自民土屋代議士の長崎市長批判は妥当か?/日本の針路(25)
長崎に原爆が投下された「原爆の日」の9日、長崎市で平和祈念式典が行われた。
田上富久市長は平和宣言で、集団的自衛権の議論をきっかけに国民の間に広がっている平和への不安や懸念に耳を傾けるよう、政府に対し強く求めた。
このあとの平和宣言で長崎市の田上富久市長は、広島市の平和宣言では触れられなかった「集団的自衛権」という文言を盛り込み、「『平和国家』としての安全保障の在り方にさまざまな意見が交わされている」と指摘しました。
そのうえで被爆者たちの間では「平和の原点が揺らいでいるのではないかという不安と懸念が生まれている」として、国民の声に耳を傾けるよう政府に対し強く求めました。
さらに、田上市長は「核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまず作り、日本政府は、核兵器の非人道性をいちばん理解している国として、その先頭に立ってください」と述べて、核兵器廃絶に向けて積極的に取り組むよう政府に要請しました。
原爆の日 長崎市長「平和への不安や懸念」
この長崎市長の言葉に対し、自民党の土屋正忠衆院議員が自身のブログで異を唱えた。
東京新聞8月12日
土屋氏のブログから引用する。
被爆地長崎市の市長が核廃絶を主張することは重大な使命である。
一方、世界中で紛争や軍事衝突が続き、平和を維持することの難しさを物語っている。
現に、日本の隣国にも核武装して「東京を火の海に」「アメリカにも核ミサイルの報復を」などと主張する北朝鮮のような国家も存在する。
同じ今日、アメリカはイラク国内の過激派「イスラム国」基地を空爆した。
核の悲劇を繰り返さないためにも、現実に立って抑止力を有効に組み立てることが政治の責任もった選択なのである。集団的自衛権も現実政治の選択肢の一つなのだ。
長崎市長は歴史的体験を踏まえた核廃絶について語るから権威があるのだ。集団的自衛権云々という具体的政治課題に言及すれば権威が下がる。
核廃絶の祈りではなく、平和を維持するための政治的選択について語りたいなら長崎市長を辞職して国政に出ることだ。
「田上長崎市長は集団的自衛権を言うなら国会議員になった方が良い-今日、長崎原爆忌。」
果たして土屋代議士のこの発言は妥当だろうか?
先ず全体の論理性が良く分からない。
「集団的自衛権も現実政治の選択肢の一つなのだ」はその通りであろう。
しかし、「集団的自衛権云々という具体的政治課題に言及すれば権威が下がる」とはどういうことか?
「歴史的体験を踏まえた核廃絶について語るから権威があるのだ」はそうだろうと思う。
長崎市長は、歴史的体験を踏まえつつ、集団的自衛権が「平和国家」としてのあり方に重大な変更をもたらすことについて、さまざまな意見が交わされていると言っているのである。
土屋氏の批判は、大局的な意見のように精一杯装っているが、まったく論理性に欠けるものといえよう。
「核廃絶の祈りではなく、平和を維持するための政治的選択について語りたいなら長崎市長を辞職して国政に出ることだ」は何を言いたいのか?
核廃絶のためには、平和維持が重要であるはずである。
平和維持のための政治的選択を語ることは、国政の場だけでなく地方政治の場でも積極的に行われるべきだろう。
非核平和都市宣言自治体は、2012年7月現在、1,558自治体を数え、宣言率は87%強である。
土屋氏は、これらの都市の平和宣言も、地方には馴染まないと言って批判するのであろうか。
行使を容認する憲法解釈の変更には、他の首長からも「戦争に直結すると捉えられかねない」(三重県鈴鹿市の末松則子市長)、「国民の信を問うべきだ」(静岡県の川勝平太知事)といった批判や異論がある。三重県松阪市の山中光茂市長を中心に閣議決定に対し、違憲訴訟を起こす動きもある。田上氏の発言は、他の首長と比べて突出しているわけではない。
鳥取県知事や総務相も経験した慶応大法学部の片山善博教授は、土屋氏の批判について「言語道断で理解できない。首長は国の政策決定に参画できないが、住民の安全を守るために意思表明するのは、表現の自由だ」と話す。その上で「被爆地の長崎市長の発言は影響力が大きい。だから、いまいましいと思っているのかもしれない」と分析した。
土屋氏ブログ 長崎市長を批判 首長経験者「言語道断」
国の独走(暴走)に対して、地方の反乱が始まっているのである。
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