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2014年8月28日 (木)

反戦を貫いた表現者・米倉斉加年/追悼(54)

俳優の米倉斉加年(まさかね)さんが8月26日、福岡市内の病院で死去した。
米倉さんは福岡県出身で、1957年に劇団民芸の演劇研究所に入った。
その後はテレビや映画でも活躍し、後にNHKの大河ドラマ「勝海舟」や映画「男はつらいよ」などにも出演した。
独特の雰囲気を持った 俳優だったが、画家や絵本作家としても活動していた。

私が高校生の頃、労音や労演という勤労者の芸術鑑賞のための組織がアクティブに活動していた。
姉などからチケットをもらい、機会があれば出かけた。
労働者運動の盛衰と同期して、現在はすっかり衰退してしまったようだ。
生でクラシック音楽を聴いたのも、演劇を観たのも労音や労演が最初である。

1961年頃だったのではないかと思うが、沼津労演の公演で米倉さんを知った。
演目が何であったのかは忘れてしまった。
上手なのかどうか良く分からなかったが、印象的な顔立ちと独特のセリフ回しが、変わった名前と共に印象に残った。
名前については、もとの本名は正扶三(まさふみ)だったそうである。
幼い頃に旅の僧侶により「斉加年」と命名されて以降この名を名乗り続け、後に戸籍上も改名したという。
旅の僧侶の素性や命名の由来などが気になるが、私にとっては不明である。

 劇団民芸の演劇研究所や劇団青年芸術劇場などを経て、民芸で「ゴドーを待ちながら」などに出演。宇野重吉さんの相手役などを務め、二〇〇〇年に退団するまで、劇団の中心俳優、演出家として活躍した。
 舞台「放浪記」では、森光子さん演じる林芙美子(ふみこ)の友人白坂五郎役を長年にわたり演じた。他の代表作に「リア王」「大司教の天井」「オットーと呼ばれる日本人」など。〇七年に劇団「海流座」を立ち上げ、代表を務めた。
 くせの強い悪役や存在感のある脇役など、重厚な演技で知られ、テレビではNHKの大河ドラマ「三姉妹」「勝海舟」「花神」や連続テレビ小説「ちりとてちん」などに出演。映画は「動乱」や「男はつらいよ」シリーズなどで知られた。
 絵本作家としても活躍し、「魔法おしえます」「多毛留(たける)」でイタリアのボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞を二年連続で受賞した。
 米倉さんは平和への思いが強く、舞台や絵本を通してメッセージを発信してきた。東京の「世田谷・九条の会」の呼び掛け人の一人でもあり、会のホームページには「平和とは人間が生きること。戦争は人を殺す。生きるために九条をまもります」と記していた。
 戦時中に弟を栄養失調で失った。この経験を基にした絵本「おとなになれなかった弟たちに…」は、中学一年の国語教科書(光村図書)に採用されている。
 二〇〇三年には本紙のコーナー「自著を語る」で、弟の死や、イラク戦争などで多くの子どもたちが犠牲になったことに触れ、「人間はなにかをなすべきだとは思わない。りっぱな人間にならなければならないとも思わない。大切なことは普通に生きることなのだ」とつづった。
 同年二月にも作家小林多喜二をテーマにした舞台を控え、本紙への寄稿で「湾岸戦争、アフガン戦争。そして、ここのところのイラク問題。アメリカに加担している日本に、戦前の多喜二の死の時代が重なってくる」と懸念した。
米倉斉加年さん死去 重厚な演技、絵本作家 80歳

戦争を選択できる国へと変貌中の現在、米倉さんのような9条を守る意思を表明した人が亡くなるのは惜しい。
合掌。

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