪くなると『「ぽんぽんがいたいいたい』になっちゃうような人だものねえ」と揶揄する人もいるが、まあ病気のことは言うまい。
しかし、直前の参院選では、「総理に相応しいのは、(民主党党首の)小沢さんか、(自民党党首の)私か?」と二者択一的に問いながら、選挙で大敗すると、「政権選択の選挙ではないから」と言って民意の動向を無視する。
外遊先で、「『テロ対策特措法』の延長に職を賭す」と自ら退路を断った上で、国会の本会議で「ここで撤退し、国際社会における責任を放棄して本当にいいのだろうか」と所信表明した直後である。
この人の言うことは信用できないと考える方が自然である。
それが政権交代の遠因になったはずであるが、交代した民主党がお粗末だったため、ゾンビのごとく復活した。
安倍首相のにこやかな会見を見ていて、田中宇氏が「悲劇から喜劇への米国の中東支配」というニュース解説(2013年6月25日)で、次のように書いているのを思い出さざるを得なかった。
「歴史は繰り返す。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」という格言がある。ヘーゲルが、弁証法的な歴史の繰り返しを指摘したのに追加して、マルクスが、フランス革命を例にとり、歴史が繰り返すとしたら1度目は悲劇として、2度目は喜劇としてだと書いた。この格言は、911から今までの米国の中東戦略を表現するためにも適している。
第1次安倍政権が悲劇だったか喜劇だったかは分からないが、再び繰り返す愚は避けてもらいたい。
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